1992年夏、物議を醸した『松井秀喜』甲子園で5打席連続敬遠
2021年5月27日 更新

1992年夏、物議を醸した『松井秀喜』甲子園で5打席連続敬遠

1992年夏の甲子園。星稜(石川)の松井秀喜が明徳義塾(高知)に受けた「5打席連続敬遠」は、高校野球の在り方をめぐって社会問題にまで発展した。 敬遠された松井秀喜、敬遠した明徳の河野投手、そして松井の後ろを打っていた星稜5番打者の月岩。 それぞれのインタビューを当時の動画と共に紹介する。

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5打席連続敬遠から21年 松井秀喜vs 河野和洋21年後の第6打席

2013年12月31日に放送された『大晦日スポーツ祭り!KYOKUGEN 2013』の中で「21年後の第6打席」として、松井秀喜と河野和洋の両者は1打席限りの直接対決。
結果は、フルカウントからのフォアボールであった。

松井は対決終了後、「今回、僕は初めて(河野投手の)ストライクを見ることができた。僕は彼のストライクが見たかった。見れて満足です」
「だから、全く振る気はなかった。フォアボールでも三振でもどっちでも良かったんです。僕は打つ、とかじゃなくて、ストライクが見たかった」と語った。

星稜『松井の次の打者』月岩信成の苦悩と悲劇

星稜の5番打者、月岩は松井敬遠後に奮起して打席に立ったものの3回にスクイズこそ決めたが、4打数無安打。
松井が一塁へ歩かされた後、徹底的に打ち取られた。試合中は松井から「普段通りやれ」と声を掛けられ、試合後はそっと肩を何度か叩かれたという。

「自分が打っていれば…」。多感な18歳の少年が精神的に極限まで追い詰められたのは想像に難くない。大阪経済大に進学が決定してしたが、この一件を蒸し返され喧嘩となり進学取り消し。
「まだ子供だったんでしょうね。周囲から面白おかしく言われ、世間全てが敵に思えた。野球を続けること自体で罪悪感にさいなまれた」。
大好きだった野球をやめ、松井をはじめ当時のナインとも卒業後は距離を置いた。

不動産の営業マン・飲食・旅館の従業員など職を転々とし、結婚しても3年で離婚…
人生のどん底状態を味わっていた。
高校野球もプロ野球も見ることは無かった。

だが、ある日ふとテレビを見ているとヤンキースに移籍しての松井秀喜が映っていた。
ホームでのデビュー戦、満塁の状況で対戦相手のピッチャーは前の打者を敬遠して松井との勝負を選んだ。
「あの時の自分と同じだ…」と注目して見ていたら、松井はそこでホームラン。
ホームデビューで満塁ホームランを打ち大歓声を浴びる松井。
「やっぱり松井は凄いな。こんな選手と一緒に野球をやっていたんだ。」と鳥肌が立つほど感動し、涙が止まらなかった。
そして、「なにやっているんだ、俺は。こんなとこで腐っている場合じゃねぇ」と奮起。
心に落ち着きを取り戻すと、松井の帰省時には当時のメンバーで温泉旅行に参加。

月岩は2012年3月に石川県金沢市に焼き鳥・串カツ店「KUSI56(くしころ)」をオープン。
店名の「56」には松井の背番号「55」のあとを受けるという意が込められた。
(現在は閉店)

「今は良い思い出。あれは僕しか経験できないことだったんだから」と考えるようになった。

松井の引退時には、次のようにコメントしている。
「あれから20年という節目の年に松井が引退。感慨深いですよ。僕らの“代表”だったので、会見を見てじーんと来たし、感動しました。それと明徳戦のことは松井が現役である限り、僕も聞かれ続けると思っていたので一安心というか…。ちょっと寂しいというか」
「松井と一緒にプレーできたことは最高の思い出だし、松井のあとの5番を打ったのは僕の誇り。今度松井が帰って来たら、一緒に草野球やろうって仲間で盛り上がっています」

【TBS】「松井秀喜5打席連続敬遠」の舞台裏 星稜5番打者と明徳義塾投手の対談「未公開映像」

星稜5番打者・月岩と明徳の投手・河野の対談。
無条件で相手に走者1人を与える敬遠作戦は、後続の打者を封じることができなければ逆効果なのであり、明徳が全力を挙げて対策を行ったのはこの5番打者封じであったことが明かされる。
高校球史に残る大事件として今も語りづがれている松井秀喜の「5打席連続敬遠」。

後年明らかになった「敬遠した投手」「勝負を選ばれた5番打者」のエピソードによって、より鮮明に記憶されることになった。

松井だけでなく多くの人に影響を与えたこの出来事は今後も長く語り続かれるだろう。
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