二代目・一条さゆりさんの経歴
1958年、福岡県福岡市博多区に生まれた二代目・一条さゆりさん。中学・高校は地元でも有名な私立校の筑紫女学園を卒業されています。大学は日本大学芸術学部・演劇学科劇作コースに進学して、演劇の世界に夢中になったそうです。
1980年代からはピンク映画にも出演され、セクシー系の女優としても活躍するように。
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これら作品を筆頭に、彼女は50タイトル以上のピンク映画に出演されていますよ。
その功績は高く評価され、1985年にはピンク映画専門のタイトル・ズームアップ映画祭にて助演女優賞を獲得しました。
その功績は高く評価され、1985年にはピンク映画専門のタイトル・ズームアップ映画祭にて助演女優賞を獲得しました。
その傍ら、一般向け映画の仕事もこなしており…
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などの作品では、女優としても存在感を発揮しています。
1980年代の後半に差し掛かると、アダルトビデオの存在がピンク映画の市場を奪うようになり、ピンク映画の撮影においても本番行為が横行するように。当時、彼女も役者として脇役に甘んじるか、AV女優になるか、二つの選択肢を迫られてしまいます。
どちらも納得できなかった彼女はストリップ業界に飛び込む決意をしました。
どちらも納得できなかった彼女はストリップ業界に飛び込む決意をしました。
そのことを大学時代の恩師に報告すると、初代・一条さゆりさんとも交流が深かった俳優・小沢昭一さんを紹介されます。この出会いこそ、彼女が二代目として”一条さゆり”を襲名するきっかけになったみたいですね。
このときに初代・一条さゆりさんは、まだ二代目の存在を知らなかったようですね。
その後、初代・一条さゆりさんは二代目の存在を知ると、彼女の存在を歓迎し、喜んで公認されています。
その後、初代・一条さゆりさんは二代目の存在を知ると、彼女の存在を歓迎し、喜んで公認されています。
二代目・一条さゆりさんはお客とは触れ合わないことを信条として掲げておられます。
当時のストリップはお客を舞台に上げて行なわれる生板本番ショーが横行していました。
当時のストリップはお客を舞台に上げて行なわれる生板本番ショーが横行していました。
しかし、彼女はそれを一切否定して、あくまでも踊り子としてパフォーマンスで勝負するスタイルを貫き、当時の過激化した舞台とは一線を引きました。