極真分裂.04  みんな極真を愛していた
2020年11月8日 更新

極真分裂.04 みんな極真を愛していた

2000年以降、極真の分裂は沈静化。いろんなことがあったが、結局、みんな極真空手が好きだった。

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2002年1月16日、緑派は、特許庁に「新極真会」を商標申請。
しかし松井章圭の保持する商標と類似しているという理由から却下された。
緑健児は、松井章圭に和解を提案。
松井章圭はそれを受け入れ和解交渉が始まった。
「裁判というものはいかに有利に進んでいても何があるかわからない。
長引かせた方が不利になる傾向があるんです。
ある程度のところで裁判所は和解を求めてくる。
和解を拒否すれば印象が悪くなる。
判決が下る前にこちらに有利な条件を飲ませて和解に応じる方が得になる。
いわば判定勝ちという形をとる方を選んだということです」
(松井章圭)
 (2233558)

2002年1月11日、Kネットワーク主催の格闘技イベント「一撃」の旗揚げ大会が行われた。
ルールは、ほぼK-1、キックボクシングルール。
違うのは第7試合以外は3分3Rなこと。
代々木第二体育館は超満員になった。
大型モニターに、大山倍達やK-1での極真の快進撃が映された後、会場は暗転。
日本男児が太鼓を叩き、鎧武者が法螺貝を吹き、爆発が起こり、松井章圭が挨拶。
第1試合、マウリシオ・ダ・シルバ(180㎝100kg 極真) が 百瀬 竜徳(187cm 92kg 至誠館)を1R59秒で KO。
第2試合、重虎(186cm 77kg K-NET) がマルコス・コスタ(178cm 78kg 極真)に判定勝ち。
第3試合、中村 高明(188cm 73kg 藤原ジム) が ネステロフ・ヴィアチェスラブ(175cm 72kg 極真)に判定勝ち。
第4試合はボクシング・マッチで、ジョージ・アリアス(181cm 95kg アリアス・ジム)がチャン・ブーン(175cm 98kg ブリッジセインツリングサイドジム)を1R2分47秒でKO。
ジョージ・アリアスはフランシスコ・フィリョにボクシングを教えたボクサーだった。
ここで休憩が入り、天然理心流の剣道の演舞が行われた。
第5試合、松本 哉朗(182cm 77kg 新日本キック) がギャリー・オニール(172cm 76kg 極真)を1R 2分19秒TKO。
「鳥人」ギャリー・オニールは、いきなり上段後ろ回し蹴りからの踵落しを出したが、かわされストレート、アッパーをもらいダウン。
首相撲からの膝で2度目のダウン。
1R終了間際、右上段膝蹴りで終わった。
第6試合、セルゲイ・ブレカノフ(178cm 94kg 極真) が 窪田 豊彦(185cm 100kg 建武館)を1R 3分8秒でKO。
開始早々、セルゲイ・ブレカノフは首相撲からの膝のラッシュを浴び、ブレイクした一瞬、右フックをもらいダウン。
なんとか立ち上がったが、足はフラフラ。
相手のラッシュを顔面にもらいながら決して倒れず、ついに打ち疲れた相手の顔面に反撃のパンチを入れ始めた。
攻守逆転劇に観客は大歓声!
1R終了間際、セルゲイ・ブレカノフの胴後ろ回し蹴りが、窪田 豊彦のボディに刺さり呻くように前のめりにダウン。
ラウンド終了のゴングが鳴ってもカウントは続いた。
劇的な逆転KO勝利だった。
第7試合、武蔵(185cm 102kg 正道) が野地 竜太(186cm 105kg 極真)に5R判定勝ち。
23歳の野地 竜太は、世界大会で7位となった後、グローブ戦で3連勝している。
29歳の武蔵は、K-1ジャパンGP決勝戦で極真のニコラス・ペタスに敗れて以来の復帰戦。
1Rは互いに距離を取り、様子みしながらの静かな打撃の応酬に終始。
2R、常に前に出る野地 竜太に武蔵は距離を保ちながら、ローキックをつかんでストレート。
さらにミドルキック、ハイキックを次々に当てていく。
3R、野地竜太の右フックがヒット。
武蔵は大きく仰け反った。
イケイケの野地竜太は強烈なローキックからのパンチ。
終盤には再び右フックをヒット。
4R、武蔵がペースを取り戻し、前進してくる野地竜太にパンチやキックを合わせる。
5R、野地竜太はよく前に出たが、武蔵をとらえることはできず試合終了。
武蔵を崩せなかったが、「あわや」と思わすシーンをつくったグローブ4戦目のルーキーは将来有望だった。
松井章圭は、
「極真の館長が名前を出すべきではない」
という最高幹部会での梅田義嘉のアドバイスに従い、旗揚げ戦が終わった後、Kネットワークの実行委員長をやめてフランシスコ・フィリョを後釜に据えた。
 (2233560)

2002年 、八巻建志が極真会館を退会し、アメリカ、カリフォルニア州カルバーシティで八巻空手を発足。
「私は空手には無限の可能性があると思っています
度々、貧血で倒れるぐらいひ弱で
いじめられっ子だった私は自信が持てず
人の目を見て話すことも出来ませんでした
それが空手に出会って懸命に稽古を重ねていくうち、
10年後に全日本チャンピオンに、
15年後には世界チャンピオンになりました 
その間、100人組手という荒行をも完遂しました
そして自己の無限の可能性を確信しました
人の才能は継続することによって磨かれ開きます
継続的な空手の稽古から得られる自信は人の能力を無限に伸ばします
そしてそんな人は何事にも自信をもって臨めるようになるのです
稽古は無駄に長く時間を費やしたり、厳しければいいというものではけっしてないのです
継続するには楽しくなければいけません
私は楽しい空手を指導していきたいと思っています」
2002年2月5日、極真連合会の長谷川一幸、大石大吾、七戸康博、田畑繁、桑島保浩、三和純ら10名が、東京地方裁判所と大阪地方裁判所で、商標権をめぐって松井章圭を相手に裁判を起こした。
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極真会館のロシア地区は、盧山初雄が任されていた。
盧山初雄は西ロシアの育成に力を注いでいたが、東ロシアが疎かであることをみて松井章圭は、盧山初雄に東ロシアも細かく管理するよう要請。
しかし改善がみられなかったために国際秘書である五来克仁に東ロシアでの大会と合宿を開催を指示した。
これを知った盧山初雄は激怒。
2002年2月9、10日、モスクワで「ロシアンカップ2002」が開催されたが、盧山初雄は
「いくら私がロシア担当とはいえ、自分で全て確認しながら準備した大会でない以上、何かあったときに責任が取れないので、今回の大会には行かない。」
と欠席。
大会後、行われた国際会議で、盧山初雄はロシア担当を罷免された。
帰国後、松井章圭は梅田義嘉に報告した。
「盧山師範にはロシア担当から外れてもらいました」
「君は毛唐と盧山師範のどっちを信じるんだ?」
「先生、今の言葉は取り消してください。
先生は民族差別する人なのですか?」
松井章圭は強く戒め、梅田義嘉は発言を撤回した。
しかし内心、怒っていた梅田義嘉は周囲に
「私はもう松井君を2代目とは認めない」
と漏らした。
2002年2月22~25日、松井章圭は、数見肇と共に東ロシアで合宿を行った。
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奈良県の大会に出席した盧山初雄は、大会後、若手の支部長たちと飲んでいた。
そして酒に勢いもあって
「梅田先生が松井館長に降りてもらうといっている。
もし松井が除名されたらお前たちはどうする?」
と冗談交じりにいった。
酒好きで腹のない盧山初雄をよく知っている人間なら
「師範、またそんなこといって!」
と笑い話ですんだかもしれないが、若手支部長たちにとって盧山初雄といえば神様であり、その発言は重いものがあった。
堀田裕晴が総本部に報告したことによって思いもよらず大事に発展した。
「館長降ろしの計画あり」
「盧山のクーデーター計画」
と話が誇張され広がってしまい
郷田雄三は
「酒の席の冗談とはいえ済まされない」
と激怒した。
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2002年10月16日、
「松井君、いつでもいいから極真を財団法人化する、新会館を建設するといってくれ。
せめて意志だけでもみせてくれ」
最高幹部会で、梅田義嘉が迫ったが、松井章圭は黙ったままだった。
「総裁が亡くなって10年も経つのに財団法人化も新会館設立もまったく進まず、極真奨学会もそのままになっている。
それで「一撃」なんていうものを始めるのはおかしい。
「一撃」で儲けた金をすべて松井君が懐に入れているんだろう」
この言葉に松井章圭はそれまでためていた不満をぶつけた。
「10年も経っているとおっしゃいますけど、たかが10年しか経っていないんです。
しかも最初の数年は分裂騒動で組織固めができなかった。
でもきちんと考えているし努力もしていると何度も報告したじゃないですか。
それも認めてくれないんですか?
私も先生にいいたいことはあるんです。
いつもああしろこうしろといいますが先生が何か協力してくれたことがありますか?
財団化するには大金が必要です。
でも梅田先生は寄付どころか後援者1人紹介してくれない。
新会館建設もそうですよ。
早く建てろというのは簡単ですけど現実問題として旧会館を管理している遺族との関係がクリアになっていない。
遺族と和解するために先生が何かしてくれたんですか?」
「松井君は総裁の意志に反している。
私は君を2代目と認めない。
今後は君と距離を置く」
「先生、座ってください。
話し合いましょう」
梅田義嘉は松井章圭の引き止めに応じずに去った。
会議は続き、松井章圭はロシアや奈良県でのことを挙げ、盧山初雄に役職から退くようお願いした。
「師範、表面上だけでも最高顧問や国際委員の肩書を外してください」
盧山初雄には、最高顧問、首席師範、国際委員、大会審判長、北関東地区本部長、埼玉県支部長という肩書があった。
松井章圭は、クーデターなどは誤解であることはわかっていた。
肩書を外すのも形式的なことで、事態が収まれば戻すつもりだった。
「謹慎という形でしばらく公の場に出ないということではダメなのか?」
盧山初雄は、松井章圭が落としどころを提示してくれているのだから素直に謝り、従えばよかったが無理だった。
松井章圭も、役職を辞めてもらう必要があると頑なに譲らなかった。
互いに感情的になっていた。
「もし私が辞任しないといったらどうなるんだ?」
「除名させていただきます」
「ああ、そうか」
盧山初雄は憤然と立ち上がった。
最悪の会議が終わった後、郷田雄三は盧山初雄に電話を入れた。
「郷田師範、私は自ら極真会館を去るつもりはありません。
しかし除名というならその決定に従います」
 (2233568)

2002年11月2、3日、松井派が第34回全日本大会を開催。
世界大会でフランシスコ・フィリョに敗れ、2位となった数見肇が優勝。
つらい時間を乗り越え復活した。
盧山初雄は大会を欠席していたが、大会後行われた全国支部長会議で除名が決定された。
2002年11月25日、数見肇が松井章圭に退会届を提出。
2002年11月26日、廣重毅が郷田雄三に
「一身上の都合により」
とだけ書いた退会届を提出。
2002年11月29日、鳥取県、島根県支部長で盧山初雄の弟子である湖山彰夫も退会届を提出。
2002年12月、株式会社ケイワンが法人税法違反の容疑で強制捜査を受け、石井和義が法人税法違反の容疑で在宅起訴された。
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2003年1月13日、盧山初雄が、ビジネス空手、ショー空手ではなく武道空手、一撃必殺の空手、最強の空手を目指すため、「極真館」を発足。
「私たちの師である故・大山倍達総裁は、その生涯をかけて武道空手としての極真空手の完成を追求しておられました。
空手の道を志した弟子たちが武道としての空手を地道に研鑽していくことによって、
強さとともに人間として完成し、社会にとって役立つ人間を育成するという壮大なる目標を持っておられたのです。
それは総裁が口ぐせのように言われていた「頭は低く目は高く、口を慎んで心広く、孝を原点として他を益す」という言葉に集約されています。
その武道空手の理念は「極真精神」とも呼ばれ、門下生たちの心の支えであり、人生の指針でもありました。
私たちは、大山倍達門下生の一員であることに限りない誇りを持ち、
その教えを指針として極真の道を全うすべく、生涯をかけて努力精進を続けていく決意です。
そして大山倍達総裁の武道空手の理念と極真精神を正しく継承し、広く普及して、発展させていくことが使命だと考えています」
館長:盧山初雄
副館長:廣重毅
本部長:湖山彰夫
副本部長:岡崎寛人(元極真会館福島県支部長)
極真会館時代からの盧山初雄の拠点だった埼玉県の青木会館でパーティーが開かれ、800人が訪れた。
数見肇が氷柱割を行った。
 (2233922)

その後、数見肇は、神奈川県川崎市川崎区大島に数見道場を設立。
空手だけでなく、柔術、キックボクシングや総合格闘技の練習も行った。
ファンは「K-1」や「PRIDE」など格闘技イベントに参戦することが期待するファンもいたが実現することはなかった。
その生ける達人的な存在は、格闘技界においても大きなものがあった。
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2003年1月22日、大西靖人が肝臓ガンで死去。
44歳だった。
葬儀場には妻と共に愛人だった石野真子の姿もあり、死んだ後も豪快だった。
2003年2月3日、石井和義が証拠隠滅教唆容疑で逮捕された。
2003年4月15日、松井章圭と緑健児の和解が成立。
和解条件は不明だが、松井章圭は「新極真」の商標登録を認めた。
緑健児は、松井章圭に対する裁判を取り下げ、特許庁に「出願人名義変更届」を提出。
「新極真会」を松井章圭の名義で再申請。
2003年5月22日、石井和義は保釈金4,000万円を支払い保釈。
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