2018年8月29日 更新
セド・グロ(セドリック・グロリア)を一変させたグランツーリスモ
日産の高級車といえばシーマとフーガですが、我々ミドルエッジ世代にとっては、セドリックとグロリアの印象の方が強い、という方も多いでしょう。今回は、この2車種をより身近に感じさせたグランツーリスモのお話です。
日産とプリンス、2社の最高級車
かつて、日産の高級車はモーター店系のセドリックと、プリンス店系のグロリアの2車種がありました。セドリックは、日産の中型セダンとして1960年に登場。当初は当時の小型車枠上限の1500ccで登場し、のち規格の変更で1900cc、2000ccと排気量が拡大されました。
一方のグロリアは、今はなきプリンス自動車の高級車として1959年に登場。1500ccのスカイラインに1900ccエンジンを搭載し、内外装を豪華に仕立てた車でした。
縦目4灯のヘッドライトが印象的な初代セドリック
セドリックは2代目、グロリアは3代目までは独自の設計でしたが、1966年にプリンス自動車が日産に吸収合併されたため、以降は共通設計となり、マークやディテールのデザインのみが違うバッジエンジニアリングによる車種展開となりました。
法人ユーザーが多いが実際は……
日産の実質的な最高級車となったセドリックとグロリア(以下、セド・グロと省略)は、4年ごとにフルモデルチェンジを行い、代を重ねていきました。ミドルエッジ世代にとっては、西部警察でのカースタントが印象に残っていることでしょう。
刑事ドラマなどでスカイラインやフェアレディZに負けず劣らぬ活躍をしたセド・グロですが、実質的なユーザーは法人が多く、黒塗りの運転手付きやタクシー・ハイヤー、そして高収入者の個人ユーザーにハードトップが支持されていました。これは、最大のライバルであるトヨタ・クラウンも似たような状況で、両者はライバルとして切磋琢磨していきました。
ミドルエッジ世代にとってのセド・グロといえば、この時代のグロリアが西部警察で大破されるシーンが印象的かも!
そして、両者とも同じ悩みを抱えていました。高収入者がユーザーということは、次第に高齢化していくのです。日産は、Y31型セド・グロの開発にあたり、ユーザーを調査しました。すると、想定外の回答が出てきました。所有者は法人なのですが、実際はオーナー社長が自分で運転している方が多かったのです。
グランツーリスモを設定して走りのセダンに
調査結果を基に、日産は英断を下しました。1987年に発売するY31型セド・グロを、個人ユーザー向けの車として開発したのです。
外観は、これまでの少しでも大きく見せようという角張ったデザインから、丸みを持たせたソフトなものになり、内装はアメリカ車を彷彿とさせるソファーのようなシートから、ドイツ車のような機能を優先したものにしました。そして最大の変更点は足回りです。先代のY30型まではリジット式でしたが、Y31型では当時のスカイラインなどと同様のセミトレーリングアーム式にしたのです。
グレードは、従来通りブロアムを高級仕様として展開し、最上級車をブロアムVIPとするのは共通ですが、個人ユーザー向けにグランツーリスモを初設定しました。2000ccツインカムターボ(エンジン自体はブロアムにも設定)は185PSを発揮し、サスペンションを固めに設定。外観は、前面のウインカーの下にフォグランプを装備する一方でフードマスコットをなくし、精悍でスポーティな印象になりました。
自動車評論家の徳大寺有恒氏は、「意外かもしれないが、今の日産車でセド・グロが一番楽しい」と評したほどでした。CMでも坂本龍一氏などの著名人に「今度のセドリックはいいね」と語らせたり、開発者が登場して語るなど、これまでのセド・グロから脱皮を図っているのが伺えました。
セド・グロの方針転換に販売サイドは大反対したとのことですが、この作戦は見事に当たり、セド・グロは新たな富裕層の獲得に成功。バブル景気に向かうこともあり、大ヒットモデルとなりました。1988年にはさらに上級のシーマを発売し、シーマ現象なる言葉が生まれるほどの大ヒットを記録しました。
Y31型セド・グロは、1989年のマイナーチェンジを受け、2000ccツインカムターボは最高馬力が210PSに引き上げられ、変速機には世界初の5段ATが採用されました。当時の日産は上はシーマが、下はC33型ローレルやR32型スカイラインという、魅力的なラインナップが印象に残っています。
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