【訃報】「熊殺し」ウィリー・ウィリアムスさん死去。アントニオ猪木もコメント
2019年6月10日 更新

【訃報】「熊殺し」ウィリー・ウィリアムスさん死去。アントニオ猪木もコメント

”熊殺し” の異名で知られる米国人空手家のウィリー・ウイリアムスさんが6月7日、うっ血性心不全により死去しました。訃報に接し、アントニオ猪木さんもコメントしています。

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空手家ウィリー・ウィリアムスさんが死去。67歳。“熊殺し”の異名も

”熊殺し” の異名で知られる米国人空手家のウィリー・ウイリアムスさんが6月7日、うっ血性心不全により死去しました。67歳でした。

梶原一騎さん原作の劇画「空手バカ一代」でも度々登場し、日本人にも馴染み深かったウィリーさん。また、1976年製作の映画「地上最強のカラテPart2」では、身長196センチ、体重100キロの体格を生かし、グリズリーとの闘いを披露。そこから“熊殺し”の異名が生まれました。
1980年には、アントニオ猪木さんと東京・蔵前国技館で開催された格闘技世界一決定戦で対戦(ノーコンテスト決着)しています。さらに1992年には前田日明さんとリングスの舞台で対戦して敗退するなど、日本の格闘技ファンにはとても知られた存在でした。

晩年は木彫り職人になったとの噂もありましたが、ここ数年は心臓を患っていたようです。訃報に接し、ウィリーさんの長男は「父は空手をやっていたが、そこまで偉大な実績があるとは知らなかった。日本で父のことをニュースにしていただけることを光栄に思う」とコメントしています。

《グリズリーとの闘い動画》

極真 W.Williams (ウィリー・ウィリアムス)

アントニオ猪木もコメント

「ウィリー・ウィリアムス選手の訃報に、心から哀悼の意を捧げます。ウィリー選手との戦いは、新日本プロレスとカラテの、互いの誇りを掛けて臨んだ熱い戦いでした。今でもあの殺気溢れる蔵前国技館のリングを思い出します。戦いを離れゆっくりと休んで欲しいと思います。さようなら、ありがとう、ウィリー・ウィリアムス。アントニオ猪木」

《アントニオ猪木との一戦》

猪木VS ウイリー

エピソード

『地上最強のカラテPART2』で熊と素手で戦った事から“熊殺し”の異名をとったウィリーだが、後年その際の事を「熊が檻から出てきた途端、周りにいたスタッフたちが一斉に遠くへ走り去ってしまったんだ。自分の空手には絶対の自信を持っていたけど、あの時はさすがに逃げ出したい気分になったよ」とインタビューの中で述懐している。

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