風変わりな曲とか行進曲のイメージが湧きずらい曲もある70年代選抜高校野球の入場行進曲あれこれ
2017年4月14日 更新

風変わりな曲とか行進曲のイメージが湧きずらい曲もある70年代選抜高校野球の入場行進曲あれこれ

今年も春の選抜高等学校野球大会が閉幕したが、夏の甲子園とはちょっと違う“センバツ”ならではの特徴の一つとして、開会式の入場行進曲に前年のヒット曲が起用されることだ。この行進曲には、誰もが認める大ヒット曲や、選手の頑張りを後押しするような応援歌的な曲が一般的ですが、中には私のような凡人がいくら考えても選考理由が解らない意外な曲や頭の中で行進曲に変換しずらい曲も!? そんな70年代の選抜入場行進曲の歴史を振り返ってみよう。

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まずは、春の選抜高等学校野球大会とは何ぞやから軽くおっぱじめよう!!

春の選抜高等学校野球大会の開会式

春の選抜高等学校野球大会の開会式

選抜高等学校野球大会(せんばつこうとうがっこうやきゅうたいかい)は、毎年3月上旬から4月頭にかけて兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で行われる日本の高校野球の大会の一つである。略称はセンバツ。通称は「春の大会」「春の高校野球」「春の甲子園」とも。英文名称はNational High School Baseball Invitational Tournament。主催は毎日新聞社、公益財団法人日本高等学校野球連盟(高野連)。大会旗および優勝旗の色は紫紺。

同じく甲子園球場において、全国高等学校野球選手権大会(ぜんこくこうとうがっこうやきゅうせんしゅけんたいかい)が朝日新聞社と日本高等学校野球連盟の主催で毎年8月に行われる。大会旗および優勝旗の色は赤で、優勝旗はその色から、「深紅の大優勝旗」と呼ばれている。「夏の甲子園」、「夏の高校野球」、「夏の選手権」などと呼ばれ、また高校野球関係者の間では単に「甲子園」という表現も用いられる。

「春」の場合は、前年の秋季大会で優秀な成績を残したところを高野連が選抜して「春」の出場資格を与えるのであるが、「夏」の場合は夏の地方予選を優勝することで大会に出場できることになる。
「夏」の場合は地方予選で一度でも負ければ甲子園に行くことはできないが、春はたとえ負けても選抜されれば行ける場合がある。
あと、出場校が「春」の場合は32~34校であるが、「夏」の場合は48~50校程度になり、当然試合数が多くなり大会期間が長くなる。ちなみに、甲子園球場はプロ野球の阪神タイガーズのホーム球場でもあるため、「春」はまだシーズンオフで良いとしても、「夏」は高校野球の間は”死のロード”として有名な逸話である。(泣)

「春」と「夏」の入場行進曲って同じなのか??

2015 センバツ高校野球 開会式

2015 センバツ高校野球 開会式

高校野球好きの人は当然ご存知でしょうが、答えは「NO!!」だ。

「夏」の甲子園(全国高校野球選手権)の入場行進曲は毎年「全国高校野球選手権大会行進曲」に決まっているが、「春」の甲子園(選抜高等学校野球大会)の入場行進曲は毎年違い、前年の流行曲などが採用されているということだ。
しかし、「夏」には”テーマソング”(応援ソングともいいます)というものが存在し、それが話題になるのだが、実は、これはテレビ朝日系の番組「熱闘甲子園」のテーマソングのことなのだ。

高校野球 センバツ 2017 入場 恋

今年の入場行進曲は星野源の「恋」でした。

2014.08.11 甲子園 選手入場

全国高校野球選手権大会行進曲です。

2016甲子園 光と影の日々

去年のテーマソングです。

今年の「春の甲子園」開会式の入場行進曲はテンポの早い星野源の『恋』でしたが、 スローなバラードが起用されるケースも多々あり!!

今年の「春の甲子園」開会式の入場行進曲は星野源『恋』でした。昨年のドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の主題歌となり、“恋ダンス”でも大いに流行りました。テンポが速いダンス曲で、これが入場行進曲としてどういうアレンジになるのか楽しみでしたが、見事な出来栄えでした。

過去にも、杏里『キャッツアイ』(1984年、56回)、AKB48『Every day、カチューシャ』(2014年、86回)など、テンポが速く行進曲向けではないと思われる曲もありましたが、見事に行進曲として開会式を盛り上げました。

逆にスローバラードのKiroro『長い間』(1999年、71回)、宇多田ヒカル『First Love』(2000年、72回)、サザンオールスターズ『TSUNAMI』(2001年、73回)、コブクロ『蕾』(2008年、80回)なども新たに行進曲として歩きやすくアレンジされました。

では、そろそろ70年代の「春の甲子園」開会式の入場行進曲を紹介することにしよう!!

1970年:世界の国からこんにちは/三波春夫、他

世界の国からこんにちは 三波春夫

子供たちのお行儀が良すぎませんか??

第42回選抜高等学校野球大会データ
試合日程 1970年3月27日 - 4月5日
出場校 26校
優勝校 箕島(和歌山、初優勝)
試合数 25試合
選手宣誓 内田竜二(三田学園)
始球式 坂田道太(文部大臣)
大会本塁打 4本塁打

17年ぶりに近畿勢同士の対決となった決勝戦。かたや松岡英孝監督率いる北陽。かたや尾藤公監督率いる箕島。両名将の直接対決は延長戦にもつれ込む大熱戦となった。
箕島のエースは「コーちゃん」こと島本講平。試合は北陽がその島本を攻めて先制するが、箕島が中盤に逆転。7回に北陽が追いつくという展開で3-3で延長戦へ。10回表に北陽が勝ち越すが、その裏の箕島は2死から同点に追いつき、12回裏に島本のタイムリーで劇的なサヨナラ優勝。4時間15分の熱戦に終止符が打たれた。

世界の国からこんにちは・行進曲 / EXPO'70 Theme Song Marching Ver.

1970年に大阪・吹田で開催された「日本万国博覧会(大阪万博)」のテーマソングとして知られるこの曲は、67年の3月にレコード会社7社の競作という形で同時発売された。競作なのでいろいろな歌手が歌っているのだが、三波春夫が歌ったものが一番売れたため、現在では三波春夫の曲として認識されている。 
実はこの曲、1967年にも使用された曲で、同じ曲が2大会にわたって使われたのはこの曲だけである。

1971年:希望/岸洋子

希望/(若い)岸洋子(1)

この歌は超が付くほどスローなバラードなんですが、どこかに行進曲バージョンがないか検索しましたが、ありませんでした。
行進曲になるとどのような感じになるのか想像が付かないんですけど・・・

歌っている岸洋子はオペラ歌手を目指していたが心臓神経症のため、断念。病床で聴いたエディット・ピアフのアルバムに感動しシャンソンに転向。同じく日本のシャンソン歌手だった越路吹雪が“魅せる歌手”と呼ばれることに対して、岸は“聴かせる歌手”と呼ばれていた。

第43回選抜高等学校野球大会データ
試合日程 1971年3月27日 - 4月6日
出場校 26校
優勝校 日大三(東京、初優勝)
試合数 25試合
選手宣誓 筋原徳夫(兵庫・報徳学園)
始球式 田中香苗(大会会長、毎日新聞社会長)
大会本塁打 4本塁打

沖縄県から出場した普天間が弘前にサヨナラ勝ちして、沖縄県勢が7回目にしてセンバツ初勝利を飾った。普天間は続く2回戦の日大三戦でも接戦を演じたが、惜しくも6-7で敗れている。
決勝に進んだのはその日大三と、代役エースの奥田直也投手の好投で勝ち上がった大鉄。初の東京×大阪決戦となった。試合は日大三が初回、岩沢健一選手のタイムリーで2点を先制。結局得点はこの2点のみで、日大三の渡部良克投手が大鉄打線を1安打完封。日大三が初優勝で、東京に優勝旗を持ち帰った。

1972年:また逢う日まで/尾崎紀世彦

また会う日まで 尾崎紀世彦

尾崎紀世彦は神奈川県出身、グループサウンズのザ・ワンダースへの参加を経て、1970年に『別れの夜明け』でデビュー。翌年、『また逢う日まで』が100万枚の大ヒットを飛ばし、日本レコード大賞と日本歌謡大賞をダブル受賞する快挙を成し遂げ、同年のNHK紅白歌合戦にも出場。そのダイナミックな歌唱と ”もみあげ”は、一度見たら絶対に忘れないほどで、以降も歌を中心に様々なジャンルで活躍した。



第44回選抜高等学校野球大会データ
試合日程 1972年3月27日 - 4月7日
出場校 27校
優勝校 日大桜丘(東京、初優勝)
試合数 26試合
選手宣誓 常田昭夫(日大桜丘)
始球式 高見三郎(文部大臣)
大会本塁打 5本塁打

この大会で特筆すべきは、この大会のベスト4が関東3校、東北1校と東日本勢が独占。決勝は東京同士、それも兄弟校である日大三と日大桜丘だった。兄弟校同士の決勝は48年春(第20回)の京都一商(現西京)×京都二商以来で、後にも例がなかった。(今年(2017)の決勝戦は大阪同士でしたね!)
日大三は連覇がかかった試合だったが、日大桜丘のエースには身長190cmの“ジャンボ”仲根正広(元近鉄)がいた。試合は日大桜丘が2回に1点、4回に1点を取って主導権を握る。日大三は仲根の前に得点はおろか、なかなかヒットすら放てない。日大桜丘は終盤にも得点を重ねて、仲根は日大三打線を2安打完封。5-0で兄弟対決を制し、初出場初優勝を成し遂げたのだった。

WSL-12-007 また逢う日まで(吹奏楽セレクション)

これはちょっと遅いような感じですね!もうちょっとテンポアップすべきかな?
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