【宇野勝】元祖!「記録よりも記憶に残る」名選手
2016年11月25日 更新

【宇野勝】元祖!「記録よりも記憶に残る」名選手

プロ野球ファンで「記録はイチロー君にまかせて、僕は記憶に残る選手」という名言を残した新庄剛選手の事を知らない方はいないでしょう。ところが「記憶に残る選手」にも大先輩がいたんですね。その一人が宇野選手です。1984年の掛布との熾烈なホームラン王争いを繰り広げたり、ベストナインに3回も選出されていながらみんなの「記憶」には全く別な宇野選手が焼き付いています。プロ野球の面白さを120%教えてくれた、名選手。

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【宇野勝】基本情報

【宇野勝】基本情報

出身地 : 千葉県
生年月日 : 1958年5月30日
身長 : 180 cm
体重 : 75 kg
投球・打席 : 右投右打
ポジション : 遊撃手、三塁手、二塁手、外野手

選手歴 :
千葉県立銚子商業高等学校
中日ドラゴンズ (1977 - 1992)
千葉ロッテマリーンズ (1993 - 1994)

コーチ歴  :
中日ドラゴンズ (2004 - 2008, 2012 - 2013)

誰がなんと言っても、やっぱり“宇野ヘディング事件”でしょう!

宇野選手は中日ドラゴンズの不動の5番打者、そして強肩のショートストップとしていまだに中日ファンのみならず、プロ野球ファンの記憶に残っています。

でも、宇野選手を語る上でどうしても避けて通れない出来事が、ありますよね~!では、まずそれからご覧いただきましょう。詳しい話はそのあとで。

宇野ヘディング事件 !

1981年8月26日後楽園球場 読売ジャイアンツvs中日ドラゴンズ 戦。

伝説の宇野選手のヘディング事件。ピッチャーは後の中日の監督も務めた星野仙一。星野は宇野の珍プレーに監督になった後も悩まされることとなる。

高校時代から光っていた強肩!原のラブコールを振り切ってプロ入り!

宇野選手と言えばこのヘディング事件が有名ですが、実は野球選手としても素晴らしい名選手だったんです。その頭角は高校野球の時から表れていました。千葉県の名門、銚子商業でショートして1976年に甲子園に出場。その時の宇野の守備を中日のスカウトに買われ、その年のドラフト3位で中日ドラゴンズに入団することとなる。

プロ入り前には、宇野がショートストップとしてどれほど優秀であったかというエピソードがある。
同じ学年の神奈川・東海大相模の原辰徳三塁手から電話で『東海大学で三遊間を組もう』と誘われたが、家が裕福でなかった宇野は、原より先にプロで金を稼がせてもらおうという理由で中日ドラゴンズに指名を受けて高校からプロ入りに踏み切ったと言われる。

守備も攻撃も一か八か!

主なタイトル獲得&表彰

主なタイトル獲得&表彰

タイトル:
本塁打王:1回 (1984年)

表彰:
ベストナイン:3回 (1982年、1984年、1987年)
日本シリーズ敢闘賞:1回 (1988年)
月間MVP:4回(1983年8月、1984年8月、1987年4月、1990年7月)
1984年には37本のホームランを放ち本塁打王のタイトルを獲得している。しかし、この年のシーズン最終戦でもある129試合目と130試合目は、ホームラン王のタイトルを争っている掛布率いる対阪神戦であった。その時点で宇野と掛布は37本のホームラン数で並んでいたが、試合は両軍投手による掛布、宇野の敬遠合戦となり、結局この二人がホームラン王を分け合うこととなった。しかし、この両軍の敬遠合戦は後に物議をかもしだし、特に129試合目の7回裏2死満塁で宇野に打席が回ってきたが、この時もフォアボールで歩かされた。一般的にショートストップは守備の負担が大きい為、巧打者が少ないと言われているが、宇野が1985年に放った41本のホームランは、現在も遊撃手のシーズン本塁打数としては最高となっている。また、中日時代に打った334本塁打も球団史上最多記録となっている。

またベストナインにも1984年のシーズンを含めショートストップとして3度選出されていることも特筆しておきたい。いきなりヘディング事件から入ったものの、その時代のショートストップには広島の高橋義彦、大洋の山下大輔、巨人の川相昌弘、ヤクルトの池山隆寛などのそうそうたるメンバーが揃っていた中でのベストナインなので、その価値がどれほどのものか想像に難くない。しかし、そんな人気者が揃っていた当時のセリーグで、なかなかオールスターには出場することはできなかった。

まあ、そういった輝かしい記録とは別次元で、我々が宇野魅せられたのは次のようなことが理由かもしれない。
(宇野は)80年代が全盛期で主に5番を打ち、長距離打者として活躍したが、強振するスタイルの影響もあり本塁打王を獲得した年はリーグ最多の117三振もあわせて記録する(前年も97三振でリーグ最多を記録)など、三振が多かった。

一般的には遊撃手は守備での負担が大きいといわれるが、宇野の場合は三塁手や外野手として出場すると打撃不振になることが多かった。全盛期には、8月に調子を上げて本塁打を量産することからファンやマスコミから「ミスターオーガスト」と呼ばれた。

そもそもは守備を評価されての入団であり、守備範囲はまずまずで強肩だったもののリーグ最多失策を7回記録している。
また、あまり成功しない盗塁もたびたびトライしていたが、生涯盗塁成功数78盗塁に対して、96個も刺されている。こんなところも、セオリーや理論などではくくれない大物感が漂っている感じがしますよね。

「燃えよドラゴンズ!78」では8番宇野がスクイズバント!?

燃えよドラゴンズ!79 -

当時は「 二番 ギャレット送りバント」 という歌詞が、「助っ人に送りバントなんかさすな!」とドラゴンズファンから良く突っ込まれた「燃えよドラゴンズ!79」。

この歌詞内で「8番宇野がスクイズバンド」という個所があるが、宇野いわく「スクイズはしたことがない」とのこと。

この後もいくつかドラゴンズの応援歌はつくられたが、いまだにダントツの人気を誇っているのがこの燃えよドラゴンズシリーズである。

最後はやっぱり好プレー珍プレー!みのもんたの名調子でお楽しみください!

プロ野球珍プレー 珍名人【宇野勝】

宇野選手の人間らしさが存分に味わえる「好プレー珍プレー!」。みのもんたの名調子がぴったりマッチして、芸術的ともいえる作品に仕上がっています!
さらに、宇野選手は自身のヘディング事件について次のように語っている。
ヘディング事件の後、本人は好珍プレーで毎回の如く紹介されるのを嫌がっているが(その一方で「他人の珍プレーは面白い」とも発言している)、著書『ヘディング男のハチャメチャ人生』では「(ヘディングは)やって良かった。感謝している」と書いている。
我々に野球の楽しさを教えてくれた、本当に魅力的なプロ野球選手の一人です。これからもこの「宇野イズム」を継承する選手が出てきてくれることを切望してやみません。
18 件

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  • JUSTIN 2019/10/16 01:28

    記録よりも記憶に残ると言っても、NPB史上唯一の遊撃手でのホームラン王
    遊撃手シーズン最多41本のホームラン記録保持者。と記録にも残ってる大打者ですよ

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