USED TO BE A CHILD特集のオリコンウイークリー1993年2月22日号表紙。
USED TO BE A CHILDとは
USED TO BE A CHILD(ユース・トゥ・ビー・ア・チャイルド)は、日本のアーティストたちによるチャリティーグループ。
1990年のいわゆる「1.57ショック」に代表される日本社会における出生率低下傾向を受けて、1992年に「子どもたちが、健やかに育つことができる環境づくり」を目指して当時の厚生省が「ウェルカムベビーキャンペーン実行委員会」を設立し、キャンペーン活動を展開する中で、同キャンペーンの趣旨に賛同したアーティストにより結成された。
1.57ショックとは。
1.57ショックという言葉をご存知でしょうか?
平成元年、今から20年以上も前の噺ということになりますが、この年の合計特殊出生率は1.57。丙午(ひのえうま)にあたる昭和41年(1966年)の出生率1.58を下回ったということで、少子化に悩んだ政府は「1.57ショック」というフレーズを用いて世の危機感をあおったのでした。
「育児をしない男を、父とは呼ばない」という厚生省が放った過激なキャッチ・コピーは一世を風靡したのですが、いつの間にか忘れ去られ、父親の育児参加はやや改善したとは言うものの、今でも極めて限定的というのが現実のようです。
出生率の低下と子どもの数の減少傾向に危機感を抱いた政府は、1994年のエンゼルプラン、1999年の「新エンゼルプラン」、2004年の「子ども・子育て応援プラン」などの少子化対策を矢継ぎ早やに繰り出したものの効果はいまひとつ、2009年の合計特殊出生率は1.37、年間出生数も11月末までの集計値が約97万人で対前年比2%減という厳しい現実がそれを物語っています。
関係ないですが、ひのえうまである1966年生まれの方が大学4年生になったのが21年後の1987年、バブル経済の始まりとちょうど重なり、企業は新卒社員の確保に大変だったようです。
ここから数年の間が、新卒採用の黄金期に入り、その後バブル崩壊とともに一気に下がります。
ここから数年の間が、新卒採用の黄金期に入り、その後バブル崩壊とともに一気に下がります。
錚々たる顔ぶれの「USED TO BE A CHILD」。
飛鳥 涼。
人としての大きさや、心の深さや、決して計ることのできないものまでも世の中は計ろうとしてしまいます。
チャリティと呼ばれるものには一種独特な正義があり、アーティストと呼ばれる人種の目には、それがとても危険な臭いのある場所に映ります。
今回の集まりも随分と時間はかかりましたが、運よく声の届いたメンバーで、あまり臭いを嗅ぎ分けずに楽しもうということで実現しました。スタジオの中での僕らのトリハダを一緒に味わって下さい。
未来の様々な哀しい予想図が誰もの手に届き、それに答えを出さなければいけない時代に僕らは生きてます。地球の歴史の中でも最も大事な時間を過ごしていると言える気がします。
いろんな表現はありますが、”あかちゃん”という言葉の響きで集まった僕らでした。
小田 和正。
WELCOME BABY キャンペーンのテーマは、とてもスケールの大きなものです。
日本人である僕らの抱えている、政治、経済、文化、すべての問題を含んでいます。
この主旨から離れることなく、地味でも実のある展開を期待して、参加しました。
”チャリティ”を掲げた企画は色が付く、ということで敬遠するアーティストが多い中、参加してくれたアーティストに感謝します。
楽しい仕事でした。
カールスモーキー石井。
米米CLUBでは、お馬鹿さんなエンターテイメントをやっているので、メッセージなどは烏滸がましくって出せません。
でも、気持ちはピュアです。
玉置 浩二。
飛鳥から、とつぜん家にTELが来ました。
”歌ってくれ”といわれました。ぼくは、じゃ歌おうか、といいました。
そして、スタジオに行ってみんなで歌いました。良かったと思いました。