国語辞典の編纂者で知られる金田一京助とはどんな人?
2023年8月5日 更新

国語辞典の編纂者で知られる金田一京助とはどんな人?

「金田一」と言えば、小説の主人公「金田一耕助」や漫画の「金田一少年の事件簿」などで耳にしていると思います。ですが、もっと身近に「金田一」の名に触れていませんでしたか?

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はじめに

「金田一」という名前が耳慣れているのは、作家・溝口正史が推理小説の登場人物を「金田一耕助」としたことによるようです。溝口正史が執筆する小説に登場する探偵の名を考えていたとき、自宅の隣組に住む「金田一安三」から姓を拝借し、さらには安三が言語学者である金田一京助の実弟であることを知ると「京助」も拝借して、「金田一耕助」としたと言うのです。

この小説の登場人物である名探偵・金田一耕助は、「獄門島」「八つ墓村」「犬神家の一族」などに登場し、映画やドラマにもなっています。また、漫画「金田一少年の事件簿」では、この「金田一耕助」を祖父に持つ金田一一が主人公となっており、老若男女、多くの方が「金田一」という名前を知っているのではないでしょうか。

さて、名前を拝借された「金田一京助」とはどのような人だったのでしょうか。

金田一京助とアイヌ語研究

金田一京助は、アイヌ語研究の創始者であり、言語学者、民族学者です。親友に石川啄木がいます。

明治15年に盛岡で父・金田一久米之介、母ヤスの長男として誕生しました。
姉1人、弟6人、妹3人の11人兄弟です。

子どもの頃、父の金田一久米之介は、子供たちを寝かしつける時、「源平盛衰記」「平家物語」を語って聞かせていたそうで、後に京助は文学に興味を持つことになります。盛岡尋常中学校へ入学した京助は、さらに文学に熱中し、文芸雑誌に歌を投稿したところ、その歌が与謝野鉄幹の目に留まり、与謝野鉄幹が選者を務める「明星」発行元である新詩社の社友となります。そこで、親友となる石川啄木と出会いました。
親友・石川啄木 (右) と金田一京助(左)

親友・石川啄木 (右) と金田一京助(左)

上田万年

上田万年


明治37年に東京帝国大学に入学し、新村出(言語学者)や上田万年(国語学者・言語学者)の講義に魅かれ、言語学科に進みました。当時アイヌ語の日本人研究者がいないということで、上田万年に勧められるままアイヌ語研究を始めます。実際に北海道へ渡りアイヌ語の採集を行ったことで研究に自信を付け、明治40年にはサハリンにて樺太アイヌ語の調査をします。40日の滞在期間で4000語彙と文法の採集に成功しました。この調査報告は大学の卒業式も終わっていた10月だったそうです。

明治45年10月、京助は東京開催された拓殖博覧会で日本の少数民族の挨拶や日常語を教えるアルバイトとして参加し、樺太アイヌの人たちにアイヌ語の聞き取りをおこなっていました。これによってサハリンへ調査に訪れたとき採集したユーカラ(叙事詩)に訳注をつけることができました。またこの時、ユーカラの中でも長大な「虎杖丸の曲(クズネシリカ)」の存在とそれを語れるユーカラ名人ワカルパの存在を知り、大正2年にワカルパを東京に呼び、約1か月で14篇の2万行の詞曲と10冊1千ページにのぼる口述を筆録したのでした。しかし、ワカルパからは全編を教えてもらうことはできませんでした。

その一方、樺太アイヌの指導者として集落の近代化や子どもたちへの教育に尽力し、南極探検に参加していた樺太アイヌの山辺安之助の半生を筆記翻訳し、「あいぬ物語」を刊行しました。
山辺安之助

山辺安之助


大正7年には、北海道調査旅行中にアイヌ語と日本語に堪能な知里幸恵に出会います。彼女を京助の家へ呼び寄せ、ユーカラをローマ字で筆録することを勧め、また今までわからなかったアイヌ語の文法を解説してもらいます。彼女の筆録を本として出版の話が進み、彼女は「アイヌ神謡集」を書きあげました。残念ながら心臓病を患っていたため執筆後に彼女は短い生涯を閉じます。

大正12年、途中になっていた「虎杖丸の曲」の続きを知るユーカラ名人黒川ツナレを訪ねます。黒川から語られたユーカラはワカルパの語ったものであり、途中だと思っていたユーカラは実は完結していたと解ったのでした。この時、黒川は危篤状態であるにも関わらず、必死に語ってくれたのでした。

昭和6年、京助のアイヌ語研究の集大成となる「ユーカラの研究:アイヌ叙事詩」I・IIが刊行されました。2巻合わせて1458ページの大著です。晩年は筆録したユーカラのノートの和訳注解の仕事に専念しており、これらは昭和34年から「アイヌ叙事詩ユーカラ集」として刊行されました。ただし9巻の訳注中に死去しています。

金田一京助と国語辞典

先に記したように金田一京助は、アイヌ語の研究に生涯を捧げた人物でしたが、なぜ国語辞典で名を知ることになったのでしょう。確かに京助は言語学者でもあります。国語辞典の編纂に参加されていてもおかしくはありません。

現に昭和18年に刊行された「明解国語辞典」はベストセラーとなっています。ですがこの辞典は、当時東京帝国大学大学院生だった見坊豪紀(日本語学者)が院生の名で辞書を出すわけにいかず、辞典の出版社(三省堂)を紹介してくれた京助の名前を借りたものだったのでした。
実際に「金田一京助 編」と記された辞典はたくさん出版されていますが、京助の長男である金田一春彦は「「金田一京助 編」と銘打った辞書は多いが、名前を貸しただけのことで、実際にはほとんど手がけていない」と言っています。

ですが戦後、三省堂が新しい教科書指定にあわせて国語の教科書をつくるため、京助・春彦親子に執筆を依頼しており、三省堂「中等国語 金田一京助編」は発刊後から10数年にわたって採択数トップとなった国語教科書でした。それだけ、言語学者として金田一京助は素晴らしかったのだと思います。
金田一春彦

金田一春彦

おしまいに

自分は東日本に住んでいるので、沖縄の言葉(琉球言語)や沖縄の文化に触れることは度々ありますが、アイヌ語はなかなか目にしません。これを機にアイヌ語を始めアイヌについて調べてみようと思いました。
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