誰がなんと言っても、やっぱり“宇野ヘディング事件”でしょう!
でも、宇野選手を語る上でどうしても避けて通れない出来事が、ありますよね~!では、まずそれからご覧いただきましょう。詳しい話はそのあとで。
宇野ヘディング事件 !
伝説の宇野選手のヘディング事件。ピッチャーは後の中日の監督も務めた星野仙一。星野は宇野の珍プレーに監督になった後も悩まされることとなる。
高校時代から光っていた強肩!原のラブコールを振り切ってプロ入り!
プロ入り前には、宇野がショートストップとしてどれほど優秀であったかというエピソードがある。
同じ学年の神奈川・東海大相模の原辰徳三塁手から電話で『東海大学で三遊間を組もう』と誘われたが、家が裕福でなかった宇野は、原より先にプロで金を稼がせてもらおうという理由で中日ドラゴンズに指名を受けて高校からプロ入りに踏み切ったと言われる。
守備も攻撃も一か八か!
主なタイトル獲得&表彰
本塁打王:1回 (1984年)
表彰:
ベストナイン:3回 (1982年、1984年、1987年)
日本シリーズ敢闘賞:1回 (1988年)
月間MVP:4回(1983年8月、1984年8月、1987年4月、1990年7月)
またベストナインにも1984年のシーズンを含めショートストップとして3度選出されていることも特筆しておきたい。いきなりヘディング事件から入ったものの、その時代のショートストップには広島の高橋義彦、大洋の山下大輔、巨人の川相昌弘、ヤクルトの池山隆寛などのそうそうたるメンバーが揃っていた中でのベストナインなので、その価値がどれほどのものか想像に難くない。しかし、そんな人気者が揃っていた当時のセリーグで、なかなかオールスターには出場することはできなかった。
まあ、そういった輝かしい記録とは別次元で、我々が宇野魅せられたのは次のようなことが理由かもしれない。
(宇野は)80年代が全盛期で主に5番を打ち、長距離打者として活躍したが、強振するスタイルの影響もあり本塁打王を獲得した年はリーグ最多の117三振もあわせて記録する(前年も97三振でリーグ最多を記録)など、三振が多かった。
一般的には遊撃手は守備での負担が大きいといわれるが、宇野の場合は三塁手や外野手として出場すると打撃不振になることが多かった。全盛期には、8月に調子を上げて本塁打を量産することからファンやマスコミから「ミスターオーガスト」と呼ばれた。
そもそもは守備を評価されての入団であり、守備範囲はまずまずで強肩だったもののリーグ最多失策を7回記録している。
「燃えよドラゴンズ!78」では8番宇野がスクイズバント!?
燃えよドラゴンズ!79 -
この歌詞内で「8番宇野がスクイズバンド」という個所があるが、宇野いわく「スクイズはしたことがない」とのこと。
この後もいくつかドラゴンズの応援歌はつくられたが、いまだにダントツの人気を誇っているのがこの燃えよドラゴンズシリーズである。
最後はやっぱり好プレー珍プレー!みのもんたの名調子でお楽しみください!
プロ野球珍プレー 珍名人【宇野勝】
ヘディング事件の後、本人は好珍プレーで毎回の如く紹介されるのを嫌がっているが(その一方で「他人の珍プレーは面白い」とも発言している)、著書『ヘディング男のハチャメチャ人生』では「(ヘディングは)やって良かった。感謝している」と書いている。
生年月日 : 1958年5月30日
身長 : 180 cm
体重 : 75 kg
投球・打席 : 右投右打
ポジション : 遊撃手、三塁手、二塁手、外野手
選手歴 :
千葉県立銚子商業高等学校
中日ドラゴンズ (1977 - 1992)
千葉ロッテマリーンズ (1993 - 1994)
コーチ歴 :
中日ドラゴンズ (2004 - 2008, 2012 - 2013)