イベンダー・ホリフィールド  戦慄の忍耐力 オリンピック の悲劇  そしてヒーローに
2024年2月18日 更新

イベンダー・ホリフィールド 戦慄の忍耐力 オリンピック の悲劇 そしてヒーローに

幼き日の聖書的体験。アメリカンフットボールとボクシングに熱中した少年時代。マイク・タイソンとの出会い。そしてオリンピックでの悲劇。

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イベンダー・ホリフィールドは信じられなかった。
頭を抱えられていたし、歓声が大きかったせいでレフリーの声は聞こえなかった。
レフリーのグリゴリエ・ノヴィチッチは、
「ストップを命じたが2人は打ち合い、イベンダーがバリーをノックアウトしたときも打ち合いをやめさせようとしていた」
というが、2人の間に割って入ったり、体を触ったりせず、口頭のみで分けようとしたことにも問題があった。
「失格はおかしい」
とにかくひどい判定に観衆は怒り、会場は収拾のつかない大混乱となった。
リング上で勝者のコールを受けたケビン・バリーは、イベンダー・ホリフィールドと握手し、その手を高く挙げ、
「君は正々堂々と試合に勝った」
といっていた。
グリゴリエ・ノヴィチッチは、警備員にガードされながら退場。
それでも罵声を浴び、モノを投げつけられ、伸びてきた手に着衣を裂かれた。
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イベンダー・ホリフィールドは、自信に満ちた何食わぬ顔で平然と試合場を出ていった。
アメリカのテレビ解説は
「ホリフィールドは冷静に耐えています」
と伝えたが、イベンダー・ホリフィールドは
「何とか怒りを抑え口から出そうになる言葉を飲み込んだ」
と文句もいわず判定を受け入れた。
本人は何もいわなかたが、アメリカアマチュアボクシング連盟会長、ロリング・ベーカーは抗議文を提出。
グリゴリエ・ノヴィチッチが、決勝進出を決めているアントン・ヨシポビッチと同じユーゴスラビア人だったことで大きな疑惑が起こった。
アマチュアボクシング規定でノックアウトされたボクサーは28日間試合をすることができないため、ケビン・バリーは決勝戦を戦うことができない。
すなわちアントン・ヨシポビッチは、戦わずして金メダルが決定したので、
「ホリフィールドはハメられた」
「ユーゴスラビアのレフリーによってユーゴスラビアの選手が金メダルをとった」
といわれた。
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リングの上に表彰台を置いて行われた表彰式で、首に銅メダルをかけてもらったイベンダー・ホリフィールドは、笑顔で持っていた小さなアメリカ国旗を振って歓声に応えた。
金メダルを首にかけ、1番高い場所に立っていたアントン・ヨシポビッチは、イベンダー・ホリフィールドに手を差し出した。
イベンダー・ホリフィールドが握手に応じると、その手を握ったまま、自分の立っている場所にイベンダー・ホリフィールドを引き上げ、2人は肩を組んで手を挙げた。
最終的に男子ボクシング競技は、12階級中、9階級でアメリカが金メダルを獲得。
しかし1番人気者になったのは、1番無名だった21歳のイベンダー・ホリフィールドだった。
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自己主張の国に生まれ、人種差別のつらさを経験して育ちながら、オリンピックという人生の大舞台で不公平なジャッジを受けても全体の調和のために甘受するイベンダー・ホリフィールドを人々は称えた。
イベンダー・ホリフィールドは、
「こういう悪いことがあった後は、飛び切りいいことがあるんだ」
とおどけたが、無名のボクサーから一躍有名人に。
オリンピック後、イベンダー・ホリフィールドは他の選手と一緒にホワイトは椅子に招待されて、ロナルド・レーガン大統領に会った。
アメリカ国内5都市で行われたパレードにも金メダリストと一緒に招待された。
彼は銅メダリストだったが、誰もが金メダリストの実力があることがわかっていて、
「愛してる」
「アメリカの誇りだ」
「君は真の金メダリストだ」
などとと声をかけた。
生まれて初めて人々に称えられ、イベンダー・ホリフィールドは失望を癒された。
家に戻ると郵便受けは、世界中から電報やハガキ、手紙でいっぱいだった。
郵便物はオリンピック後、数週間続き、イベンダー・ホリフィールドは、祖母のいっていたことを思い出した。
「神様を愛し、神様の思し召しで召された者には、どんなことでも一緒になっていい方向に働いてくれるんだよ」
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