阿竹智史(競輪選手)⇒県立徳島商業高校(徳島)
競輪選手の阿竹智史は、かつて、地元・徳島の甲子園出場常連校として知られる、県立徳島商業の野球部で鳴らした高校球児でした。
阿竹自身は、2年次と3年次の夏に甲子園の土を踏んでおり、特に、4番兼控え投手として臨んだ3年次には、1回戦で大会第2号ホームランを放つなど活躍。しかし、チームは三回戦で当たった長崎日大に2‐6で敗れ、敗退しています。
阿竹自身は、2年次と3年次の夏に甲子園の土を踏んでおり、特に、4番兼控え投手として臨んだ3年次には、1回戦で大会第2号ホームランを放つなど活躍。しかし、チームは三回戦で当たった長崎日大に2‐6で敗れ、敗退しています。
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尾崎健夫(プロゴルファー)⇒県立海南高校(徳島)
プロゴルファーのジャンボ尾崎は、かつて西鉄ライオンズに所属していたプロ野球選手であり、徳島県立海南高校時代には、春のセンバツで初出場・初優勝も果たしています。
そんなジャンボを兄に持つ、ジェット尾崎こと尾崎健夫は、兄と同じ海南高校野球部に所属し、これまた兄と同じく、エースとして活躍します。伸びのある剛速球が持ち味で、素質的には兄を凌ぐとも言われていましたが、3年間通して、夏の甲子園出場は果たせず。
その後、ヤクルトスワローズに3位指名されるも、これを拒否。兄と同じプロゴルファーの道へと進むのでした。
そんなジャンボを兄に持つ、ジェット尾崎こと尾崎健夫は、兄と同じ海南高校野球部に所属し、これまた兄と同じく、エースとして活躍します。伸びのある剛速球が持ち味で、素質的には兄を凌ぐとも言われていましたが、3年間通して、夏の甲子園出場は果たせず。
その後、ヤクルトスワローズに3位指名されるも、これを拒否。兄と同じプロゴルファーの道へと進むのでした。
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金丸義信(プロレスラー)⇒山梨学院大学附属高校(山梨)
かつて、全日本プロレスやプロレスリング・ノアなどで活躍し、現在は新日本プロレスに参戦しているプロレスラー・金丸義信。彼は、スポーツの名門校・山梨学院大学附属高校の野球部に在籍し、1994年春の選抜高校野球には、控え投手ながらも出場しています。
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北村晃一(プロゴルファー)⇒桐光学園高校(神奈川)
『行列のできる法律相談所』に出演するタレント兼弁護士として知られる北村晴男。その長男がプロゴルファーの北村晃一です。
北村親子は、2代に渡って高校球児の家系であり、父・晴男は、長野高校野球部に所属し、3年生の夏、甲子園を目指して長野県大会を戦っていましたが、準々決勝で敗退。そのままグローブとバットを置き、目標を弁護士に切り替えて、勉学に励んでいきます。
北村親子は、2代に渡って高校球児の家系であり、父・晴男は、長野高校野球部に所属し、3年生の夏、甲子園を目指して長野県大会を戦っていましたが、準々決勝で敗退。そのままグローブとバットを置き、目標を弁護士に切り替えて、勉学に励んでいきます。
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この父の夢を引き継ぐかのように、息子・晃一も幼少期より野球を始め、高校進学と同時に神奈川の名門・桐光学園野球部に入部。2002年春と夏の甲子園に内野手として控え扱いながらも出場し、見事、父の悲願を叶えたのでした。
日本ゴルフツアー機構 - 北村 晃一選手のプロフィール
神奈川県の桐光学園高校時代は野球部に所属し、甲子園に2度出場。中央大学では法学部に在籍して当初は弁護士を目指していた。子供のころから遊び程度でやっていたゴルフでプロを目指そうと決意して本格的に練習を始めたのは大学4年から。大学を卒業した2008年にはQTの1次をクリアし、翌09年には早くもプロテストに合格した。
桑田泉(プロゴルファー)⇒PL学園高校(大阪)
兄がやっていたから自分も…。そんな何気ないきっかけで、野球を始めた弟くんは数多く存在するもの。かつての巨人の大エース・桑田真澄の実弟で、現・プロゴルファーの桑田泉もその一人。
彼は兄と同様、PL学園高校野球部へ入部。当時は、PL学園黄金期であり、そのため泉の同期生には、立浪和義、片岡篤史、野村弘樹、橋本清など、後のプロ野球選手がズラリと揃っていました。
このような層の厚さもあって、1987年度における春夏連覇のチームへ帯同したものの、春はレフトでレギュラー、夏はベンチ要員と、安定した出場機会を得ることができませんでした。
彼は兄と同様、PL学園高校野球部へ入部。当時は、PL学園黄金期であり、そのため泉の同期生には、立浪和義、片岡篤史、野村弘樹、橋本清など、後のプロ野球選手がズラリと揃っていました。
このような層の厚さもあって、1987年度における春夏連覇のチームへ帯同したものの、春はレフトでレギュラー、夏はベンチ要員と、安定した出場機会を得ることができませんでした。
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竹谷佳孝(プロゴルファー)⇒宇部鴻城高校(山口)
山口県宇部市にある宇部鴻城高校。ここに通っていたプロゴルファーの竹谷佳孝も、甲子園を目指していた元・高校球児の一人でした。1996年の2年次にはショートのポジションで出場機会を得るも、腰痛が悪化し、選手生活を断念。高校卒業後から、北九州市の専門学校に入学し、プロを目指すこととなります。
なお宇部鴻城は、竹谷が卒業した5年後となる2003年に春のセンバツ、14年後となる2012年に夏の全国選手権に出場を果たしています。
なお宇部鴻城は、竹谷が卒業した5年後となる2003年に春のセンバツ、14年後となる2012年に夏の全国選手権に出場を果たしています。
日本ゴルフツアー選手権・森ビル杯(6月19~22日、茨城県・宍戸ヒルズCC)首位でスタートした竹谷佳孝が通算17アンダーでツアー初優勝を挙げた。
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