掛布は1986年に手首にデッドボールを受け骨折。その後、ケガに泣かされて1988年に引退を決意した。
当時まだ32歳という年齢から他球団からのオファーが後を絶たなかったという。14年という短い選手生命であった掛布が、いまだに伝説の“ミスタータイガース”であり続ける訳が次のエピソードからうかがえる。
当時まだ32歳という年齢から他球団からのオファーが後を絶たなかったという。14年という短い選手生命であった掛布が、いまだに伝説の“ミスタータイガース”であり続ける訳が次のエピソードからうかがえる。
引退に際しては、その若さを惜しんで複数の球団からオファーがあったことをのちに明かしている。ヤクルトスワローズ監督の関根潤三からは、将来は阪神に戻ってもよいという条件で誘われた、横浜大洋ホエールズ監督の古葉竹識からは「背番号31を用意する」と誘われた。長嶋茂雄からは「一年間2軍にいて、じっくりと体を鍛えて気持ちを切り替えれば」というアドバイスがあった。
しかし、田淵がかつてトレードに際して「今度はお前だぞ。お前は、江夏や俺のように途中で縦縞のユニフォームを脱ぐようなことはするなよ」と言った言葉が頭にあり、現役を続けるなら阪神でなければならないと考えて固辞。
引退試合のあとコーチだった中村勝広から「最近は阪神の歴代の主力選手が、こんな引退試合をしたことはなかった。新しい阪神の歴史を作ったな。惜しまれながら球場全員が涙する。お前が道筋を作ったおかげで、これからはこうやって阪神の選手が辞めていくことができるだろう」という言葉をもらったと述べている。
本塁打王:3回 (1979年、1982年、1984年)
打点王:1回 (1982年)
最多出塁数:2回 (1981年、1982年)
表彰:
ベストナイン:7回 (1976年 - 1979年、1981年、1982年、1985年)
ダイヤモンドグラブ賞:6回 (1978年、1979年、1981年 - 1983年、1985年)
オールスターゲームMVP:3回 (1978年 第3戦、1981年 第2戦、1982年 第3戦)
月間MVP:1回 (1979年4月)