これぞエースの背番号!18番投手を特集します
2019年8月14日 更新

これぞエースの背番号!18番投手を特集します

18番といえばエース、エースといえば18番というくらい定着している背番号ですが、歴代の18番を振り返ってみるとその名に恥じぬエース達が活躍していたことがわかります。さっそく確認してみたいと思います!

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西武ライオンズのではその他にも涌井秀章さん、多和田真三郎さんも18番のエースとして活躍されています。
西武ライオンズの投手は優秀な方が多いですね!

千葉ロッテマリーンズの「18番」

成田文男

千葉ロッテマリーンズの前身である東京オリオンズ、ロッテオリオンズ時代にエースとして活躍されていた成田文男さんは、その高速スライダーで観客を沸かせていたといいます。

そんなエースの成田文男さんの背番号も18番でした。
1970年と1973年に2度の最多勝獲得しており、通算175勝を挙げている方でありパ・リーグを代表する右腕だったと言われています。

往年の野球ファンの方なら誰もが知っている凄腕の投手だそうで、当時はパ・リーグの人気が低迷したいた状況であり、そんな中での成田文男さんの活躍はパ・リーグ全体の活性化につながっていたに違いありません。

大変偉大な投手であったことが判ります。
2011年に肝不全の為亡くなれています。享年64。
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伊良部秀輝

伊良部秀輝さんといえば剛速球の印象が非常に強く、1993年に清原和博さんと対戦した時には158km/hを投げてますよね!その当時の日本人では最速だったのをよく覚えています。
また、日本人として初めてヤンキース・メジャー契約選手となりました。

「投球フォームの腕を上げる高さから足を下ろす位置、それによる球の軌道までをミリ単位といえる細やかさで考えているのが伊良部という投手」とロッテ時代の先輩であった牛島和彦さんが語っている通り、野球に対するストイックな想いは強かった方なんだと思います。

色々とトラブルがあり、残念な最期を遂げることにはなりましたが、間違いなく18番を背負っていたエース投手であり、野球に疎い方でもその名は知っているという大投手だったと思います。

2011年死去。享年42。
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他チームの「18番」

佐々岡真司

広島カープの18番といえば佐々岡真司さんでしょうか?
1991年のカープリーグ優勝にも貢献しており、その後も長きに渡ってカープ投手陣の大黒柱として活躍されましたね。

あの江夏豊さんに次ぐ史上2人目の大記録である、先発で100勝、クローザーとしても100セーブを達成している偉大な投手でした。

ストレート、スライダー、シュート、カーブ、となんでも出来てしまう凄腕の投手であり、緩急自在のピッチングを操っていました。

現在は広島東洋カープ一軍投手コーチを務めています。
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三浦大輔

「ハマの番長」と呼ばれた三浦大輔さんは横浜不動の18番でした。

技巧派と呼ばれた三浦大輔さんは、オーバースローから平均球速約139km/h、最速148km/hのストレートを投げわけ、カットボール、スライダー、フォーク、スローカーブ、シュートなどを自在に操りました。

また、コントロールが半端ではなく、通算与四球率2.42の抜群の成績を残しています。
2005年に最多奪三振のタイトルを獲得するなど三振を奪う能力も併せ持つ、まさに凄腕の投手であったことが判りますね。

横浜の18番といえば三浦大輔さんといわれるくらい、別格のエースであったことは間違いありません。

現在は横浜の一軍投手コーチを務めています。横浜一筋なところもかっこいいですねよね。流石は番長です(^^)/
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吉田輝星

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