泉谷しげるといえば・・・
こんな・
こんな・・
こんなイメージがありますが
まったくもってそのとおり!
御多分にもれず危ない男。
それが彼のキャラクターなんです。
でも実は、厚情にして芸能界随一のチャリティー(慈善活動)おじさんなんですよ。
結構いいとこがあって、賛同するミュージシャンたちも多いんです。
言いたいこと言って、やりたいことやっていても、そんな男だからこそ芸能界で干されることもなく、生き続けていけるんですねぇ。
大した男です!
若かりし頃
いろいろな職についたが長続きせず。ローリングストーンズに憧れ、ロックバンドを組んでいたが、18歳の時、自宅が火事で全焼しエレキギター、アンプなど機材を全て失い、やむなくアコースティックギター1本で出来るフォークシンガーとなる。
うまいか下手かではないんですね。
胸の奥にジーンと響いてくる、そんな歌を作り、聞かせてくれていたんですね。
でも、この頃から毒舌でした。
デビューした1971年に恨み節の「帰り道」、翌年には代表曲となる「春夏秋冬」があります。
帰り道/泉谷しげる
春夏秋冬 泉谷しげる
こういうところも破天荒なんですねぇ。
そんな彼は歌の世界だけではなく、芸能界へと足を踏み入れていきます。
転機
犯人役(主役)の演技が評価され、この後、役者としても活躍していきます。
昭和38年(1963年)に東京・入谷で起きた幼児誘拐殺人事件を題材にしたTVムービー。
テレビ朝日「土曜ワイド劇場」放映時には視聴率26%という高い数字を叩き出した。
日本で初めて報道協定が結ばれた事件であり、犯人が身代金奪取に成功したこと、迷宮入り寸前になっていたこと、事件解明まで2年3ヶ月を要したこと、犯人の声をメディアに公開したことによって国民的関心事になったため、当時は「戦後最大の誘拐事件」といわれた。