X JAPANの歴史を語るうえで欠かせないベーシスト・TAIJI
X結成当初からのオリジナルメンバーだったTAIJIは、1992年にYOSHIKIとのトラブルを抱えた末に脱退。紆余曲折を経て2010年に同バンドへ復帰を果たしますが、その直後、謎の死を遂げることに。そんな数奇な運命をたどったベーシスト・TAIJIの人生は、ロックンローラーらしい、かなりアップダウンの激しいものとなっています。
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2歳で右手中指の第一関節から上を切断する
千葉県市川市に生まれたTAIJIは、2歳のときに父親が経営する工場の機械に誤って右手を突っ込み損傷。中指の第一関節から上を切断するという大けがを負います。後年、このけがの影響で「逆に演奏がうまくなった」と語っているTAIJI。人差し指と中指を用いるベーシックな奏法ではなく、人差し指と薬指を用いる変則的なスタイルにより、小学校2年生からアコースティックギターの研鑽を積み重ねていきます。
ちなみに初ステージは、ギターを手にしてから3か月後。父親が演奏する映画「禁じられた遊び」のテーマソング『愛のロマンス』を覚えて、クラスメートの前で披露したそうです。
ちなみに初ステージは、ギターを手にしてから3か月後。父親が演奏する映画「禁じられた遊び」のテーマソング『愛のロマンス』を覚えて、クラスメートの前で披露したそうです。
中学生でグレて、高校生でバンドを結成
中学生の頃に両親が離婚して母親が再婚したのを機に、TAIJIはグレ始めます。「中3までにケンカ、バイク、シンナー、女の類は全部やった」とは本人の談。相当荒れた少年時代を過ごしていいたことが、うかがい知れるというものです。
くすぶり続けるエネルギーを発散させるべく、高校進学後、TAIJIはますますギターへのめり込んでいきます。エレキギターを手にした彼は、高校で軽音楽部に所属する傍ら、学外で「トラッシュ」という高校生バンドを結成。高校のほうはたった1年で中退してしまいますが、トラッシュでの活動は続け、TAIJIのつくった楽曲でコンテストを勝ち抜き、また、同コンペのベスト・ギタリスト賞も受賞しました。
くすぶり続けるエネルギーを発散させるべく、高校進学後、TAIJIはますますギターへのめり込んでいきます。エレキギターを手にした彼は、高校で軽音楽部に所属する傍ら、学外で「トラッシュ」という高校生バンドを結成。高校のほうはたった1年で中退してしまいますが、トラッシュでの活動は続け、TAIJIのつくった楽曲でコンテストを勝ち抜き、また、同コンペのベスト・ギタリスト賞も受賞しました。
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トラッシュはメンバー全員高校生だったこともあって、プロ志向だったTAIJIを除いて、全員進学を考えていました。価値観の違いから、メンバーとの軋轢が生まれ脱退。その後、かねてより親交のあったバンド「ディメンシア」のリーダーから「ヘルプでベースをやってくれ」と懇願されたのを機に、ベースプレイに開眼。これ以降、ベーシストとしてのキャリアを歩んでいくこととなります。
YOSHIKIの熱心な勧誘で、X加入を決意
ディメンシア脱退後はいくつかのバンドを渡り歩いたTAIJI。母親からは19歳の誕生日に家を追い出され、金銭的に困窮した彼はラブホテルの住込みバイトなどをしながら食いつないだといいます。
そんな折、YOSHIKIから「Xに入らないか?」との勧誘電話が彼のもとに。音楽性の違いから最初は難色を示していたものの、YOSHIKIの熱心さとカリスマ性に惹かれて、加入を決意。その後、一度脱退するも再度加入し、かくしてTAIJIは1989年、Xのベーシストとしてメジャーデビューを果たしたのでした。
そんな折、YOSHIKIから「Xに入らないか?」との勧誘電話が彼のもとに。音楽性の違いから最初は難色を示していたものの、YOSHIKIの熱心さとカリスマ性に惹かれて、加入を決意。その後、一度脱退するも再度加入し、かくしてTAIJIは1989年、Xのベーシストとしてメジャーデビューを果たしたのでした。
メジャーデビュー以降の快進撃はご存じの通り。Xは『紅』『Silent Jealousy』『Say Anything』などヒット曲を連発。Xにおける楽曲は、ほとんどYOSHIKIによる作詞・作曲となっていますが、編曲におけるキーマンはHIDEとTAIJIでした。どうしても歌謡曲っぽくなりがちなYOSHIKIの曲を、気の利いたフレーズでロックテイストにアレンジするのが彼ら2人の役割であったため、TAIJIは初期Xの音づくりに欠かせない存在だったのです。
さらに、ステージ上でのパフォーマンスも超ド級。目深にハットを被り、テクニカルな曲を難なく弾きこなす彼の姿は、多くのロック少年を魅了しました。
さらに、ステージ上でのパフォーマンスも超ド級。目深にハットを被り、テクニカルな曲を難なく弾きこなす彼の姿は、多くのロック少年を魅了しました。
YOSHIKIとの確執が、脱退の原因に
一見順調に見えたXでの活動でしたが、しかし、バンドが売れれば売れるほどTAIJIは、リーダーであるYOSHIKIへの不満を募らせていきました。理由は、他のメンバーに比べYOSHIKIだけギャラの取り分が多かったためであり、そのことをTAIJIは公然と批判したり、YOSHIKIのドラムプレイにもケチをつけたりするようになっていました。
すっかり不満分子と化したTAIJIに対し、「スタジオミュージシャン契約にする」という制裁を加えたYOSHIKI。ついには本人へ、1992年1月の東京ドーム公演をもって脱退するよう直接指示します。こうしてTAIJIは、Xを去って行ったのでした。
すっかり不満分子と化したTAIJIに対し、「スタジオミュージシャン契約にする」という制裁を加えたYOSHIKI。ついには本人へ、1992年1月の東京ドーム公演をもって脱退するよう直接指示します。こうしてTAIJIは、Xを去って行ったのでした。
X (X JAPAN) Silent Jealousy (Tokyo Dome 1992.01.07)
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X脱退後はホームレスにもなった
X脱退後は、親交のあった『LOUDNESS』に加入するも契約上のトラブルで活動停止に。続く自身がリーダーを務めたバンド『Dirty Trash Road』も活動休止状態となります。
音楽活動の不調は経済的困窮を招き、結婚していた妻とは離婚。ついには、ホームレスにまで身を落とし、その間、ゴロツキとケンカして前歯4本を折られるなど、散々な目に遭ったそうです。この苦難の時期に、訃報が舞い込みます。盟友・HIDEの死です。
音楽活動の不調は経済的困窮を招き、結婚していた妻とは離婚。ついには、ホームレスにまで身を落とし、その間、ゴロツキとケンカして前歯4本を折られるなど、散々な目に遭ったそうです。この苦難の時期に、訃報が舞い込みます。盟友・HIDEの死です。
自身の生活もままならない状況でしたが、TAIJIは借り物の喪服に身を包み、葬儀に駆けつけました。ボロボロになっていたTAIJIを見かねて、YOSHIKIはポンと200万円を彼に贈呈。
これで歯を直したTAIJIは、「身体の一部になった“YOSHIKIの歯”を使う度、俺はYOSHIKIへの感謝の思いを噛みしめている」と発言しています。かつてはわだかまりしかなかった2人でしたが、わずかながら雪解けした瞬間でした。
これで歯を直したTAIJIは、「身体の一部になった“YOSHIKIの歯”を使う度、俺はYOSHIKIへの感謝の思いを噛みしめている」と発言しています。かつてはわだかまりしかなかった2人でしたが、わずかながら雪解けした瞬間でした。