『メッツ』の前身
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写真は、1967年6月、大阪フェスティバル・ホールでのジャニーズのミュージカル『フォーリーブス物語』。写真はブログ「自由にうたう」より。
1973年に結成した 通称:9人ジュニアとよばれる『ジャニーズ・ジュニア (第1期生)』のメンバーは、小坂まさる、板野俊雄、林明、畠山昌久、山縣孝良、鈴木寛、柏木孝夫、近藤純市、吉田義久。
コンサートやテレビの歌番組で、フォーリーブスや郷ひろみのバックダンサーを務めました。
コンサートやテレビの歌番組で、フォーリーブスや郷ひろみのバックダンサーを務めました。
1974年夏に9人の『ジャニーズJr』第1期生のメンバーが2つのグループに分割されます。
一つはフォーリーブスのコンサートのバックダンサーチームに板野俊雄(トシちゃん)、林正明(マーちゃん)、畠山昌久(チャーリー)の3人が後の『ジャニーズ・ジュニア・スペシャル”(JJS)』になる『ジュニア・スペシャル』。
残りの6人が『メッツ』の前身にあたる、郷ひろみのコンサートのバックダンサーチーム『ジュニア・エース』に編成変えされました。
一つはフォーリーブスのコンサートのバックダンサーチームに板野俊雄(トシちゃん)、林正明(マーちゃん)、畠山昌久(チャーリー)の3人が後の『ジャニーズ・ジュニア・スペシャル”(JJS)』になる『ジュニア・スペシャル』。
残りの6人が『メッツ』の前身にあたる、郷ひろみのコンサートのバックダンサーチーム『ジュニア・エース』に編成変えされました。
『メッツ』のデビュー
夏のコンサートを終えた1974年9月、『ジュニア・エース』の小坂まさると近藤純市。
畠山昌久を除く残りの3名と『ジュニア・スペシャル』の山縣孝良がジャニーズ事務所に脱退を宣言して、ジャニーズ事務所の合宿所を退所します。
郷ひろみのジャニーズ事務所からバーニングプロダクションへ移籍にともない、6人のジュニアが一緒に移籍しました。
畠山昌久を除く残りの3名と『ジュニア・スペシャル』の山縣孝良がジャニーズ事務所に脱退を宣言して、ジャニーズ事務所の合宿所を退所します。
郷ひろみのジャニーズ事務所からバーニングプロダクションへ移籍にともない、6人のジュニアが一緒に移籍しました。
郷ひろみ - 花のように鳥のように - 1975
郷ひろみのバックで踊る『メッツ』のメンバー。
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この6人のジュニアが『メッツ』を結成、バーニングプロダクションからデビューします。
1975年2月23日の大阪は枚方市民会館にてステージデビュー。郷ひろみの『花のように鳥のように』のバックダンサーとして踊り、『Go & Mets』という名称で活動していました。
1975年2月23日の大阪は枚方市民会館にてステージデビュー。郷ひろみの『花のように鳥のように』のバックダンサーとして踊り、『Go & Mets』という名称で活動していました。
ユニット名『メッツ』の由来は、アメリカ合衆国ニューヨーク州が本拠地のメジャーリーグの「ニューヨーク・メッツ」からもじり、郷ひろみにより命名されました。
『メッツ』第1期(1975年 ~ 1977年)のメンバーは、小坂まさる、近藤純市、鈴木寛、吉田義久、柏木孝夫、山縣孝良の6人。
『メッツ』第1期(1975年 ~ 1977年)のメンバーは、小坂まさる、近藤純市、鈴木寛、吉田義久、柏木孝夫、山縣孝良の6人。
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『メッツ』のレコードデビュー
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『メッツ』第一期(1975年 - 1977年)メンバー
上段左から吉田義久(ヨシ坊)、近藤純市(ジャンボ)、鈴木寛(ヒロ坊)
下段左から柏木孝夫(タカちゃん)、小坂まさる(マチャル)、
山縣孝義(愛称・タカ坊)=リーダー。
上段左から吉田義久(ヨシ坊)、近藤純市(ジャンボ)、鈴木寛(ヒロ坊)
下段左から柏木孝夫(タカちゃん)、小坂まさる(マチャル)、
山縣孝義(愛称・タカ坊)=リーダー。
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『メッツ』がデビューした1976年には子門真人の『およげ!たいやきくん』や都はるみの『北の宿から』がヒットしていました。山口百恵の『横須賀ストーリー』とか、明るい曲はあまりなかったんですかね。
レディ・レイは最高さ!/メッツ
1976年2月シングル『レディ・レイは最高さ!・ひとりぼっちの夜』
最高なのに少し暗めの曲『レディ・レイは最高さ!』
最高なのに少し暗めの曲『レディ・レイは最高さ!』
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『メッツ』がリリースしたシングル
メッツ ジュディ・ランラン
1976年シングル『ジュディ・ランラン・ママルー』
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メッツ ダイナマイト・パーティー
1976年シングル「ダイナマイト・パーティー・愛する人へのラヴ・ソング」
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1972年12月のミュージカル『フォーリーブス物語 ~ 星に帰った若者』に後に『メッツ』のメンバーになる小坂まさる、板野俊雄、山縣孝良、鳥越晃の4名が出演。
この4人は、他の5人と一緒に1973年5月5、6日 に日本劇場で行われた『第49回 ウエスタン・カーニバル 郷ひろみショー』に出演し「理由なき反抗の」乱闘シーンを演じました。そしてこの時の9人のジュニアが『ジャニーズJr.』と再び呼ばれるようになります。