風変わりな曲とか行進曲のイメージが湧きずらい曲もある70年代選抜高校野球の入場行進曲あれこれ
2017年4月14日 更新

風変わりな曲とか行進曲のイメージが湧きずらい曲もある70年代選抜高校野球の入場行進曲あれこれ

今年も春の選抜高等学校野球大会が閉幕したが、夏の甲子園とはちょっと違う“センバツ”ならではの特徴の一つとして、開会式の入場行進曲に前年のヒット曲が起用されることだ。この行進曲には、誰もが認める大ヒット曲や、選手の頑張りを後押しするような応援歌的な曲が一般的ですが、中には私のような凡人がいくら考えても選考理由が解らない意外な曲や頭の中で行進曲に変換しずらい曲も!? そんな70年代の選抜入場行進曲の歴史を振り返ってみよう。

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1973年:虹をわたって/天地真理

虹をわたって / 天地真理さん  1973年 第45回 選抜高等学校野球大会入場行進曲

天地真理は1970年代前半を代表する、国民的アイドルであった。
デビューはドラマ「時間ですよ・第2部」(1971年・TBS)の“となりの真理ちゃん”役。舞台となる銭湯の従業員役オーディションで、天地は惜しくも最終選考で落ちたものの、主演の森光子の推薦でこの役をゲット。これで一躍注目を浴びて、同年10月に『水色の恋』でデビューした。
2枚目の『ちいさな恋』でオリコン1位を初めて獲得以降、『ひとりじゃないの』『恋する夏の日』など立て続けにヒットを飛ばし、冠番組や映画の主演、さらにはキャラクターグッズも多数発売。自転車にまでなったのは、天地が初めてと思われる。70年代前半のNo.1アイドルの座を独占し、現在では比較できる人物がいないくらい、凄まじい人気ぶりでした。
当時、私も高校に通っていたが、天池真理、小柳ルミ子、南沙織の三大派閥(今様に言うなら、”オシメン”)ができていた。
センバツ行進曲となった『虹をわたって』は、天地の4枚目のシングル。こちらもオリコン1位を獲得したヒット曲で、聴いていると前向きな気持ちになれる爽やかな曲になっている。高校生からの支持も絶大だったため、すんなりと決定したようだ。開会式当日は、天地も毎日放送のゲストとして甲子園に来ている。

第45回選抜高等学校野球大会データ
試合日程 1973年3月27日 - 4月6日
出場校 30校
優勝校 横浜(神奈川、初優勝)
試合数 29試合
選手宣誓 岩崎斉(福岡・小倉南)
始球式 奥野誠亮(文部大臣)
大会本塁打 8本塁打

「昭和の怪物」こと、作新学院・江川卓投手(元巨人)が甲子園に初登場。開幕試合で登場して、北陽戦で挨拶代わりの19奪三振完封。2回戦、準々決勝も無失点で、このまま優勝かと思われた準決勝の広島商戦でも11の三振を奪ったが、1-1の8回にダブルスチールから味方のエラーで決勝点を許して、惜しくも敗れた。江川がこの大会で記録した60奪三振は、現在でも大会記録。
決勝戦は広島商と、初めて決勝に駒を進めた横浜。試合は9回まで0-0で、延長10回に1点ずつを取り合う熱戦。11回、横浜が富田毅選手の2ランを放ち、ついに決着。横浜が初優勝を飾った。

岩佐美咲 虹をわたって

行進曲風のものは、あいにくなかったが、元AKB48の岩佐美咲と吹奏学部のみなさんが出演しているものがあったので、行進曲も想像できるのでは??

1974年:草原の輝き/アグネス・チャン

Agnes Chan 陳美齡 アグネス・チャン 草原の輝き

アグネス・チャンは、50代以上の方にとってはまさに憧れのアイドル。当時の人気は凄まじいものがあった。
アグネスは香港の出身で、本名は陳美齡(チャン・メイリン)。カトリック信者で洗礼名が「アグネス」だったのが、芸名の由来である。日本では1972年に『ひなげしの花』でデビュー。歌手としては勿論、教育学博士、大学教授、エッセイスト、小説家、ボランティア活動などマルチに活躍しているのは、みなさんご存知の通りだろう。
『草原の輝き』は3枚目のシングル。アグネスの魅力を十分に引き出したこの曲で、日本レコード大賞新人賞を受賞。アグネスを一躍トップアイドルの地位に押し上げ、(62年『上を向いて歩こう』以降で)外国人アーティスト初のセンバツ行進曲になった。

第46回選抜高等学校野球大会データ
試合日程 1974年3月28日 - 4月6日
出場校 30校
優勝校 報徳学園(兵庫、初優勝)
試合数 29試合
選手宣誓 重田薫(山口・防府商)
始球式 山本光春(大会会長、毎日新聞社社長)
大会本塁打 1本塁打

この大会で特筆すべきは、たった11人の部員の初出場校が席巻したが、その高校は徳島県の山間部にある池田高校。監督は同校を率いて22年目の蔦文也。蔦監督は状況に応じて自在な攻めを見せて、相手を翻弄。いずれの試合も2点以内の僅差ながら勝ち上がり、ついに決勝進出。
決勝の報徳学園戦では6回に先制されたが、池田も8回に同点に追いつく。しかしその裏、報徳が2点を追加して万事休す。池田は準優勝に終わったが、その活躍は現在でも語り継がれている。

1975年:おかあさん/森昌子

森昌子 おかあさん

森昌子は、母をテーマにした歌を歌ってセンバツ行進曲に選ばれた。
森昌子は栃木県宇都宮市出身。1歳7ヵ月にしてペギー葉山の『南国土佐を後にして』を歌うなど、早くから歌うことの楽しさを知り、12歳の1971年に「スター誕生!」(日本テレビ系)に出場。初代のグランドチャンピオンに輝いた。翌年、『せんせい』でデビューし、山口百恵、桜田淳子との「花の中三トリオ」で売り出し、73年には当時史上最年少で紅白出場を果たすなど、順調な芸能生活を送っていた。
77年からは演歌に転向。その後もヒットを量産しますが、86年に森進一との結婚を機に芸能界を引退。2001年に進一とのジョイントという形で復帰し、05年の離婚を経て、同年『バラ色の未来』で完全復帰をして現在に至ります。
『おかあさん』は通算10枚目のシングルだった。やや年老いた母を想う娘の気持ちが綴られていて、デビュー以来のちょっと垢抜けない素朴なイメージだった昌子にピッタリの楽曲で大ヒット。ジャケットのタイトルと裏の歌詞は、昌子の直筆となっている。ちなみに、ここでの「おかあさん」のモデルは、この曲を作詞をした神坂薫こと工藤忠義の母親だそうだ。
だが、ちゃちゃを入れるつもりではないが、この曲は元来、短調なので行進曲には不向きなはずで、球児たちも歩きずらかったのではなかろうか??

第47回選抜高等学校野球大会データ
試合日程 1975年3月28日 - 4月6日
出場校 29校
優勝校 高知(高知、初優勝)
試合数 28試合
選手宣誓 佐藤功(神奈川・東海大相模)
始球式 永井道雄(文部大臣)
大会本塁打 11本塁打

前年の夏から使用を解禁された金属バットが、この大会の開幕戦・倉敷工×中京(現中京大中京)戦でいきなりその威力を発揮。両チーム合計で29安打、16-15という大打撃戦で倉敷工が制した。
決勝戦は高知×東海大相模。相模には2年生の原辰徳(元巨人監督)と津末英明(元日本ハム)、高知には杉村繁(元ヤクルト)という好打者がいた。試合は1回に原のホームランなどで相模が3点を先制するが、高知も小刻みに加点して7回に勝ち越し。8回に相模が追いつき、5-5で延長戦突入。13回、高知が5安打集中で一挙5点を加えて勝負あり。打撃戦で幕を開けた大会の決勝戦もまた両チーム合計26安打という打撃戦だった。

1976年:センチメンタル/岩崎宏美

センチメンタル ( 岩崎宏美 ) cover / にゃんぱ

歌っているのは岩崎宏美。デビューから現在にかけて実力派として活躍し続け、非常に評価の高い歌手であるのは、今さら説明の必要もないであろう。東京出身で中学3年のときに日本テレビ系「スター誕生!」で決戦大会に進出。75年に『二重唱(デュエット)』で歌手デビューしました。
 デビュー当時から歌の上手さには定評があり、当時の若い歌手・アイドルに辛辣な批評をしていた淡谷のり子もその実力を認め、また数多くの著名人・文化人も岩崎の歌声をリスペクトしていたそうだ。また、初期の岩崎の楽曲を手掛けた阿久悠&筒美京平のコンビが、その持ち味をうまく引き出したこともあって、セカンドシングル『ロマンス』で早くもオリコン1位を獲得。そして続く『センチメンタル』も1位を獲得して、センバツ行進曲に選ばれました。

第48回選抜高等学校野球大会データ
試合日程 1976年3月27日 - 4月6日
出場校 30校
優勝校 崇徳(広島、初優勝)
試合数 29試合
選手宣誓 黒田光弘(栃木・小山)
始球式 永井道雄(文部大臣)
大会本塁打 6本塁打

この大会の1回戦で、鉾田一・戸田秀明投手が糸魚川商工相手にノーヒットノーランを達成している。
出場30校のうち初出場が13校。その中でも最も光ったのが崇徳だった。黒田真二(元ヤクルト)、応武篤良(早大監督)のバッテリー、山崎隆造(広島二軍監督)、小川達明(元広島)の攻撃陣という後にプロ・アマで活躍する選手がずらりと並んだチームは、広島県勢としては珍しく力でねじ伏せる野球だった。決勝まで勝ち進み、雨の中の決勝となった小山戦でも中盤までは投手戦だったが8回に一挙4点を奪って勝負を決め、初出場初優勝を引き寄せた。

1977年:ビューティフル・サンデー/田中星児

ビューティフル・サンデー 田中星児 (1976)

この『ビューティフル・サンデー』のオリジナルはイギリスの曲で、歌っているのは作詞者でもあるダニエル・ブーン。1972年に発売されてイギリスはもちろん、全米でも大ヒットした。日本でも発売されたが、最初はまったく売れなかったそうだ。
しかし76年、当時TBS系で放送されていた「おはよう720」内の海外取材コーナー「キャラバンII」で、この曲がテーマソングとして使用され、その爽やかなメロディーに問い合わせが殺到。あっという間に日本中で話題となりました。勢いに乗って同年3月に再発売されたオリジナルの『ビューティフル・サンデー』は、なんと200万枚のヒットを記録。これは国内の外国人アーティストシングルセールス歴代No.1で、30年経った現在も破られていないそうだ。
 多くのアーティストがカバーしたが、一番有名なのは田中星児バージョン。田中星児は「おかあさんといっしょ」(NHK)の初代歌のお兄さんとして、当時子供たちのアイドルでした。当時「おはよう720」に続けて放送されていた「8時の空」に出演していた関係で、カバーを依頼され訳詩と歌を担当。これも80万枚を売り上げて、その年のNHK「紅白歌合戦」に出場しました。他にはトランザムや都はるみなどもカバーしている。

Beautiful Sunday [HQ Audio Lyrics] Daniel Boone

私はこちらの方が一押しだね!!。

第49回選抜高等学校野球大会
試合日程 1977年3月27日 - 4月4日
出場校 30校
優勝校 箕島(和歌山、7年ぶり2回目)
試合数 29試合
選手宣誓 平田勝男(長崎・海星)
始球式 海部俊樹(文部大臣)
大会本塁打 9本塁打

この年は部員わずか12人の初出場・中村が甲子園を沸かせ、チームはその人数から同名の小説より「二十四の瞳」と呼ばれた。長身のエース・山沖之彦(元阪急)を中心に、チームが一丸となって勝ち進み、とうとう決勝まで登りつめた。
決勝戦の相手は定時制に籍を持つエース・東裕司を持つ箕島。しかし、山沖が箕島打線につかまり3失点。中村打線は東に3安打完封を喫し準優勝に終わったが、その健闘に日本中が拍手を送った。

1978年:愛のメモリー/松崎しげる

愛のメモリー 松崎しげる

この曲を歌った松崎しげるは、1970年にシングル『8760回のアイラブユー』でデビュー。当初はなかなかヒットが出ず、CMソングの歌い手を中心に活動していたが、77年に『愛のメモリー』がヒットして、一躍人気アーティストの仲間入りを果たした。以降は歌手にとどまらず「噂の刑事トミーとマツ」(TBS系・1979~82年)など、俳優やバラエティーでも活躍。某番組で絵の具の色にされてしまったほどの「肌の黒さ」、そして年間200本近くこなすという「ディナーショーの帝王」ぶりは特に有名である。

第50回選抜高等学校野球大会
試合日程 1978年3月27日 - 4月5日
出場校 30校
優勝校 浜松商(静岡、初優勝)
試合数 29試合
選手宣誓 百合幸二郎(郡山)
始球式 砂田重民(文部大臣)
総入場者数 約587,000人(1試合平均20,241人)
最高入場者数/1日 67,000人
大会本塁打 10本塁打

高校野球春夏通じて2429試合目。ついに史上初の記録が飛び出した。1回戦・前橋×比叡山戦。前橋の松本稔が比叡山打線に対して一人のランナーも許さず、完全試合を達成した。以降、完全試合は現在までに「春の甲子園」で2人しか達成していないが、「夏」はまだない。
決勝は浜松商と北信越勢で初めて決勝に進んだ福井商との対戦。試合は投手戦となったが、少ないチャンスをものにした浜松商が2点を挙げ、投げては樽井徹が福井商打線を完封。初優勝を飾った。

1979年:季節の中で/松山千春

季節の中で   松山千春

松山千春は北海道十勝地方の足寄が生んだ“カリスマシンガー”と言っていいでしょう。1977年に『旅立ち』でデビュー。翌78年にリリースした5枚目のシングル『季節の中で』の大ヒットで、一躍人気アーティストの仲間入りを果たし、以降も『恋』『長い夜』『大空と大地の中で』など、ヒット曲を量産。デビューから一貫して北海道を拠点にするなど北海道を誰よりも愛し、足寄にある「松山千春の家」は地元の観光名所となっている。
『季節の中で』は上記の通り、松山千春の名を全国に知らしめた曲で、オリコン週間チャートで初めて1位を獲得した。また、TBS系の「ザ・ベストテン」でも1位を獲得。当時、テレビの音楽番組への出演を拒否していた松山だったが、ファンの熱烈なリクエストと番組プロデューサーの説得で、初めてテレビ生出演(ライブ会場からの中継)をしてこの曲を披露。さらに曲が広く認知されて、センバツの入場行進曲に選ばれたようだ。

第51回選抜高等学校野球大会
試合日程 1979年3月27日 - 4月7日
出場校 30校
優勝校 箕島(和歌山、2年ぶり3回目)
試合数 29試合
選手宣誓 上野山善久(和歌山・箕島)
総入場者数 約545,000人(1試合平均18,793人)
最高入場者数/1日 67,000人
大会本塁打 18本塁打

この大会は近畿勢が圧倒的な強さを見せて、ベスト8に5校、ベスト4は近畿が独占した。準決勝は箕島が夏春連覇を狙うPL学園を延長10回サヨナラで下し、牛島和彦投手(元中日)、香川伸行捕手(元ダイエー)を擁する浪商が東洋大姫路に競り勝って決勝に進んだ。
決勝はともに13安打を放つ乱打戦となったが、8-7で制した箕島が3回目の優勝。この試合で箕島・北野敏史選手が記録したサイクルヒットは、2009年現在センバツでは唯一の記録。箕島は夏も優勝して、史上3校目の春夏連覇を成し遂げた。
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