1998年日本シリーズ 横浜vs西武 第6戦
駒田選手のタイムリーは10:00辺りからです。
via youtu.be
●もし駒田選手が横浜に移籍してなかったら・・・
ちなみにこの1998年の巨人の成績はどうだったかと言うと・・・。退場を命じられたバルビーノ・ガルベスが球審にボールを投げつけた「乱闘事件(甲子園)」をきっかけに、以後首位争いから後退。
最終的に3位に終わりました。
最終的に3位に終わりました。
ちなみにこの頃には既に落合選手は巨人を去っていましたが(1997年から日本ハムに移籍)入れ替わる様に1997年に清原選手が入団。巨人ファンはシーズンや日本シリーズで大活躍する駒田選手を見て「駒田がいれば…」と羨む反面、「あの時落合選手をとっていなくても、ポジションがかぶる選手(主に一塁)をFAで次々と獲得していた巨人の下ではいずれ駒田選手は巨人を出る事になっていただろう」とも言われています。
守備も超一流だった
駒田選手は、勝負強い打撃だけではなく、一塁手としては史上最多となる10度のゴールデングラブ賞を受賞するなど、守備も超一流でした。本職は外野手や捕手が一塁を守っているどこかのチームの一塁手の守備とは・・・おっと、失礼。
引退、そして今
2000年シーズンに2000本安打を達成後、横浜から引退の勧告を受けるも、駒田選手が現役に未練を残していた事もあり、引退セレモニーなどはおこなわれないままに横浜を退団。
その翌年の1月、獲得に名乗りを挙げる球団が現れなかったことから引退を表明。
その後、原辰則氏が発起人となって開かれた「2000本安打を祝う会」の席上において、当時の長島監督が、一個人としてであるが・・・と断った上で、駒田獲得に興味を示すスピーチをしたのです。
その翌年の1月、獲得に名乗りを挙げる球団が現れなかったことから引退を表明。
その後、原辰則氏が発起人となって開かれた「2000本安打を祝う会」の席上において、当時の長島監督が、一個人としてであるが・・・と断った上で、駒田獲得に興味を示すスピーチをしたのです。
引退後、駒田さんは野球解説者として活躍。楽天、横浜で打撃コーチを務めるなど球界の人材育成にも貢献。2015年からは、独立リーグ・四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグス監督に就任しています。