この後も巻末ページからの逆開きの形で、残りの5回が連載形式で掲載された。
ただ残念ながら、2回目以降はカラーページは無し。基本的に全編フルカラーが普通なアメコミだけに、単行本の様にとまでは言わないが、せめて全6回とも2色カラーにして欲しかった・・・。
実は70年代以降の講談社のマンガ誌は、マーベルのヒーロー物コミックスの日本オリジナル版がいち早く掲載されたり、週刊少年マガジンの巻頭グラビアでも、女性スーパーヒーロー大流行!の特集が掲載されるなど、アメコミに対しての意識が非常に高かった。中でも有名なのは、1970年2月号から月刊別冊少年マガジンで連載が始まった、池上遼一先生版の「スパイダーマン」だろう。
ただ残念ながら、2回目以降はカラーページは無し。基本的に全編フルカラーが普通なアメコミだけに、単行本の様にとまでは言わないが、せめて全6回とも2色カラーにして欲しかった・・・。
実は70年代以降の講談社のマンガ誌は、マーベルのヒーロー物コミックスの日本オリジナル版がいち早く掲載されたり、週刊少年マガジンの巻頭グラビアでも、女性スーパーヒーロー大流行!の特集が掲載されるなど、アメコミに対しての意識が非常に高かった。中でも有名なのは、1970年2月号から月刊別冊少年マガジンで連載が始まった、池上遼一先生版の「スパイダーマン」だろう。
その流れがあったからこそ、この「新たなる希望」でも当時マーベルから出版されたアメコミを、そのまま翻訳して掲載したと思われる。
ちなみに、翌年の1979年に公開された映画「スーパーマン」に対しては、月刊少年マガジン誌上に日本オリジナル設定の「スーパーマン」のマンガが掲載されたが、残念ながら映画自体のコミカライズ版が掲載されることは無かった。
ちなみに、翌年の1979年に公開された映画「スーパーマン」に対しては、月刊少年マガジン誌上に日本オリジナル設定の「スーパーマン」のマンガが掲載されたが、残念ながら映画自体のコミカライズ版が掲載されることは無かった。
最後に
日本初公開当時、残念ながら日本オリジナルのコミカライズが行われなかった、この「エピソードⅣ・新たなる希望」。
思えばこの年1978年こそ、日本におけるアメコミ文化定着の始まりの年となるのだが、このマーベルコミックス翻訳版掲載も、その重要な役割の一端を担う物だったと言える。ミドルエッジ世代の方の中にも、このエピソードⅣ「新たなる希望」が劇場で初めて見た映画だった、という方が多いはずだ。
この後、1980年に公開された続編「エピソードⅤ・帝国の逆襲」では、ついに日本オリジナルのコミカライズ版が掲載されることになるのだが、それは次回の後編で紹介することにしよう。
思えばこの年1978年こそ、日本におけるアメコミ文化定着の始まりの年となるのだが、このマーベルコミックス翻訳版掲載も、その重要な役割の一端を担う物だったと言える。ミドルエッジ世代の方の中にも、このエピソードⅣ「新たなる希望」が劇場で初めて見た映画だった、という方が多いはずだ。
この後、1980年に公開された続編「エピソードⅤ・帝国の逆襲」では、ついに日本オリジナルのコミカライズ版が掲載されることになるのだが、それは次回の後編で紹介することにしよう。
何と初回は100ページ一挙掲載!