ハチ公物語のあらすじは?
秋田県大館の近藤家の紙屋では、牝犬アカが4匹の仔犬を出産した。数少ない純粋な秋田犬誕生の報告が、県庁の土木課長・間瀬の元に届けられ、間瀬はそのうちの一匹をプレゼントすると東京の大学教授、上野秀次郎宅へ知らせた。電話を受けた一人娘の千鶴子は大喜び。彼女はさっそく温泉に行っている両親に電話をするが、二人共難色を示した。昔飼っていた犬の死以来、生き物を飼うことに反対だったのだ。だが、飼いたいという千鶴子に押し切られてしまう。秋田犬の到着する日、千鶴子は外務省勤務の婚約者・森山とデートに出かけ、やむなく犬嫌いの書生・才吉が江戸っ子の植木屋・菊さんに頼んで一縮に渋谷駅へ出迎えた。到着した仔犬は死んだようにグッたりとしていたが、上野家に連れ帰り、教授が女中のおよしにミルクを持ってこさせ鼻先に置くと、元気よく起きあがった。仔犬の面倒は自分で見ると約束していた千鶴子は、いつの間にか妊娠し、あわただしく結婚式を挙げると上野家を出ていった。結局、仔犬の世話は教授が見る羽目になり、彼はハチと名を付けた。三ヵ月が過ぎ、ハチはイタズラ盛り。人には人格が、犬には犬格があると言う教授は、ハチに自由奔放な生き方をさせた。いつからか教授を渋谷の駅まで送り迎えするのがハチの日課となっていた。雨の日も雪の日も送り迎えするハチの姿を、交番の町田巡査や屋台の焼き鳥屋の留さん、たみ子夫婦、古川駅長たちが暖い眼でみていた。そんなハチの健気さが教授には可愛くてたまらない。千鶴子と森山が孫を連れて来ても、ハチのノミ取りに精出す始末。ある朝、教授を駅まで送って戻ったハチは急に悲しげな声で吠え始めた。その同時刻、教授は脳溢血で倒れ帰らぬ人となっていた。上野家は売りに出され、静子は千鶴子の家へ身を寄せることになった。ハチは浅草の土建業者・橋本に引き取られるが、何度となく抜け出し渋谷の元の家を訪れるのだった。野良犬と化したハチを見て、菊さんが自分の家に連れ帰る。まもなく、森山はロンドンに転勤となり、静子は和歌山の実家に帰った。突然、菊さんが亡くなり、ハチには寝ぐらも身寄りもなくなってしまった。毎日、午後5時半になると渋谷駅で教授の帰りを待つハチ。そんなハチのことが新聞に載った。それを見た静子がハチを訪ねてくるが、ハチは彼女の前から姿を消す。昭和10年3月8日、雪の中でハチは教授を待ちながら13年の生涯を閉じた。
当初、渋谷でいつも居座るハチには嫌がらせが多かったようです
作品データ
脚本 新藤兼人
出演 仲代達矢、八千草薫、柳葉敏郎、石野真子等
公開 1987年(昭和62年)
配給 松竹富士
時間 107分
2015年京都国際映画祭で上映!主演の仲代達矢さんが舞台あいさつに登場!
撮影当時のお話をされる仲代達矢さん
「実は、私は動物があまり好きではなかったんです。」との爆弾発言!?や当時多忙の中で、ハチ公物語に出演を決めた理由は監督や脚本の素晴らしさであった等、多くの裏話をお話されていました。
「ハチ公はとてもいい秋田犬でした。僕の腿をポンポンと叩くとハチ公がついてくるようにするため、訓練もしました。最初は全然、言うことを聞かなくて、トレーナーの方が“仲代さん、四つん這いになってください。犬は四つん這いです。四つん這いになって一緒に遊んでいるとだんだんなついてきますよ”とアドバイスをくださり、泥だらけになってハチ公と遊びました。そして20日くらいかかって、やっとなついてきたんです。太ももを叩くと僕の横についてきたんですね。それがうれしくて、かわいくもなりました。撮影の途中から、素晴らしい作品になるなと予感しました」
ハチ公物語 号泣報告を多数発見!!
今晩ハチ公物語を初めて見た。たくさん泣いた😭😭😥
— Lizzy Jane「リジジェーン」 (@Littlelizzyloox) November 30, 2015
@miomaru104mamo1 あるある!
— ヨッシーママ@マモライ仙台・名古屋求む~ (@yossy_mama) November 29, 2015
自分、私を泣かせたいなら動物もの必須って感じです。映画の忠犬ハチ公でどんだけ泣いたか!南極物語でどんだけ泣いたか(笑)
玉ねぎを切った時の涙では効果はないらしい。 オススメはハチ公物語。 あれは泣けるw
— あと〇kg… (@cosmo_caster) November 29, 2015
ハチ公物語の感動は海外にまで!ハリウッドでリメイクもされました
実際の撮影では、三頭の秋田犬をシーンに合わせて演じ分ける等の徹底ぶり。
リチャードギアや監督も当然犬好きです!!
プロデューサーのヴィッキー・シゲクニ・ウォンは日系3世および中国系であり、1980年代半ばに来日した際に渋谷駅前のハチ公像に興味を示し、ハチ公のストーリーを映画などで知って感銘を受けて帰国後には飼い犬に「ハチコー」と名付けるなどした。その「ハチコー」が2002年に亡くなったのを期に映画製作を決めたという
あまり知られていない?「ハチを救った人物」はこんな人でした
こちらが新聞に寄稿した斎藤弘吉さん
嫌がらせを受け続けるハチを見かねて朝日新聞に寄稿したそうです。
その記事が「いとしや老犬物語」として記載されました。
きっとこの座り方で、雨の日も雪の日も待っていたんでしょうね。