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阪神タイガースで2年間在籍したが、慢性的な故障が原因で思うような活躍はできず、2000年のシーズンを最後に現役を引退した。
現役を退いてからの佐々木誠の活躍。
2001年でプレーヤーから完全に引退し、2002年にサンテレビ解説者、西日本スポーツ評論家を務めた後、2003年は古巣・ダイエーの二軍外野守備・走塁コーチに就任。2004年はオリックスの一軍外野守備兼打撃コーチ補佐、2005年は同球団の二軍であるサーパス神戸の外野守備・走塁コーチを務めた。2006年からは西日本スポーツ評論家に復帰するとともに、同年創部されたセガサミーのコーチに就任。この年の都市対抗予選では東京第1代表決定戦に進みながら、そこから5連敗して本大会出場を逃して社会人野球の厳しさなどにショックを受けたという[36]。
青島健太の監督退任に伴って2008年シーズンから2代目監督に就任すると、結果へのプロセスを重視して猛練習を課し[36]、同年はチームにとって2年連続となる都市対抗出場を果たしている。また、監督業と並行して2009年から九州朝日放送で野球解説者を務め、主に関東地区での試合の解説を担当していた。2010年にはJABA静岡大会で初優勝を果たし、齊藤勝と宮崎祐樹の2人がプロ入りするなどチームは成熟期を迎えた[37]が、日本選手権後にセガサミーの監督を退任した。また、同年12月7日にはプレーヤー部門で野球殿堂入り候補者名簿に掲載されている[38]。
野球観に共鳴したという監督の橋本哲也からコーチ就任を依頼されて2011年からはNTT西日本の打撃コーチを務め[39]、これにともない九州朝日放送では関西でのオリックス戦の担当が中心となった。同年の都市対抗では前年まで指揮を取ったセガサミーに1回戦で勝利したが、複雑な気持ちだったという[40]。当てにいかずにバットを振り抜くというシンプルな方針を打ち出し、助言が合わなければすぐに別のアイデアを出せる引き出しの多い指導で選手から信頼を得た[41]。翌2012年からは監督に就任した。2014年11月11日に福岡ソフトバンクホークスの3軍打撃コーチに就任することが発表された[42]。