「ガンプラ」(ガンダムのプラモデル)の歴史(1980年から2015年まで)
1979年12月、バンダイは『機動戦士ガンダム』のプラモデル商品化権を取得
ガンプラブーム時期には、市場の需要に対して供給が間に合わず、中小の小売店でガンプラの慢性的な品切れ状態が続いた。
要因としては、テレビ再放送によるファン層の拡大、1980年10月に劇場版の製作が発表され、その公開が3月に迫っていたこと、モデラーがミリタリーモデル(実在の兵器のモデル)の発想で改造を施した作例が、模型雑誌『ホビージャパン』別冊の『How to build Gundam』に発表されたことなどから、小中学生を中心にブームが起こった。これに300円という低価格帯と、如何に綺麗に塗装・仕上げられるかという競争心、「アニメは幼児のもの」というイメージの払拭も重なった。1981年に創刊された講談社の『コミックボンボン』はガンプラを前面に押し出した誌面構成を行い、ガンプラとは無関係な小学館の『てれびくん』も、一時期ガンプラ特集を掲載していた時期があった。
市場の需要に対して供給が間に合わず、中小の小売店でガンプラの慢性的な品切れ状態が続いた。そんな中にあった1982年1月24日には、千葉県のダイエー新松戸店でガンプラを購入しようと開店と同時にエスカレーターに殺到した小中学生250人による将棋倒し事故が発生する。十数名が負傷しその内4名が重傷を負った大事件として、翌日の新聞の社会面に大きく取り上げられることになる。また、ガンプラの人気を表すと共に、ガンダムを知らない人々にもその名を知らしめるきっかけとなった。
この事件に対し、「品薄感により購買意欲をあおる」ことの是非を問う論調が新聞各紙で見られた。確かに、ブーム以前はなかなか手に入らない生産数にして子供たちの購買欲を大きくすることも、戦略的に考えられていたという。
だが、実際には需要は既に工場が受発注できる遥か限界を超えていた。工場は人員も金型も24時間フル稼働の状態で、事故が起こる前月の12月には月産400万個を製造していたが、それでも需要には全く追い付かない状況だった。
ただ、金型については増産を行わず一つの金型で生産が行われていたことも事実であった。当時の金型は基本的には木型から作り、最後は職人による微調整・仕上げを行っており、厳密には同じ金型を作る事は出来なかった。この違いを嫌って金型の増設を行わなかったとされる。他にも、金型の増設は縁起が悪い、などという話もあるとされる。結果として一つしかない旧キット1/144ガンダムの金型は、当初想定されていた約14倍、約700万個以上のプラモデルを製造したという。
一方で品薄による他の商品とガンプラの抱き合わせ販売、ガンプラを購入できた子供からの「ガンプラ狩り」、出荷前の工場に直接出向いて直談判、更には工場に忍び込む者まで現れたという。
(出典:Wikipedia)
1980年のガンプラ(ガンダムのプラモデル)
【動画】ガンプラのテレビCM - YouTube
懐かしい機動戦士ガンダム・モビルスーツバリエーション(MSV)・機動戦士Zガンダム・機動戦士ガンダムZZのテレビCMをまとめた動画
1980年 「機動戦士ガンダム」のプラモデルの発売前の予告広告
くつろぐ君の友人「プラモデル」
1/144のガンダム、1/100のガンダム、1/144シャア専用ザク、ムサイ艦のプラモデルの発売予告。
1/144スケールのガンプラ(旧キット)発売。1980年7月19日に「1/144 ガンダム」の販売を開始した。ガンプラ快進撃の歴史が始まる。
1/144 RX-78 ガンダム(旧キット)パッケージ画像。1980年7月19日発売。ガンプラの歴史はここから始まる。
当時のキャラクターモデルのラインナップは300円と700円の2シリーズで展開されることがパターンとなっていたため、ガンダムに関しても従来通り価格帯を300円と700円にすることになった。
商品化第一弾は発売価格300円のガンダムのプラモデルと決まる。開発・設計責任者の松本悟は、その設計センスを高く評価していた村松正敏にメイン設計を任せようと決めていたという。一方の村松も「自分にやらせて欲しい」と申し出ていた。
設計図面が完成し金型製作が進められていた頃、村松はスケール表記の必要性を感じていた。そこで完成した図面を改めて計測しスケールを算出してみると、ほぼ1/144(144分の1)スケールであることが判明する。
村松は設計図面に「1/144」と書き込んだ。加えて松本に「ほんのちょっとだけ違うけど、1/144スケールで行こうよ」と進言したという。
1/144スケールの第2弾「シャア専用ザク」(1980年9月発売)。1/144スケール第3弾「改良強化新型グフ」(1980年11月発売)
1/144スケールの「シャア専用ザク(足首が動かない)」と「グフ」(旧キット)
足首が曲がらないことに対して社内で議論にならなかったわけではなかったが、大きな問題とはならなかった。しかし、発売から1年後に漫画『プラモ狂四郎』の作中で、それが弱点として取り上げられるほど、ファンの関心は高かった。
ちなみに1/144スケール第3弾となった「改良強化新型グフ」(1980年11月発売)では、ザクと似た形状ながら足首は可動式となった。
また、ガンプラの設計担当者たちは、自分の担当するモビルスーツの関節機構やプロポーションの改善に、秘めたるライバル意識をもって競い合っていったという。
結果として、ガンプラは新作が発売されていくにつれて関節ギミックは進化し、前後稼働から左右にスイングする様になっていった。また、肩関節についても前後へのスライド機能を持たせたことで、マシンガンなどの武器を両手で構えられるようになった。
(出典:Wikipedia)
1/144スケールの第2弾「シャア専用ザク」(1980年9月発売)のパッケージ画像(ボックスアート)
1980年代の「ガンプラブーム」を最新モデルを使って体感してみよう!
ガンプラブームと呼ばれた1980年代前半、「もし本当にMSが存在したら…」という指向で多くのモデラーが様々な工夫を凝らしガンプラを作りました。
劇場版三部作が公開された頃に大河原先生が描かれたMSイラストにはミリタリーを感じさせる配色やマーキングが施されたMSが描かれていて、多くのモデラーはリアルなMSをガンプラで表現する方法として取り入れ、仕上げの表現として定着していきました。
その後1/100リアルタイプMSシリーズが商品化され、その後も「リアル」というテーマを多くのモデラーが様々なアプローチで表現しつつ今に至ります。
今回の商品では原色系の設定色のトーンを落とし、配色も当時多くのモデラーが試みた「リアルタイプカラー」の雰囲気を手軽に表現出来るよう企画しました。
各マーキングは当時流行ったマーキングのイメージでデカール化しました。
懐かしさを感じて戴ける世代の方には更にハゲチョロと呼ばれた銀タッチなども加えてもらうと懐かしさが増すかもしれませんね。
バンダイ ホビー事業部 川口 克己
HGUC 1/144 グフ(21stCENTURY REAL TYPE Ver.)
ガンダム(別売り)、ガンキャノン(別売り)も同時発売!
『機動戦士ガンダム』MSVより、川口名人がプロデュースする、21世紀版アレンジのリアルタイプカラーVerをHGUCシリーズで商品化。シックな成形色カラーを採用し、リアルタイプシリーズの特徴的なマーキングを再現する水転写デカールが付属!
さらに、MSVテイストデザインのフルカラーパッケージ。
●シックな成形色カラーを採用。
原色が多く用いられているアニメ設定イメージの成形色を採用している通常製品版とは、印象が大幅に異なる仕上がり。
●リアルタイプシリーズの特徴的なマーキングを再現する水転写デカールが付属。
ラインマークや機体ナンバー、コーションマークなどを多用した、MSVキットならではの趣きを醸し出すマーキング類を収録。
●素体キットは、よりフレキシブルな可動域をもつ、新生~REVIVE~HGUCを採用!
2016年発売の最新HGUCキットを使用。
● MSVテイストデザインのフルカラーパッケージ。
'80年代発売の1/100MSVキットパッケージをイメージしたデザインを、写真をベースにしたデジラマで再現。
ガンプラの製造・発売元は、作品制作元のサンライズの関連会社であるバンダイのホビー事業部で、「ガンプラ」という言葉自体は、ガンダムシリーズの版権管理を手がける創通の登録商標になっている。ガンプラは日本のプラモデル史上最大のヒットで、バンダイを模型業界のトップに押し上げた原動力となった。なお、組み立て式プラモデルではないハイコンプロシリーズが「完成済みガンプラ」として宣伝されるなど、厳密な区別はされていない。
1979年12月、バンダイは『機動戦士ガンダム』のプラモデル商品化権を取得し、同時に設計・開発がスタートする。低視聴率による打ち切り決定後、人気が盛り上がっていくことを実感し、売れると信じての商品化権の取得ではあった。だが、キャラクターモデルのとしては人気が旬である間にできる限り早く商品化する必要もあり、マーケットリサーチに十分な時間をかけている余裕はなかった。
(出典:Wikipedia)