バス・ルッテン  Jumping Splits
2016年11月25日 更新

バス・ルッテン Jumping Splits

パンクラスでは打撃による「秒殺」を量産。また「打・投・極」の総合格闘技3要素の中でほぼ投げを省き「打・極」という新しいスタイルを確立させた。常に笑顔で明るくノリノリな一面と妙に礼儀正しい一面、そして戦いの中でみせるコワい一面。いろいろ興味深い人だけれど、心が大きくて強いのは間違いないと思う。

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1997年、バス・ルッテンはとガールフレンドはアメリカに移住した。
ビバリーヒルズで格闘技のインストラクターをして、映画俳優としてもデビューした。
そしてケージ(金網)の中に入ってファイトするための準備を開始した。
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1999年1月9日、UFC初参戦となったUFC 18のメインイベントで高阪剛と対戦。
パンチラッシュでTKO勝ちした。
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1999年5月7日、UFC 20でケビン・ランデルマンと対戦。
2-1の判定勝ちを収めUFC世界ヘビー級王座を獲得した。

「私は待ち望んでいました。」

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振り返って、バス・ルッテンは素晴らしい人生を送ってきたと感じている。
「最初の16年間
私は敗者でした
劇的な変化が起こること以外
いったい何を人生に期待できるたでしょう
でも私は待ち望んでいました
そしてすべてが意外にも変化したとき
私は人生を十分に生き抜くためにすべての好機を捕らえて飛び込みました
それからバランスをとって
それまでの生活に欠いていたものを補えたと思えるようになるまで
10年から11年かかったのではないでしょうか
最近日常生活にますます余裕があるのです
安定した関係や目標、すべてのものが心の安らぎとなっています
ときどき年月を振り返って
ものごとがどう変化したかみることはとてもいいものですね
1997年の春
小学校で6歳から11歳までの同級生との同窓会がありました
近視でやせっぽっちで喘息もちのビン底メガネだった私をいじめていた同級生です
男の子にとって私をいじめることはスポーツのようなものでした
しかし同窓会までにはオランダ中の人は
国営テレビのスポーツ番組や新聞や週刊誌で私をみていました
しかし明らかに何人かの同級生は
チャンピオンのバス・ルッテンが
あの弱くハンディを背負ったクラスメイトと同人物だとは信じられなかったようです
私は同窓会の会場に入りふざけて叫びました
「小さなバスだぞ
さあ誰が僕を殴るのかな?」
彼らは本当に震えて仕返しをしたがっているのではないかと怖がりました
誰かの後ろに隠れたままの者までいたくらいでした
私は面白くて大声で笑ってしまいました
でもある意味ではとても気持ちよかったのです」
via レジェンド オランダ格闘家列伝

レジェンド~オランダ格闘家列伝~

1,800
フレッド・ロイヤース & クン・シャルンベルフ 著
単行本: 242ページ
出版社: 気天舎 (1997/11)
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