ヤクルト・ギャオス内藤!ピッチ外でもお喋りで大活躍!本名をご存知ですか?内藤尚行と言います!
2016年11月25日 更新

ヤクルト・ギャオス内藤!ピッチ外でもお喋りで大活躍!本名をご存知ですか?内藤尚行と言います!

90年代の強いヤクルトを「投」から支えたギャオス内藤。人気者だった彼ですが、投手としても多くの名場面を演出しています。

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1993年 三者連続三振で優勝に貢献!

前日の1日、中日・落合博満一塁手に16号本塁打を浴びて首位を陥落したヤクルト。負ければシーズン初の同一カード3連敗となり、リーグV2に危険信号が点る試合だった。

「緊張で口の中が砂漠状態」の内藤だったが、古田敦也捕手との意思は一致していた。「3つのアウト全部、三振を取りに行こう。でないと、やられる」。

3番・パウエル中堅手。カウント2-2から137キロの直球は高めに浮いたが、ギャオスの気合い勝ちで空振り三振。

続く4番・落合との勝負は圧巻だった。1球目、2球目、すべてフォークボールで2-0と追い込んだ。「落合さんは3球勝負じゃないと仕留められない」。
古田が要求したのは、またフォーク。127キロ。真ん中からストーンと落ちたボールに、前日決勝打の落合のバットも反応できなかった。3球三振で二死。勝負はここで決まったといえる。

5番・彦野利勝右翼手には2-2から外角低めの真っ直ぐで見逃し三振。16球で最大のピンチを乗り切った内藤に古田がマスクを捨てて駆け寄ると、ナインもマウンドに集結。抱き合い、肩をたたき合い、まるで優勝したかのような歓喜の輪が広がった。

ヤクルトにとってシーズン100試合目。連覇か、V逸かの分岐点となるゲームで完全な負け試合を引き分けに持ち込み、優勝を勝ち取った。日本シリーズでも西武を4勝3敗で倒し、15年ぶりの日本一となった。
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千両役者だったギャオス内藤
サインにも「ギャオス」の文字!

引退後も野球に携わっていた!

アール・エフ・ラジオ日本およびJ SPORTSで解説者を務めるほか、プロ野球マスターズリーグでは名古屋80D'sers に所属。
2006年 - 2007年シーズンで優勝した際の記念撮影ではなぜか上半身裸になっている。

また、2006年に同チームが中日ドラゴンズのファン感謝デーでエキシビションゲームを行なった際、福留孝介に本塁打を浴びている。

2013年からは新潟アルビレックスBCの監督を務める。登録名はギャオス内藤、背番号は現役当時に付けていたうちの1つである24。なお、解説者活動も継続して行っていたが、2014年シーズン終了後に監督退任が発表された。
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新潟アルビレックスBCの監督時代
「プロ野球独立リーグ・BCリーグ」新潟アルビレックスBCの監督時、登録名が「ギャオス内藤」でした。
明るさを忘れない彼らしいですよね。

高校進学の際、野球の強豪校に入れずに悔しい思いをした内藤。
ですが、入学した豊川高校には、プロのスカウトも視察に訪れる先輩がいました。
その時、スカウトの目に留まったもう一人が内藤でした。
そこから夢だったプロへの道が開けていきました。

若手の頃に野村監督が就任したりと、運にも恵まれていた内藤。

これからも良い巡り合いがあって、充実した指導者人生を歩めると良いですね!
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