高校球児として活躍した有名人【スポーツ選手編】
2018年8月1日 更新

高校球児として活躍した有名人【スポーツ選手編】

かつて白球を追っていた高校球児たちの中には、怪我の影響や才能の限界、あるいは、他に目指すべき目標ができたなどの理由から、野球の道を断念し、別のスポーツで才能を開花させた人もいるものです。今回は、そんな野球以外のプロスポーツ選手になった元球児たちを紹介していきます。

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阿竹智史(競輪選手)⇒県立徳島商業高校(徳島)

競輪選手の阿竹智史は、かつて、地元・徳島の甲子園出場常連校として知られる、県立徳島商業の野球部で鳴らした高校球児でした。

阿竹自身は、2年次と3年次の夏に甲子園の土を踏んでおり、特に、4番兼控え投手として臨んだ3年次には、1回戦で大会第2号ホームランを放つなど活躍。しかし、チームは三回戦で当たった長崎日大に2‐6で敗れ、敗退しています。
阿竹 智史

阿竹 智史

尾崎健夫(プロゴルファー)⇒県立海南高校(徳島)

プロゴルファーのジャンボ尾崎は、かつて西鉄ライオンズに所属していたプロ野球選手であり、徳島県立海南高校時代には、春のセンバツで初出場・初優勝も果たしています。
そんなジャンボを兄に持つ、ジェット尾崎こと尾崎健夫は、兄と同じ海南高校野球部に所属し、これまた兄と同じく、エースとして活躍します。伸びのある剛速球が持ち味で、素質的には兄を凌ぐとも言われていましたが、3年間通して、夏の甲子園出場は果たせず。
その後、ヤクルトスワローズに3位指名されるも、これを拒否。兄と同じプロゴルファーの道へと進むのでした。
尾崎健夫

尾崎健夫

金丸義信(プロレスラー)⇒山梨学院大学附属高校(山梨)

かつて、全日本プロレスやプロレスリング・ノアなどで活躍し、現在は新日本プロレスに参戦しているプロレスラー・金丸義信。彼は、スポーツの名門校・山梨学院大学附属高校の野球部に在籍し、1994年春の選抜高校野球には、控え投手ながらも出場しています。
金丸義信

金丸義信

北村晃一(プロゴルファー)⇒桐光学園高校(神奈川)

『行列のできる法律相談所』に出演するタレント兼弁護士として知られる北村晴男。その長男がプロゴルファーの北村晃一です。

北村親子は、2代に渡って高校球児の家系であり、父・晴男は、長野高校野球部に所属し、3年生の夏、甲子園を目指して長野県大会を戦っていましたが、準々決勝で敗退。そのままグローブとバットを置き、目標を弁護士に切り替えて、勉学に励んでいきます。
北村 晴男

北村 晴男

この父の夢を引き継ぐかのように、息子・晃一も幼少期より野球を始め、高校進学と同時に神奈川の名門・桐光学園野球部に入部。2002年春と夏の甲子園に内野手として控え扱いながらも出場し、見事、父の悲願を叶えたのでした。

桑田泉(プロゴルファー)⇒PL学園高校(大阪)

兄がやっていたから自分も…。そんな何気ないきっかけで、野球を始めた弟くんは数多く存在するもの。かつての巨人の大エース・桑田真澄の実弟で、現・プロゴルファーの桑田泉もその一人。

彼は兄と同様、PL学園高校野球部へ入部。当時は、PL学園黄金期であり、そのため泉の同期生には、立浪和義、片岡篤史、野村弘樹、橋本清など、後のプロ野球選手がズラリと揃っていました。

このような層の厚さもあって、1987年度における春夏連覇のチームへ帯同したものの、春はレフトでレギュラー、夏はベンチ要員と、安定した出場機会を得ることができませんでした。
桑田泉

桑田泉

竹谷佳孝(プロゴルファー)⇒宇部鴻城高校(山口)

山口県宇部市にある宇部鴻城高校。ここに通っていたプロゴルファーの竹谷佳孝も、甲子園を目指していた元・高校球児の一人でした。1996年の2年次にはショートのポジションで出場機会を得るも、腰痛が悪化し、選手生活を断念。高校卒業後から、北九州市の専門学校に入学し、プロを目指すこととなります。

なお宇部鴻城は、竹谷が卒業した5年後となる2003年に春のセンバツ、14年後となる2012年に夏の全国選手権に出場を果たしています。

日本ゴルフツアー選手権・森ビル杯(6月19~22日、茨城県・宍戸ヒルズCC)首位でスタートした竹谷佳孝が通算17アンダーでツアー初優勝を挙げた。

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