精工舎(現:セイコー株式会社)が国産初のマイコンを発売。
(パーソナルコンピュータの原型と言える型のコンピュータ)
米アップル社がApple IIを発売。世界初のベストセラーとなる。
●1978年
東芝が日本語ワープロ「JW-01」を発売。
パーソナル用途向けのより安価なコンピューター(いわゆるパソコン)が各社から発売される。
(シャープMZ-80K、日立ベーシックマスターMB-6880、NECPC-8001)
●1979年
NECが「PC-8001」発売。8色のカラーと最大80文字×25行のテキストを表示できる。
『電子戦隊デンジマン』(1980年2月2日から1981年1月31日まで) スーパー戦隊シリ-ズの基本フォーマットが出来上がった。
青梅大五郎 / デンジブルー(声):大葉健二 - デンジブルーのスーツアクターも兼任:「バトルフィーバーJ」が終わるちょっと前だったと思います。次回も、と言われて「ええっ?」なんて思いました。二作品連続でレギュラー出演なんて、過去にない例でしたからね。緊張と共に張り切りもしましたね。
桃井あきら / デンジピンク(声):小泉あきら「あぁ~っ!ホットパンツから下着が見えてる回ですよね~。あれもDVDになってるんですか?カットしてほしかったなぁ(笑)。」
津山:あきらは4話の「パンツ編」があったよね(笑)。
あきら:あぁ~っ!ホットパンツから下着が見えてる回ですよね~。あれもDVDになってるんですか?カットしてほしかったなぁ(笑)。
結城:あのときはホットパンツだったけど、ミニスカートのとき怪物に吹っ飛ばされてパンツ見えたってのもあったね(笑)。
内田:よく考えたら凄いパンツだったね(笑)。ブルマーみたいに大きくて。
あきら:アハハハッ!今は流行っているんですよ、ああいうのが。あれって薄い花柄だったんですけど、大道具さんがあれを見て「今日は花柄か」なんて言ってたんですって(笑)。
結城:当時は全然気にならなかったけど、今になって観ると気になるもんだね。
デンジピンクに変身すると痩せる。デンジピンクのスーツアクターの方が痩せていたからである。
グラマラスなプロポーションが特徴の小泉あきらさんより、スーツアクターの竹田道弘さんの方が細身だった。竹田さんはゴーグルピンクなども演じている。
内田:変身すると痩せちゃうんだ(笑)。
あきら:そうなんですよ。竹田さんのほうが細いから~(笑)。
内田:そんなアホな、変身してなんで痩せるんだよ、なんてよく言ってたよね(笑)。
大葉:あと、ピンクは最後のほうになると衣裳の色が褪せてきて、マスクの色と全然違ってましたよ(笑)。
桃井あきら / デンジピンク(声):小泉あきら
わたしにとって「デンジマン」は女優としての唯一の作品なんですよ。楽しいときも、辛いときもありましたが、今でも出演させてもらったことを誇りに思っています。演技のことに加えて、人間的にもいろんなことを教わりましたね。個人的にはずぶの素人の演技で恥ずかしかったです。
『電子戦隊デンジマン』では他の俳優たちが撮影後皆で飲みに出かけていた中、大葉だけはスーツアクターとしての撮影もあったため、一度も一緒に行けなかったという。
映画「ロボコップ」(1987年)は「ギャバン」のデザインを引用したもの。
デンジマンは、パソコン・家庭用コンピューター(当時はマイコンと呼ばれた)など電子機器の影響、インベーダーゲームの影響を受けている。
タイトーのアーケードゲーム『スペースインベーダー』(1978年)の流行により「インベーダーハウス」と呼ばれるゲームセンターが各地に乱立した。
テーブルの代わりにテーブル筐体を設置した喫茶店「インベーダー喫茶」なども出現した。
駄菓子屋の店先、待合室などでも、10円から50円と格安なアップライト筐体による稼動があった。
当時アメリカ合衆国のカリフォルニア大学バークレー校の学生だった孫正義は、日本でのブームが過ぎた頃、日本で余剰となったゲーム機をアメリカに持ち込んで現地のレストラン等にリースするビジネスを始めた。孫が持ち込んだゲーム機は合計350台、半年間で1億円を超える儲けを得た。
昭和の仮面ライダーやジャッカー電撃隊のような改造手術・サイボーグ的「負の要素」を背負ったヒーローは、スーパー戦隊枠では上手くいかない印象。