17世紀にアメリカに宣教徒がやってきて、また、アフリカから奴隷が連れて来られて、ゴスペルとブルースという音楽形態ができる下地ができた。
ゴスペルは教会音楽、ブルースは日々の生活を歌った日常音楽である。これらの音楽は、それぞれに発展してきたが、20世紀に入って、微妙に混ざり合うようになる。
そして、1940年代までに、ブルースとゴスペルを合わせ、しかも、強いビートを持った黒人の音楽が誕生している。その音楽は、当初はレース・ミュージックと言われていたが、1949年に「リズム&ブルース」という名前で呼ばれるようなった。このリズム&ブルースに注目した白人音楽家がそれを真似て、”ロックンロール”というものを生み出し、これが世界的にヒットするようになったのである。
ロックンロール(Rock'n'Roll)とは何か??
人種差別解消の一助になっと言われる”フィリー・サウンド ”をもう一度、あの人に聞かせたい!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
ロックンロールは造語だった?!
ロックンロールの特徴は黒人音楽であるR&Bの均等なエイト・ビート、ブルースの一種であるシャッフル、ジャズの一種であるスウィングなどのリズムに、ブルースのコード進行(AADAEDAEのようなコード進行)や音階(スケール)を応用した楽曲構成になっている。また、それらの特徴に白人音楽カントリー・アンド・ウェスタンの要素を少し掛け合わせたものとされている。
ちなみに、”ロックンロール”とは、もともと黒人たちのスラング「Rockin' Rollin' Wheelin'」からきていて、これはセックスの隠語だったそうです。
”ロックンロール”とロカビリー”の違いって何なの??
厳密に分けるとすれば、白人音楽のカントリー・アンド・ウェスタンの要素が特に強いものを「ロカビリー」、黒人音楽のR&B要素が特に強いものが「ロックンロール」とされている。
ロックンロールの神様3人衆!!
チャック・ベリー(Chuck Berry)
チャック・ベリー
チャールズ・エドワード・アンダーソン・ベリー(Charles Edward Anderson Berry、1926年10月18日 - 2017年3月18日)は、1926年にミズーリで誕生した。20代初めで結婚し子供が誕生したため、家族を養うために工場などで働くと同時に、臨時収入を得るため、地元のバンドでブルースやR&Bをプレイし始めた。
1955年、シカゴを訪れた際、ブルース・シンガー、ギタリストであったマディ・ウォーターズから勧められ、チェス・レコードと契約し、後にロックンロール最初の曲の1つと呼ばれるようになる「Maybellene」をレコーディングし、ヒットさせ、翌年、「Roll Over Beethoven」が誕生した。その後、「School Day (Ring! Ring! Goes the Bell)」、「Rock And Roll Music」、「Sweet Little Sixteen」、「Johnny B. Goode」、「Carol」など、ロック史上最も重要な曲をいくつも世に送り出している。
ベリーのサウンドとスタイルは、ザ・ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズ、ジミ・ヘンドリックスら多くのミュージシャン――この世の全てのロックンローラーと言ってもいいだろう――に影響を与え、ジョン・レノンはかつて、「ロックンロールに別の名前を付けるとしたら、“チャック・ベリー”だ」と表したぐらいである。
2017年3月18日、ミズーリ州セントチャールズの自宅で亡くなった。90歳だった。地元の警察によると、意識がないとの通報により12時40分に駆け付け、救命措置を施したが、回復することはなく、13時26分に死亡が確認されたという。ご冥福をお祈り致します。
Chuck Berry - Maybellene
Chuck Berry - Roll Over Beethoven
Chuck Berry - Rock 'n' Roll Music
Chuck Berry - Johnny B. Goode (Live 1958)
Johnny B. Goode - Back to the Future (9/10) Movie CLIP (1985) HD
リトル・リチャード(Little Rechard)
リトル・リチャード
彼の祖父はセブンスデイ・アドヴェンチストと呼ばれるキリスト教宗派の牧師で、当然彼は幼い頃から厳格な教育の元で育てられました。ところが、そんな厳しいしつけのわりには、彼の父親はウイスキーの密造で逮捕されており、孫の彼自身もそんな家庭環境に反抗するかのような近所でも有名な悪ガキだったという。彼の心の中では、幼い頃から「聖と俗」の激しい葛藤が繰り返されていたに違いない。
幼い頃より皿洗いの仕事をしながら歌い続け、ついに1955年、スペシャルティ・レコーズからデビュー。「トゥッティ・フルッティ (Tutti Frutti)」、「のっぽのサリー (Long Tall Sally)」、「ルシール (Lucille)」、「リップ・イット・アップ (Rip It Up)」、「ジェニ・ジェニ (Jenny, Jenny)」、「グッド・ゴリー・ミス・モリー (Good Golly, Miss Molly)」といったヒットを飛ばす。エネルギッシュな歌唱法で、草創期のロックに決定的な影響を与えた。激しいアクションでピアノを弾く姿も話題となった。