20年前に日本一になった横浜ベイスターズを象徴する「マシンガン打線」を振り返ってみよう!
2018年5月1日 更新

20年前に日本一になった横浜ベイスターズを象徴する「マシンガン打線」を振り返ってみよう!

近年稀に見る戦力の充実ぶりで、今年は1998年シーズン以来のリーグ優勝、そして日本一の期待がかかる横浜DeNAベイスターズ。悲願成就を願って、今回、20年前の偉業達成時に一世を風靡した「マシンガン打線」の陣容を振り返っていきたいと思います。

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華やかなりしマシンガン打線の中で、不動の存在ながらも、最も地味な存在…それが進藤達哉という選手でした。当時、カルビープロ野球チップスを買うと、なぜか彼のカードばかりが当たってしまい、ガッカリしたのをよく覚えています。

しかし、1997年~1999年までゴールデングラブ賞を3年連続で受賞した三塁守備は絶品。おまけに打撃面では、14本塁打を放つパンチ力も兼ね備えていて、成績の割にはかなり貢献していました。

8番(捕)谷繁元信(28歳)‐打率.254 14本塁打 55打点 ベストナイン ゴールデングラブ

谷繁 元信

谷繁 元信

結果的にマシンガン打線メンバーの中で、もっとも長く現役を続けたのが、2015年に中日ドラゴンズで引退したこの谷繁でした。1998年の日本一が決定した瞬間、大魔神・佐々木と抱き合ったシーンは、このシーズンのハイライトと言えるでしょう。

そんな横浜を代表する捕手だった彼が、2001年に中日へ移籍した時から、このチームは15年近く続く暗黒期に突入するのでした…。

1998年横浜ベイスターズ日本一の瞬間

(こじへい)
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