「先輩連中は(合併話を進めようとした)俺のことを面白く思わないから最後はすごかったですよ
ああいう時代だから控室でケンカになったし殺伐としていました
俺も何かあったらと思って車の中に木刀を用意して
そういう雰囲気の中で俺は猪木さんやテレビ局との約束があるから
(合併話を)覆された以上「一人でもやめます」と言って出たんです
選手3人とレフェリー1人が一緒に来てくれた
1年後を見ればどちらが正しかったか答えは明白だよね
日本プロレスはなくなってしまって
新日本はテレビ局がついて、ある程度、軌道に乗っていったんだから
大木さんは
何かというと「力道山先生、力道山先生」と言っている人で
力道山さんが作った日本プロレスの名前を残したくて必死だったのかもしれません
ただ、理想と現実は違うから」
ちなみに
互いに「裏切り者」と憎み合っていた大木と坂口は
後(1975年)に新日本プロレスのマットで無効試合になるほどの壮絶な試合をした
互いに「裏切り者」と憎み合っていた大木と坂口は
後(1975年)に新日本プロレスのマットで無効試合になるほどの壮絶な試合をした
「そんなこともあったね
あのときは何で俺が大木さん相手に試合なんかしなきゃいけないんだって思ったよね
だけど会社の人に「お願いしますよ」と言われてさ
それで「やるけどどんな試合になるかわからないぞ」と前もって脅かしてね
(試合が始まると)案の定、みんなびっくりしてたけどね
だけどそういうのも面白いよね
お互いの感情をぶつけあって
「かえっていい試合になって面白かったよ」って後で周りの人から評価されましたから
大木さんが2006年に亡くなる、しばらく前にはわだかまりはなくなっていました
まあ時が過ぎればある程度そうなりますよ、何事も
昔なんかいやなこといっぱいありました
新日本に来てからも選手が抜けて新しい団体に行ったり引き抜かれたりして
そのときには「この野郎」と思ってたけど
やっぱり時が過ぎればね」
新日本プロレス
新日本プロレスOP - YouTube
新日本プロレス80年代黄金期
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ワールドプロレスリング アンソロジー - YouTube
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坂口が新日本プロレスに合流後
NETはゴールデンタイムに『ワールドプロレスリング』を開始
倒産も時間の問題といわれていた新日本プロレスは
人気で全日本プロレスを超えた
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【格闘技】(プロレス) 猪木 アナウンサーをビンタ 橋本「時は来た」←蝶野爆笑こらえる - YouTube
試合前のインタビュー
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猪木と坂口は「黄金コンビ」と呼ばれた
ANDRE THE GIANT VS SEIJI SAKAGUCHI 1974 - YouTube
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via blog.livedoor.jp
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坂口は豪快なファイトでファンを沸かした
また坂口は
エース猪木をサポートするNo.2というポジションに定着した
エース猪木をサポートするNo.2というポジションに定着した
「新日本に入ったころは猪木さんに対するライバル意識が強かったね
年齢も俺が1つ上だったし
言い合いになって「この野郎、あの野郎」ってなることもあった
お互い気持ちの中で「負けてたまるか」と思っていて
あれはあれでよかったと思うけど、
1~2年して会社もある程度うまくいってきたとき
ある人に「両雄並び立たずじゃないけど一歩引いて猪木をたててやってくれ」と言われてね
俺も言われなくてもわかってたよ
俺が一歩引いて猪木さんがメイン俺がサブでやっていけばうまくいくんじゃないかなって
猪木さんの人柄を見ててこの人と対等にやるのはきついなと思ってたから
日本プロレスを飛び出してきてしまった以上、またおかしなことになるのは嫌だったから
どうしたら会社がうまくいくんだろうという気持ちが強かったよね」
また坂口は
実務も引き受けるようになり
リングの外からも会社を支えた
実務も引き受けるようになり
リングの外からも会社を支えた