こんにちは!はんまのままです。
今回は都はるみさんについて記事を書いてみたいと思います。
はるみ節と言われた伝説のビブラートを駆使して歌っている動画もアップしていいきますのでお楽しみに!
今回は都はるみさんについて記事を書いてみたいと思います。
はるみ節と言われた伝説のビブラートを駆使して歌っている動画もアップしていいきますのでお楽しみに!
歌手になります!宣言
京都出身の都はるみがデビューしたのは1964年ですが、幼い頃から日舞とバレエを習い6歳の頃に芸事が好きだった母親に浪曲と民謡を教えたとされています。そのおかげで「はるみ節」ができたのかと思うとよくできた母親ということになりますね。
via columbia.jp
私立の高校へと進学をした都はるみが歌手になったのは1964年です。1948年生まれの都はるみが歌手になったのは彼女が16歳で在学中でした。そんなはるみが「歌手になります!」と校長に言い残し中退したとあります。言い切って本当に歌手になったのですから努力ももちろんあったと思いますが、凄い運と実力があったのでしょう。
via www.discogs.com
1964年3月10日に「困るのことョ」で演歌歌手デビューを果たした都はるみは立て続けに3曲ものシングルをリリースしています。
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高校を中退してのデビューは不安視する人もいたとは思いますが、その不安を払拭するようなヒット曲が生まれます。
3曲目のシングル曲である「アンコ椿は恋の花」です。この曲で都はるみの名前は全国的に有名になりトップスターの仲間入りという声も多く聞こえました。
3曲目のシングル曲である「アンコ椿は恋の花」です。この曲で都はるみの名前は全国的に有名になりトップスターの仲間入りという声も多く聞こえました。
via gakufu.gakki.me
アンコ椿は恋の花
via www.youtube.com
デビューして3曲目でミリオンセラーとなったこの曲で第6回日本レコード大賞・新人賞を受賞し独特のビブラートを活かしたコブシやうなりは「はるみ節」と呼ばれ、人気もうなぎ登りでヒット曲が続出します。
はるみ節で人気演歌歌手
シングルリリースの履歴を見ればその人気度の高さと期待の大きさを表していると思います。そして都はるみへの期待を裏切ることなくヒット曲は生まれていきました。
1965年1月5日にリリースされた「さすらい小鳩」を皮切りに1965年には8曲ものシングルを、翌年の1966年には「アラ見てたのね」から10曲ものシングルをリリースしています。ハードスケジュールであることも一流歌手になった証ということだったのでしょうか。
1965年1月5日にリリースされた「さすらい小鳩」を皮切りに1965年には8曲ものシングルを、翌年の1966年には「アラ見てたのね」から10曲ものシングルをリリースしています。ハードスケジュールであることも一流歌手になった証ということだったのでしょうか。
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まだまだ可愛らしさや幼さが残る姿からは想像もできないような歌唱力で人気を集めていく都はるみに2度目のミリオンセラーが生まれました。
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涙の連絡船
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当時の映像なので音質が微妙なところもありますが、それも当時を知っている人には懐かしいのではないでしょうか。
生年月日:1948年2月22日
デビュー:1964年
「アンコ椿は恋の花」や「大阪しぐれ」などヒット曲が目白押しの都はるみ。独特のビブラートを駆使して日本を代表する演歌歌手となる。