ブーマー・門田・石嶺…史上屈指の破壊力を誇ったオリックス『ブルーサンダー打線'89』
2017年11月29日 更新

ブーマー・門田・石嶺…史上屈指の破壊力を誇ったオリックス『ブルーサンダー打線'89』

1989年、オリックス・ブレーブス発足。 前年に本塁打・打点の2冠王となった門田博光を南海から獲得。 ブーマー・門田・石嶺と破壊力のある長距離砲を揃えたクリーンナップを擁し『ブルーサンダー打線』と呼ばれた史上屈指の打線を振り返る。

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4番DH、門田博光

門田博光(かどた ひろみつ)

門田博光(かどた ひろみつ)

40歳となった1988年には打率.311、44本塁打、125打点で2冠を獲得し、史上最年長のMVPに選ばれた。
門田の加入によって『ブルーサンダー打線』が生まれた。
本塁打王3回、打点王2回、最高出塁率3回。
通算本塁打数・通算打点数共に歴代3位。
2006年野球殿堂入り

5番レフト、石嶺和彦

石嶺和彦(いしみね かずひこ)

石嶺和彦(いしみね かずひこ)

抜群の勝負強さが光る強打のクラッチヒッター。
1986年はDHでレギュラーの座をつかむと、3割33本塁打96打点をマークする活躍。オールスター出場を果たし、ベストナインにも選出されるなど一気にブレークした。
1985年から1994年まで10年連続2ケタ本塁打を達成。
芸術的な内角打ちは落合にも高く評価されており、後に落合が中日の監督になった際には打撃コーチとして招聘されている。

6番ライト、藤井康雄

藤井康雄(ふじい やすお)

藤井康雄(ふじい やすお)

現役通算282本塁打を記録した強打者。
通算満塁本塁打14本は中村剛也・王貞治に次ぐ3位。
代打満塁本塁打は、通算4本、シーズン3本(2001年)のいずれも、日本プロ野球記録。
『ミスター・ブルーウェーブ』と呼ばれた。

7番センター、本西厚博

本西厚博(もとにし あつひろ)

本西厚博(もとにし あつひろ)

外野守備の名手として知られ、派手さはないものの堅実なプレーを披露し、1989年にゴールデングラブ賞を受賞。
同年は規定打席不足ながら打率.302を記録するなど、打撃でも活躍した。
1994年には、当時レギュラーに定着してからまだ日の浅かった田口壮とイチローに外野守備の指導を施し、本西も含めた同外野手トリオは当時球界一の守備力と言われた。

8番キャッチャー、中嶋聡

中嶋聡(なかじま さとし)

中嶋聡(なかじま さとし)

球界随一の強肩もさることながら、打撃センスに優れ、俊足で盗塁も果敢に挑戦し走攻守すべての面を持ち合わせていたため、一時は「メジャーリーグに一番近い捕手」とまで言われた。
「捕手=巨漢・鈍足」といった従来のイメージを覆した選手である。

9番ショート、小川博文

小川博文(おがわ ひろふみ)

小川博文(おがわ ひろふみ)

1989年はキャンプで遊撃手にコンバートされ、弓岡敬二郎や山越吉洋とポジションを争った。
身体能力の高さやパンチ力のある打撃を監督の上田利治に評価されて114試合に先発し、規定打席には届かなかったもののレギュラーの座を勝ち取った。
1995年の優勝、1996年の日本一に貢献。
1999年には1番でホームランを放ち、全打順本塁打を達成した。

エースは、星野伸之

星野伸之(ほしの のぶゆき)

星野伸之(ほしの のぶゆき)

11年連続二桁勝利を記録するなど、パ・リーグを代表する投手として活躍。
その実績と端正な顔立ち、野球選手らしくない細身な体型から同リーグの西崎幸広・阿波野秀幸・渡辺久信らと共に'「トレンディエース」と呼ばれ、「星の王子さま」の愛称で親しまれた。
1989年と1996年には最高勝率のタイトルも獲得。
星野は最速130km/hそこそこの速球に90km/h台のスローカーブ、110km/h前後のフォークボールという、先発投手としては非常に少ない球種で勝負する異色の投手だった。

球速の遅さにまつわる逸話として、1990年9月20日の対日本ハム戦(東京ドーム)で星野のすっぽ抜けたカーブを捕手の中嶋聡が右手で直接捕球し、星野を超える球速で返球したことで失笑が起こった。
ベンチに帰り星野は「素手で取るなよ。ミットが動いてなかったぞ」と機嫌を悪くしていたが、中嶋は「ミットが届かなかったんです」と誤魔化し事態は収まった。

球界屈指の強肩捕手である中嶋は1995年のオールスターで行われたスピードガン競争で146km/hを記録したほどであり、当時は「星野が中嶋に投げる球より、中嶋が星野に返す球の方が速い」とまで言われていた…。

圧倒的な打撃力を誇るも、わずか1厘差で逃したリーグ優勝

ブルーサンダー打線と呼ばれた打撃力は、ブーマーが開幕から5試合連続で本塁打を放つなど序盤から威力を発揮、チームは開幕8連勝とスタートダッシュに成功し、6月終了時点で2位近鉄に8.5ゲーム差を付け独走状態となった。

しかし7月に入ると、ベテラン中心の投手陣に疲れが見え始め徐々に失速し、8月12日にはついに首位から陥落。
9月に持ち直し、近鉄・西武との三つ巴の激しい争いとなったが、最終的にはオリックスは72勝55敗3分、勝率.567で、71勝54敗5分、勝率.568の近鉄にゲーム差0.01で2位に終わった。

門田ハイタッチ脱臼事件

1989年9月25日の対ダイエー戦で、門田は3回裏に本塁打を打ち、ホームで出迎えたブーマーからのハイタッチに応じた際に右腕を脱臼。
登録抹消という最悪の事態は免れたが、残り17試合のうち8試合の欠場を余儀なくされた。

『ハイタッチで脱臼』という異色の事件は面白おかしく報じられたが、最終的にたった1厘差で優勝を逃したオリックスファンは、「門田の“脱臼事件”がなければ…」と悔やみまくった。

なお、テレビなどでブーマーの怪力によって門田は脱臼させられたと思われているが、もともと門田は入団1年目の1970年に、二塁走者として出ているとき帰塁の際に右肩を脱臼して以来、持病として脱臼癖を持っていた。
1984年4月14日の日本ハム戦でホームランを打った際のハイタッチでも右肩を脱臼している。
だが、まったく悪気がなかったブーマーはひどく落ち込み、以後ハイタッチを自粛した。
門田ハイタッチ脱臼事件

門田ハイタッチ脱臼事件

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