【中年の星】死線を越えた男が選んだ戦場はキックボクシング、西村清吾(TEAM-KOK)の生き様を見よ!【NKB】
2017年8月7日 更新

【中年の星】死線を越えた男が選んだ戦場はキックボクシング、西村清吾(TEAM-KOK)の生き様を見よ!【NKB】

35歳でプロデビューしたキックボクサーがいる。しかも37歳でタイトルマッチ挑戦。その男の名は西村清吾(TEAM-KOK)。「リングに上がるときは命のやり取りを覚悟している」彼は落ち着いた声で話す。"中年の星"と他人は言うが、それは己の人生を彼に投影させたがる同世代の希望、願望の表れか。その背景、その生き様を知りたくて35歳にしてキックの道を選んだ西村清吾(TEAM-KOK)を取材した。

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アパレル誌で店を紹介してもらうも、デブじゃカッコ悪い!

「せっかくアパレル誌で店を紹介してもらっても、デブの自分が着てる洋服じゃカッコ悪いんです(笑。それでダイエットしようとジムに復帰したんですね。当時33歳、97キロでした。

その頃は、72.57キロのミドル級の体重まで落とす目標を決めてひたすら通いましたね。
目標決めて達成できないのが一番ダサいじゃないですか。有言実行できないならカッコつけて言うんじゃないって。雪で電車止まってても意地で通いました。」
97キロあったとは思えないシャープな西村選手

97キロあったとは思えないシャープな西村選手

「あの頃は、1日タバコを60本。缶コーヒーは5、6缶飲んでました。ちょっとした段差でつまづいちゃうし、階段登って息切れしてましたからね(笑。ジム通いを再開した初日に、全然動けない自分に失望して、その日からタバコを一本も吸ってません。4分縄跳びをまともに飛べなかったですからね(笑。息切れして死ぬかと思いました(笑」

アマチュア大会出場からプロへ

「ミドル級の体重になったぐらいで、会長からアマチュア大会出場を打診されたんです。実際に出場してみたら面白くてハマってしまった感じです。アマチュア大会の2試合目でブラジル人をぶつけられた時は"なんだこれ?"と思いながらも、試合はKOで勝ってMVPも貰えました。
そんな感じでアマチュア大会に出ていた時、プロにならないかと声をかけてもらいました。

色んな事を考えましたよ。自分の置かれている環境や立場。どんな世界でもプロの世界は甘いもんじゃない。ましてや格闘技の世界なんてごまかしが通用する世界じゃないじゃないですか。勝負する武器は自分の身体一つですからね。

悩んだ末、父親に相談したら物凄く喜んでくれたんですよ、自分の息子がプロになって後楽園で試合する事になったらすごい嬉しいってね。それでプロに成る事を決意しました。」

父親が喜んでくれた、そう言った時の西村選手の笑顔が印象的だった。

若かりし頃「やんちゃ」だった西村選手の転機

編集部)若かりし頃はけっこうやんちゃだったんでしょうか?

「あの頃は時代も時代でしたよね(笑、人並み程度には経験させていただきました(笑。少し遠くでやんちゃしてしまったことがあり、父親が迎えに来てくれたんですが車の中ではずっと沈黙でした。ただ一言だけ『母ちゃん、家で泣いてるぞ。』と。家に着いたのは午前3時頃。母親は泣いていて、そのときはさすがにショックでしたね。」

18歳の頃、車の事故で集中治療室に入院

額を30針縫ったと教えてくれる西村選手

額を30針縫ったと教えてくれる西村選手

「頭も相当縫って歯も全部ぶっ倒れるほどの事故だったんですよね。オムツはいて管通されて点滴打って。。親不孝だなぁ。。」と笑顔で話してくれた西村選手
「高校卒業して18歳の頃、集中治療室に入るような事故に合ったんです。周りはもう最期が近い方ばっかり(僕もその中の一人)、その時に初めて”死にたくない"と心から思ったんです。

そのあと"自分がなぜ死ななかったのか"を考えるようになったんです。生きてても人様に迷惑かけるし。。生かされている理由とか、生まれてきた証や人の為に何かしたい、人を喜ばせるようなことをしたいと考えるようになっていきました。」

「中年の星」と呼ばれて

編集部)試合会場には西村選手を応援するために大勢のファンが詰めかけます。

「なんか、オジサンが頑張ってるのって純粋に泣けてくるじゃないすか。絵図的にも(笑。40歳前後って微妙なところっていうか。無理しようとすれば、どうにかまだ身体もついてきてくれるし、でもどっかで体力的な部分は無理だって決めつけちゃってる自分がいて。そんな中で同世代の人間が一回り以上も歳の離れた人間とぶつかり合うって、それだけで盛り上がりますよね(笑。

僕の試合を仲間は同窓会みたいにしてくれてて、それがとても嬉しいですよね!勝てば祝勝会になりますし、前回は負けてしまったので残念会になってしまいましたけど(笑。あの日は僕以上にみんな悔しかったみたいで、あの日は朝まで泣きながら呑んだよ!この野郎!って言ってました(笑。本当、僕は周りの人間に恵まれてます。本当、嬉しいですよね!」

「負けて強くなる」ってのを見せたい

「負けて良かったわけではないですけど、今まで負けずに来てしまい、勝って当たりまえという、無敗のプレッシャーに、試合前は日々押しつぶされそうでした。

今回の負けた事によって良い意味で楽になれたというか、今まで以上に強くなれるような感じがします。挫折が財産じゃないですが、本当に良い経験をさせてもらったと思ってます。」

展開するブランド「PARASITE」について

編集部)店の運営とキックボクシング、両立は大変じゃないですか?

「大変だと思った事はないです。他の選手の方々も皆さん仕事とキックと両立なさってますし。ただ他人に突っ込まれる隙をなるべく作りたくはないですね。

僕はブランドをやっている以上、キックの事や試合内容が常にブランドに影響するとおもってます。情けないところ見せれないし、マイナスのイメージって、ついてしまったら中々拭えないですよね。」
ブランド立上げ当初の苦労も今では笑い話

ブランド立上げ当初の苦労も今では笑い話

「車も通らないし、人も歩いてない。風も吹いてないから葉っぱも揺れず、オーダーも有るわけもなく、何か新しいモノ生み出さないとと外を見ながら考えていたんですが、あまりにも店の前の景色が変わらないので、自分が死んじゃったのかと思いました(笑」と笑いながら回想する西村選手
「仕事は特に気を付けてます。自分で自分のブランドを運営しているので、誰も何も言ってくれないからこそ気を付けるようにしてます。」

店をOPENしたころ、最低でも1年間は何が何でも絶対休まないって決めてたんです。お正月なんて店開けてもオーダーも入ってないしお客さんも来ないし電話もならないし景色も変わらないんで一瞬、俺死んだのかなって思うくらい暇でしたよ。

奇跡的にお客さんが来てくれても、ずっと声出してないと、急に声ってでないんですよ(笑。なんか喉詰まってるっていうか(笑」

キックボクシング業界を盛り上げたい

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