実力光る問題児ケンドー・カシン(石澤常光)のやりたい放題ヒストリー
2016年11月25日 更新

実力光る問題児ケンドー・カシン(石澤常光)のやりたい放題ヒストリー

誰もが認める実力の持ち主であるケンドー・カシン(石澤常光)がなぜか稀代の問題児となり、新日本プロレス、全日本プロレスでやりたい放題の大暴れ。そんな個性派レスラーのケンドー・カシンのヒストリーを追う。

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異種格闘技戦の元祖といえば、アントニオ猪木。猪木はPRIDEのリングに上がりたいという選手を積極的に応援したし、シュートが強そうなレスラーを誘った。
まさに石澤常光もその一人だ。
プロレスラーが出場すれば、プロレスファンが観る。観客動員力の意味でも石澤常光は引っ張られた。

石澤常光が、ハイアン・グレイシー戦が決まってから、必死に猛特訓したことは当たり前の話だが、そこを見せないのがケンドー・カシン。
マスクを被り、「石澤は練習で忙しいので代わりに来た」「誰と闘うか聞いてない」「名前だけは覚えた」など、いつものプロレス的パフォーマンスを敢行。
ケンドー・カシンにとってこの程度は序二段だが、このノリがグレイシーに通用するわけもなく、ハイアンは「舐められた」「バカにされた」「絶対に許さない」と大激怒。

だから試合は、ゴングが鳴る前からハイアン・グレイシーが猛獣のようにいきり立っていた。
石澤常光のセコンドには、盟友の藤田和之がついた。
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試合開始早々、ハイアン・グレイシーは鋭いタックルで石澤常光をコーナーに追い詰める。石澤はフロントチョーク。しかしハイアンが離れると同時に顔面にパンチ、ニーパット! 石澤も立ち上がるが、ハイアンが猛然と左右のパンチ連打を顔面に叩き込むとレフェリーが止めた!
早過ぎる。止めるのがあまりにも早過ぎる。
ハイアンは興奮状態で喜びを露わにし、藤田和之が石澤を抱き締める。
しかし石澤の顔は腫れていないし、流血もしていない。本当に衝撃のあるパンチなら倒れているはずだ。
プロレスではダウンもしていないのにレフェリーストップはあり得ない。これが他流試合の怖さであり、慣れていないルールで闘う危険さだ。
石澤常光はこの日から「時計の針が止まった」と言った。
想像を絶するショックを受けたに違いない。

時計の針を再び動かず方法は、もう一度ハイアン・グレイシーと対戦し、勝つこと以外にない。
もしも同じ相手に二度も負けたら、精神的ダメージは計り知れない。

石澤常光VSハイアン・グレイシー

2001年7月、PRIDE15
2001年7月、PRIDE15で再戦した石澤常光とハイアン・グレイシー。
石澤常光は冷静沈着な試合運び。
ハイアン・グレイシーの打撃を警戒したら普通は飛び込めないが、勇気がある石澤は高速タックルでハイアンを倒す。
寝技に持ち込めば石澤が有利か。ハイアンも柔術の選手だから寝技は苦手ではないが、石澤はレスリング日本一の実力が光る。
上からハイアンの顔面にパンチ、脇腹に膝蹴り!
何度か立ち上がって打撃戦に持ち込もうとするハイアンだが、石澤が素早くタックルしてハイアンを倒し、脇腹への膝蹴りと顔面へのパンチ攻撃。
アクシデントか、ハイアンが苦痛の表情で自分の脇腹を差してレフェリーにアピール。レフェリーが試合を止めてドクターを呼ぶ。
石澤常光の完勝だ!
ついに止まっていた時計の針を再び動かすことができた。
それにしても、絶対に負けられない試合なのに、落ち着いてファイトできる石澤常光のハートの強さは素晴らしい。
ともあれ、プロレスラー・石澤常光の実力を証明できて良かった。
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ケンドー・カシンVS成瀬昌由

ケンドー・カシンVS成瀬昌由

2001年10月8日、東京ドーム。IWGPジュニアヘビー級選手権。
ケンドー・カシンの試合で忘れられない一戦がある。
今でも強烈な印象が残っているIWGPジュニアヘビー級選手権。
これはケンドー・カシンの強さを物語るのに欠かせない試合である。

リングスの成瀬昌由が新日本プロレスに殴り込み、2001年7月20日、札幌ドームでIWGPジュニアヘビーチャンピオンの田中稔を破り、成瀬昌由が第40代王者に君臨。
この時のフィニッシュ技がクレイジーサイクロン。半回転してバックブローのように掌打を打つ技だが、空手をやっている成瀬だけに強打かもしれない。
新日本プロレスがこのまま黙っているわけにはいかない。
2001年10月8日、東京ドームで王者の成瀬昌由に挑戦するのは、稀代の問題児・ケンドー・カシンだ。
実力文句なしのカシンへの期待は極めて大きかった。

いよいよケンドーカシンが入場・・・と思ったら、何と素顔の石澤常光が現れたから場内はどよめきと大歓声。
運命のゴング。成瀬はいきなり張り手連打とキックのコンビネーションで石澤を追い込み、必殺技クレイジーサイクロン!
石澤が一発でダウン。成瀬が石澤を投げようとした次の瞬間、石澤が十八番の飛びつき式腕十字固めで成瀬をとらえる・・・即タップアウト! ファンは大興奮。
試合時間は何と、0分26秒!
石澤常光が第41代IWGPジュニアヘビー級チャンピオンとなった。
世界の荒鷲・坂口征二からベルトとトロフィー、認定書などを受けるが、いきなりトロフィーとベルトを投げ捨て、認定書をビリビリに破いてリングを下り、去っていった。
これは何かのメッセージなのか?
バックステージにカメラが回ると、マスクを被ったケンドー・カシンが登場し、「石澤勝ったの?」と聞く。
「じゃあベルトをもらっておく。よくやった。褒めてやる」
そう言ってケンドー・カシンはベルトを持って去っていく。
秒殺劇といい、そのあとの行動といい、ケンドー・カシンならではとしか言いようがない。

ケンドー・カシンVS桜庭和志

ケンドー・カシンVS桜庭和志

2000年12月31日、大阪ドームで猪木祭。
因縁の対決、ケンドー・カシンVS桜庭和志。
1995年に勃発した新日本プロレス対UWFインターの全面戦争の時、石澤常光は桜庭和志にタッグとシングルで連勝。
そのあと二人は全く違う道を歩んだ。
その因縁の両雄が2000年の大晦日に、猪木祭のリングで激突。
夢の対決だったが、二人は思いっきりショーアップなプロレスをしてしまった。
真剣勝負のプロレスを求めたのは甘かったかもしれない。
ケンドー・カシンは白覆面で入場。完全にアントニオ猪木の全然謎ではない謎の白覆面の真似だ。
そして桜庭和志はケンドー・カシンのマスクを被って入場。しかし、両者ともオープンフィンガーグローブを装着していた。
試合は、桜庭和志がマスクのまま闘い、上になり、左右のパンチ連打からモンゴリアンチョップ!
総合格闘技PRIDEのリングで、グレイシー相手にモンゴリアンチョップを炸裂させたファイターは桜庭だけだ。
まさかここでも出すとは。怒りのカシンは反撃し、桜庭のマスクを剥ぎ、ようやく素顔の桜庭和志になった。
桜庭は炎のコマ。そしてジャイアント馬場を意識したのか、いきなりココナッツクラッシュ!
カシンもエルボースマッシュ、スープレックス、アームロックと攻める。
桜庭も腕十字固めを決めるがカシンがロープ。カシンも飛びつき式の三角絞めを決めたが、桜庭の髪をつかんでの三角絞めなので反則のためブレイクを命じられる。
納得いかないカシンはレフェリーをどつき、襟首を掴んで迫るが、桜庭がカシンの背中にドロップキック!
カシンは場外に転落。

ケンドー・カシンVS桜庭和志②

2000年12月31日、大阪ドームで猪木祭。
場外に落ちたケンドー・カシンめがけて、桜庭和志がトップロープを両手でつかみ、飛んだ! まさかのブランチャー!
「一度やってみたかった技」と語っていた桜庭。確かにUWFやPRIDEではできない。
もちろん総合格闘技にはない場外乱闘も桜庭はまるで水を得た魚のよう。カシンを思いきり鉄柵に叩きつけ、リングに上がるが、ファンに人差指を立てて見せて「もう一度」とアピールし、ブランチャー・・・はすかされた。
腹部を痛める桜庭。カシンは場外で片エビ固め。無意味な行動だ。
リング上では、カシンがストンピング、エルボー。しかし桜庭もカシンをコーナーに叩きつけてジャンピングニーパット!
これは坂口征二かジャンボ鶴田か?
さらにカシンのバックを取った桜庭が投げっ放しジャーマン! もう一度バックを取って今度は鮮やかなジャーマンスープレックスホールド!
カウントツーで返すカシン。
桜庭は完全にプロレスをしている。カシンをコーナーポスト最上段に乗せて、武藤敬司ばりのフランケンシュタイナーを狙ったかに見えたが、カシンのまさかの金的攻撃で桜庭がリング上に転落。
UWFだったら反則負け。PRIDEだったら永久追放だ。
今度はカシンが桜庭をブレーンバスターの形でコーナーポストに乗せ、雪崩式ブレーンバスターを狙う。しかし桜庭がカシンにアームロック!
コーナーに両選手が上がっている状態での腕固めは普通ない。カシンがたまらずタップアウト!
実況アナも「何という結末!」
本当に何という結末だ。言うまでもなくコーナー上での腕固めは反則だが、カシンがタップアウトしてしまったため、試合終了。
反則技だからタップアウトは無効でもいいが、流れからして完全にショーなので、レフェリーも深く追及しない様子。

腕を押さえながら退場してくるカシンに、アナウンサーが「今の試合を振り返って」と聞くと、「おまえが振り返れおまえが。オレに振り返らせるな」
どこまでもケンドー・カシンだった。

新天地・全日本プロレスへ移籍

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2002年に新日本プロレスを離脱。武藤敬司、小島聡とともに、ケンドー・カシンも全日本プロレスへ移籍。
カシンは「過去を反省して生まれ変わります」とコメントしたが、新日本プロレス時代以上に自由奔放、神出鬼没のやりたい放題。
北斗晶とシングルマッチをやったり、自由自在に暴れた。
2000年にプロレスリング・ノアの旗揚げで全日本プロレスの選手が大量離脱し、全日本プロレスの主力日本人選手は川田利明と渕正信の二人だけになってしまった。
渕はスーツ姿で新日本プロレスに紳士的に挨拶に来て、現場監督の長州力と固い握手を交わし、新日本プロレスとの交流戦で活路を開こうとした。
しかしリング下にいた蝶野正洋が血相変えてリングに上がり、マイクで「ここはおまえが来るところじゃねんだ! とっとと出てけ!」
渕は冷静に笑顔で聞いていたが、長州力がマジギレして蝶野と激しい口論をするから観客は大興奮。
途中から蝶野の加勢をした天山に、長州力が激怒の目でボディにキック!
マイクを通していないから聞こえなかったが、おそらく長州力のいつものセリフ「とっとと死ね!」と叫びながら蹴ったか?
渕正信のおかげで、ベストバウトにしたいくらいのエキサイティングな場面が見られた。
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長州力や蝶野正洋のように、強烈な個性を持っているプロレスラーは、何をやっても絵になるし、台本なしの阿吽の呼吸で盛り上がるサイドストーリーをつくることができる。
阿吽の呼吸か、演技ではないマジギレか、見抜けないのがプロフェッショナルだ。
ケンドー・カシンもキャラクターが確立されているプロレスラーだから、どこの団体へ行っても熱烈歓迎される。

移籍というと、すぐにギャラの話が出るが、誇り高きプロレスラーがギャラ以上に嬉しいのは存在を重んじられることだ。
自分の個性と実力に自信があるプロレスラーが、新天地を求めて移籍するのは、どこでも通用するか試してみたいからではないかと推測する。
新日本プロレスの武藤敬司が私服で全日本プロレスの会場に姿を現したらざわめきが起こり、黙って観客席にすわると、どよめきと大歓声。
プロレスリング・ノアへの大量離脱の時だけに、「もしも武藤が全日本に来てくれたら?」というファンの期待の高まりを一身に浴びる。
プロレス専門誌もビッグニュース扱いで、これはプロレスラー冥利に尽きる。
ケンドー・カシンも、全日本プロレスという新天地へ行けば、対戦相手もほとんどが初対決だし、全てに新鮮。
自分を試してみたいと思っても不思議ではない。
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