2021年6月22日 更新
『ガンプラり歩き旅』その53 ~イデオン編・1 バンダイ ガンダムVSアオシマ イデオン~
ガンプラ! あの熱きガンダムブーム。あの時代を生きた男子であれば、誰もが胸高鳴り、玩具屋や文房具屋を探し求め走ったガンプラを、今改めて当時のキットから現代キットまで発売年代順に、メカ単位での紹介をしてきた『ガンプラり歩き旅』。今回から8回 にわたって、ガンプラブームと共にロボットプラモブームを牽引した、『機動戦士ガンダム』(1979年)の日本サンライズ・富野由悠季監督の次作品『伝説巨神イデオン』(1980年)のアオシマ製プラモデル群から、現代に至るまでのイデオンフィギュアの流れを、駆け足で追いかけてみたいと思います!
今回はまず、アオシマのイデオン模型化への歴史や、イデオンプラモデルシリーズの流れなどを、ガンプラの流れと比較しながらその経緯を追いかけてみたいと思います。
画像は、ガンプラブームと、イデオンプラモデルシリーズをそれぞれ代表した、1/144 ガンダムと1/810 イデオンの、未塗装素組のキットの比較画像と、アオシマのデオンプラモデルの開発史のコラムで、当時を思い出していただこうという趣向です!
「白いモビル・スーツ」ことガンダムと、「深紅の巨神」ことイデオン! 今、夢の競演が!
私、市川大河が、書評サイトシミルボンで連載している、
『機動戦士ガンダムを読む!』での、再現画像で使用しているガンプラを、
古い物から最新の物まで片っ端から紹介していこうというテーマのこの記事。
今回からの番外編で紹介していくのは、シミルボンでもその流れで『伝説巨神イデオン』の作品紹介をするので、その『イデオン』に登場した、主人公ロボットイデオンの様々な立体を中心に、敵役の重機動メカ等も含めてイデオンの立体物歴史を俯瞰していきたいと思います。
1982年当時。「『ガンダム』から『イデオン』へ」のキャッチフレーズが目立った新聞広告から
この『ガンプラり歩き旅』連載第1回で記したように、ガンプラ第1号の「1/144 ガンダム」が、バンダイベストメカコレクションのシリーズの一つとして発売されたのが、『ガンダム』が放映終了してから半年を迎えようとしていた1980年7月。
『ガンダム』劇場版製作が発表されるのはその3か月後の10月で、この辺りからガンプラブームも『HOW TO BUILD GUNDAM』が発行された1981年7月へ向けてグングン加速していった。
しかし、そのガンダム・ガンプラブームと並行する形で、1/144 ガンダムが発売される直前から、ガンダムの日本サンライズ制作、ガンダムの富野由悠季監督で、1980年5月より『伝説巨神イデオン』のテレビ放映がスタートしたのだ。
『ガンダム』と『イデオン』の作品的な比較や詳細は、シミルボン『機動戦士ガンダムを読む!』での論に譲るが、ことプラモデル、模型化的には、この時期、運命を左右する「ねじれ」が生まれたのである。
「あの頃」の模型店の棚でひときわ人気を博していた、二大ロボット300円プラモのパッケージアート
そもそも、合金玩具的にはクローバーがメインスポンサーだった日本サンライズ・富野由悠季監督・名古屋テレビの路線『無敵超人ザンボット3』(1977年)『無敵鋼人ダイターン3』(1978年)は、共に模型化の権利を、ガンプラのバンダイではなく、青島文化教材社(以下・アオシマ)が取得して、実際の作品内でのメカニック設定より玩具アレンジを強くした、しかし、創造性と完成度の高いパズル的ギミックを盛り込んだマスコミ玩具模型を発売しており、その流れでは当然『ガンダム』も、アオシマが商品化するという下敷きは出来ていた。
素組のまま完成させた、1/144 ガンダムと1/810 イデオン
しかしここまででは、ザンボットもダイターンも、アオシマ当時のテレビロボットプラモデル王道のミニ合体シリーズなどで商品化していただけで、特にそれ以上の踏み込んだ商品展開をしているわけではなかった。
アオシマは、70年代中盤の『スーパーロボットマッハバロン』(1974年)や『電人ザボーガー』(1974年)などの頃から、幼児層が少ないお小遣いでも買える値段のミニキットを、いくつか買い集めることで完成するオリジナル合体形式のプラモデルを一つの主流にしており、それはマニアには有名な『アトランジャー』『宇宙空母レッドホーク』等の、原作のないオリジナルアオシマメカプラモにも顕著であった。
「子ども向けロボットまんが」のロボットの模型化に、革新をもたらしたバンダイの1/144 ガンダム
この、ミニ合体シリーズに言える大きな特徴としては、アオシマは一方でウォーターラインシリーズなどのスケールモデル模型メーカーの老舗でもあったので、合体シリーズの一個一個のデザインと出来は、ネタかと思うほどにトンデモな商品センスが多いのであるが、いざシリーズを集めて合体させた時の完成度は、ガンプラを先どること数年、既にマッハバロンなどの時代から、プロポーション、ギミック、アクションフィギュアとしての完成度などが高く、つまり他社に先駆けアオシマは、バンダイのガンプラに拮抗できるだけのスキルと経験値を、既に70年代中盤から蓄えていた、というのが、今回の番外編連載のカギになってくるのである。
アオシマのミニ合体シリーズは、定価が100円、接着剤要らずと、徹底的に幼児・児童層に的を絞って展開されていて、実は『ガンダム』に関しても、当初の視聴率の低迷さから、『ガンダム』版権窓口でもあった創通エージェンシーからアオシマへ向けて商品化の打診があったと聞く。
ガンプラブームを追従すべく、アオシマが決定打として送り出した、1/810 イデオン
しかし、アオシマサイドとしても泥船に乗るメリットがあるわけでもなく、様子見をしていたところ、『ガンダム』は当初の予定よりも早く打ち切られることが決まったため、アオシマ的にはむしろ日本サンライズとのパイプは大事にしておきたいというビジョンから、『ガンダム』終了後に始まる『無敵ロボ トライダーG7』(1980年)と『イデオン』の、2つの模型化版権を両方獲得したという経緯がある。
もちろんアオシマは、それまでの慣習に倣い、イデオンもトライダーも、ミニ合体シリーズを中心に商品化計画を進めたわけであるが、そこでバンダイが、『ガンダム』放映終了後に模型化権利を取得。
1/144 ガンダムが出荷されたそのタイミングで、まさにアオシマは『イデオン』と『トライダー』のミニ合体シリーズを、それぞれ4種、一個100円で発売展開を開始し始めたのであった。
1/810 イデオンの内部構造。完成後の可動領域に大差はないが、内部構造に対するアプローチの仕方が、ガンプラと全く異なることがこれで見てとれる
ガンプラの開発・発売、そしてブームの経緯に関しては、隅々までこの連載で記してきたので、軽いおさらいだけを書くが、ガンプラ開始までにバンダイもバンダイで、ベストメカコレクションというマスコミ玩具模型シリーズで、アニメや特撮のメカを、スケールモデルとDX超合金の、長所を兼ね備える仕様で商品化する経験値を積んでおり、ガンプラもそのシリーズの枠内から始まったためか、瞬く間にガンダムのプラモデル、ガンプラは、その売り上げとブームを急上昇させていった。
やがてガンプラが、1/144 シャア専用ザク、1/144 グフ、1/100 ガンダム、1/100 ドム、1/1200 ムサイ、1/1200 ホワイトベースと、シリーズの初動ラインナップをそれぞれのスケールで揃え始めていた1980年末、アオシマイデオンは、改めてアニメメカ設定をとりいれて、児童層とスケールモデルをそれぞれ意識し始めた黎明期のモデルの双方のイデオンプラモデルを送り出した。
1/810 イデオンの腕は、肩回転軸こそシンプルだが、ブロックの組み合わせに見える腕の曲がり角度は、ガンダムよりも広い
一つは「アニメスケール 1/420 イデオン(1000円)」、そしてもう片方は、ノンスケールで発売されたポケットパワーシリーズの「ソロシップイデオン(500円)」「Xメカイデオン(500円)」(この2つはイデオン本体を構成するほとんどの部品に共通ランナーを使っているため、年明け1981年初頭には、部品が統合されて「イデオン スペシャルデラックス(1000円)」という1つの商品も発売された)を、それぞれクリスマス商戦用に送り出してきたのだ。
この時点ではまだ、アオシマのイデオンプラモデルの戦略は、「『ガンダム』のプラモデルが売れているらしいから、アニメのロボットプラモは売れるらしい」以上には、なかなか照準を定められないでいた。
こちらは1/144 ガンダムの腕の構造。肘は意外と曲がらない。角度で言えば45度ぐらいが限界か
アニメ作品としての『伝説巨神イデオン』は、『ガンダム』以上に作品内容が難解で、対象視聴者層が高年齢層に設定してある作品だ。
なので「アニメスケール 1/420 イデオン」が、アニメでは描かれなかった武装を内蔵しながらも、ディテールやプロポーション、クリアパーツの使い方などにスケールモデルテイストを盛り込んできた仕様なのは、決してガンプラブームの影響とばかりは言い切れなかった。
実際1/420 イデオンには、ものすごく中途半端な、アニメの合体を「イメージさせるギミック」がプラスされていた。
1/144 ガンダムと1/810 イデオンの腕だけを比較してみる。イデオンの肘は90度近く曲がる構造で、肩も双方それなりに広がる。ボディへの固定方式は、ガンダムの方がプラスチックの摩耗対策が講じられている
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