巨人・西本聖。天下一品のシュートを武器に打者を打ち取りまくった負けず嫌いな大投手でした!
2019年2月7日 更新

巨人・西本聖。天下一品のシュートを武器に打者を打ち取りまくった負けず嫌いな大投手でした!

西本聖。長嶋監督も天下一品と認めるシュートを用いて、打者を内野ゴロに仕留めていました。巨人時代には江川とWエースの座として活躍。3冠王落合との名勝負もありました。

26,083 view
西本聖と言えば、あの足を極端に上げた独特なフォームから繰り出されるシュートが絶品でした。
巨人時代の師・長嶋茂雄との関係や永遠のライバル・江川卓との競い合い等をご紹介します。

徹底的に自分を鍛え、逆境に強い人物でした。
いわば職人気質の投手であり、肝っ玉の据わった投手でもありました。
西本聖 (にしもと たかし)

西本聖 (にしもと たかし)

天下一品のシュート

足を大きく上げるダイナミックなフォームと、切れの鋭いシュートが特徴の投手であった。
 (2075588)

当時監督だった長嶋は西本のシュートを初めて見た時、「このシュートは天下一品のシュートだ。これだけで勝てる」と絶賛した。西本のシュートは球速より、変化量と切れ味を重視しており、カミソリシュートと呼ばれた平松政次とは対照的である。

落合との名勝負

中日時代の落合博満

中日時代の落合博満

1987年4月に後楽園球場で行われた中日ドラゴンズとの開幕戦。
開幕投手として先発出場し、ロッテオリオンズから移籍してきたばかりの4番・落合博満との対戦で、西本は全打席全球シュートを投げ、1本だけはセンター前にヒットを打たれたものの4打数1安打と封じ込め、自身も完封勝利を収めた。

「パ・リーグで三冠王だといってもここはセ・リーグ、パ・リーグとは違う」というセ・リーグの投手としてのプライドがあったからだといわれている。また『全球シュート』は研究に研究を重ねてたどり着いたのではなく、当日のマウンドで落合と向かい合ったときにひらめいたという。

西本vs落合 全球シュートで落合を封じる - YouTube

長嶋茂雄との師弟関係

長嶋監督

長嶋監督

西本は1974年にドラフト外で、松山商業高校から巨人に入団。
長嶋監督1年目でした。

その長嶋監督と西本の関係において、いかにも昔のプロ野球らしいエピソードが、1979年8月の試合後に起きました。
8月の広島戦で、ふがいないピッチングをし、宿舎のホテルの一室で、角三男投手と共に、長嶋監督から20発におよぶ往復ビンタを受けるという実話が残っています。
現在だったら、間違いなく暴力事件として問題になっていると思いますが、この時の長嶋監督の涙ながらの「愛のムチ」が後の自分の成長につながったと本人は自著で語っています。

西本聖・引退試合での長嶋茂雄

1994年のシーズン終了後に発起人である定岡正二により、巨人軍の選手にとって、非常に思い出深い多摩川グラウンドでの引退試合が催されました。
いよいよあと一人となった時に相手の定岡“監督”が、平光清球審に告げた。「代打、ナガシマ」。

この試合の始球式を行ったのは巨人・長嶋茂雄監督だったが、まさか試合に出場するとは…。ファンへの、そして西本への最高のプレゼント。ただでさえ泣きそうだった西本の目が潤んでいたのは、冷たい北風のせいだけではなかった。

突然の出番にセーターにスラックス姿の長嶋監督。昔と同じようにやや前かがみになった打撃フォームで初球の真っ直ぐをたたいた。当たりはボテボテの三塁ゴロ。巨人・桑田真澄“三塁手”のダッシュは、遠慮がち。革靴のまま現役時代さながらに全力疾走するミスター。内野安打となり、観衆もベンチも大盛り上がりだった。

ライバル・江川卓と競ったエースの座

江川選手とともに巨人軍投手陣のニ本柱として活躍
(昭和)55年から6年連続2ケタ白星を上げ、54年から7年連続ダイヤモンドグラブ賞を受賞
ドラフト外史上、3人目の100勝達成。
34 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

甲子園未経験ながら巨人ドラフト1位・木田優夫 メジャーでも活躍し、セパを渡り歩いた息の長い投手でした

甲子園未経験ながら巨人ドラフト1位・木田優夫 メジャーでも活躍し、セパを渡り歩いた息の長い投手でした

投手・木田優夫。巨人にドラフト1位で入団し、先発や中継ぎ、抑えとして活躍しました。日本とメジャーの各球団に所属した彼の野球人生を追います。
ひで語録 | 8,018 view
「スポーツ報知」2月24日~25日発売分にセ・パ両リーグの『プロ野球名鑑』が掲載!80年代懐かしの選手名鑑も振り返る!!

「スポーツ報知」2月24日~25日発売分にセ・パ両リーグの『プロ野球名鑑』が掲載!80年代懐かしの選手名鑑も振り返る!!

報知新聞社が発行する新聞「スポーツ報知」の2月24日~25日発売分にて、プロ野球12球団全選手や首脳陣のデータを収録した『プロ野球名鑑』が掲載されます。
隣人速報 | 428 view
浪商エース・牛島和彦 ドカベン香川と組み甲子園で活躍!ビッグマウスでも実力はピカイチだった!

浪商エース・牛島和彦 ドカベン香川と組み甲子園で活躍!ビッグマウスでも実力はピカイチだった!

牛島和彦(うしじま かずひこ)。大阪・浪商高校時代の春選抜甲子園で準優勝!プロ入り後も救援投手として多くのセーブを記録。数々の豪快な逸話も取り上げます!!
ひで語録 | 20,792 view
マサカリ投法・村田兆治 「昭和生まれの明治男」と呼ばれ、フォークを武器にロッテ一筋で完投にこだわった野球人生でした

マサカリ投法・村田兆治 「昭和生まれの明治男」と呼ばれ、フォークを武器にロッテ一筋で完投にこだわった野球人生でした

ロッテの大投手、マサカリ投法の村田兆治。「サンデー兆治」や「昭和生まれの明治男」と呼ばれました。途中、フォークボールを習得後、更に成績を伸ばしました。最後までロッテで過ごし、完投にこだわりを持った大投手でした。
ひで語録 | 22,874 view
【木田勇】2013年の田中将大投手まで33年間現れなかった1シーズン22勝をルーキーイヤーにやってのけた投手。

【木田勇】2013年の田中将大投手まで33年間現れなかった1シーズン22勝をルーキーイヤーにやってのけた投手。

1980年の日本プロ野球を大いに沸かせた驚異の新人投手、木田勇。日本ハムに入団した彼はルーキーイヤーの1980年に22勝を挙げて史上初のルーキーイヤーに新人王&MVPに輝きました。22勝という勝利数は、その後2013年の田中将大投手まで33年間抜かれることがありませんでした。
青春の握り拳 | 9,339 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト