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大山倍達の病床に詰めていた男は、身の回りの世話をする内弟子を除いて5人いた。
1 東邦大学医学部入学と同時に同大空手部に入部し、極真空手一筋の道を歩み始め、全日本大会ではドクターを務める元極真会館相談役で横浜東邦病院院長の梅田嘉明
2 極真会館相談役で、大山倍達が義兄弟の契りを交わした柳川次郎(殺しの軍団と呼ばれた柳川組の初代組長)の舎弟、グリコ森永事件の主犯と疑われたことのある黒澤明(黒澤組組長)
3 世界大会で松井章圭と対戦した後、引退し、不動産会社や警備会社を経営し、岸和田市議、新進党大阪府第18総支部会長、新進党大阪府連常任幹事を務めた大西靖人
4 大西靖人の城西支部の後輩であり、資生堂の社長秘書をし、大山倍達の私設秘書も務めていた米津等史
5 米津等史の父親で弁護士の米津稜威雄
4月24~25日、2日間かけて、大山倍達自身の意向で危急遺言
(いますぐに遺言書を作成しないと遺言者の生命が失われてしまう場合など緊急事態に使われる遺言書。
緊急時に一般の人が対応できないことや、対応方法を知っている人間がいても、妻や子供など利害関係者を除き、証人となりうる人間が3名必要なため、危急時遺言は使用事例が少ない)
が作成された。
1 東邦大学医学部入学と同時に同大空手部に入部し、極真空手一筋の道を歩み始め、全日本大会ではドクターを務める元極真会館相談役で横浜東邦病院院長の梅田嘉明
2 極真会館相談役で、大山倍達が義兄弟の契りを交わした柳川次郎(殺しの軍団と呼ばれた柳川組の初代組長)の舎弟、グリコ森永事件の主犯と疑われたことのある黒澤明(黒澤組組長)
3 世界大会で松井章圭と対戦した後、引退し、不動産会社や警備会社を経営し、岸和田市議、新進党大阪府第18総支部会長、新進党大阪府連常任幹事を務めた大西靖人
4 大西靖人の城西支部の後輩であり、資生堂の社長秘書をし、大山倍達の私設秘書も務めていた米津等史
5 米津等史の父親で弁護士の米津稜威雄
4月24~25日、2日間かけて、大山倍達自身の意向で危急遺言
(いますぐに遺言書を作成しないと遺言者の生命が失われてしまう場合など緊急事態に使われる遺言書。
緊急時に一般の人が対応できないことや、対応方法を知っている人間がいても、妻や子供など利害関係者を除き、証人となりうる人間が3名必要なため、危急時遺言は使用事例が少ない)
が作成された。
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遺言者大山倍達は、平成6年4月19日聖路加病院971号室において、証人米津稜威雄、同梅田嘉明、同黒澤明、同大西靖人、同米津等史立ち合いの下に、証人米津稜威雄に対し次のとおり遺言を口述し、米津稜威雄はこれを筆記した。
一 遺言者死亡のときは次の通りにすること。
1 極真会館、国際空手道連盟を一体として財団法人化を図ること。
2 梅田嘉明は、財団法人極真奨学会理事長、株式会社グレートマウンテン(新会館建設のため現会館の隣の土地を買うために設立された新会社)社長を勤めて欲しい。
3 極真会館国際空手道連盟の大山倍達の後継者を、松井章圭と定める。世界各国、日本国内の本部直轄道場責任者、各支部長、各分支部長は、これに賛同し協力すること。
4 松井章圭は、極真会館新会館建設の第2次建設委員会長として新会館を設立すること。
5 梅田嘉明は、極真会館国際空手道連盟、財団法人極真奨学会、株式会社グレートマウンテン、有限会社パワー空手等、極真空手道関連事業を監督し、松井章圭の後見役として勤めて欲しい。黒澤明は、梅田嘉明を補佐し協力して欲しい。米津稜威雄、長嶋憲一(極真会館相談役、弁護士)もこれに協力して欲しい。
6 池袋の極真会館の土地建物は、新会館の土地を含めて、極真会館国際空手道連盟に寄贈する。これらに対する出費等も同じ。これらは極真空手道のためのみに使用すること。これらの手続きは、米津稜威雄において執って欲しい。
7 妻智弥子と三女喜久子には、石神井の土地家屋を持分平等の割合で与える。
右土地家屋には建築ローンが残存しているので、これを極真側で責任をもって支払って欲しい。千葉御宿の土地、大山倍達個人の預金、現金は智弥子に与える。なお智弥子に対しては、極真側で毎月100万円またはこれに相当する金額を支払って生涯面倒をみて欲しい。
8 「パワー空手」は、極真空手道の機関紙であって欲しい。機関誌として存続する限り、三女喜久子に毎月100万円宛支払って欲しい。
二 遺言執行者を次のとおり定める。
遺言執行者 弁護士 米津稜威雄
米津稜威雄は、右筆記事項を遺言者および証人梅田嘉明、同黒澤明、同大西靖人、同米津等史に読み聞かせ、右各証人はその筆記の正確なことを承認し、次に署名押印した。
筆記者 証人 米津稜威雄 ㊞
証人 梅田嘉明 ㊞
証人 黒澤明 ㊞
証人 大西靖人 ㊞
証人 米津等史 ㊞
『遺言書(追記)』
遺言者 大山倍達
一 韓国ソウル特別市在住の・・・・、・・・・、・・・・(ソウルにいる妻子、住所)には、極真側で各金1500万円を支払って欲しい。
一 北海道在住の・・・・(女性の名前)には、極真側で金1000万円を支払って欲しい。
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遺言者大山倍達は、平成6年4月19日聖路加病院971号室において、証人米津稜威雄、同梅田嘉明、同黒澤明、同大西靖人、同米津等史立ち合いの下に、証人米津稜威雄に対し次のとおり遺言を口述し、米津稜威雄はこれを筆記した。
一 遺言者死亡のときは次の通りにすること。
1 極真会館、国際空手道連盟を一体として財団法人化を図ること。
2 梅田嘉明は、財団法人極真奨学会理事長、株式会社グレートマウンテン(新会館建設のため現会館の隣の土地を買うために設立された新会社)社長を勤めて欲しい。
3 極真会館国際空手道連盟の大山倍達の後継者を、松井章圭と定める。世界各国、日本国内の本部直轄道場責任者、各支部長、各分支部長は、これに賛同し協力すること。
4 松井章圭は、極真会館新会館建設の第2次建設委員会長として新会館を設立すること。
5 梅田嘉明は、極真会館国際空手道連盟、財団法人極真奨学会、株式会社グレートマウンテン、有限会社パワー空手等、極真空手道関連事業を監督し、松井章圭の後見役として勤めて欲しい。黒澤明は、梅田嘉明を補佐し協力して欲しい。米津稜威雄、長嶋憲一(極真会館相談役、弁護士)もこれに協力して欲しい。
6 池袋の極真会館の土地建物は、新会館の土地を含めて、極真会館国際空手道連盟に寄贈する。これらに対する出費等も同じ。これらは極真空手道のためのみに使用すること。これらの手続きは、米津稜威雄において執って欲しい。
7 妻智弥子と三女喜久子には、石神井の土地家屋を持分平等の割合で与える。
右土地家屋には建築ローンが残存しているので、これを極真側で責任をもって支払って欲しい。千葉御宿の土地、大山倍達個人の預金、現金は智弥子に与える。なお智弥子に対しては、極真側で毎月100万円またはこれに相当する金額を支払って生涯面倒をみて欲しい。
8 「パワー空手」は、極真空手道の機関紙であって欲しい。機関誌として存続する限り、三女喜久子に毎月100万円宛支払って欲しい。
二 遺言執行者を次のとおり定める。
遺言執行者 弁護士 米津稜威雄
米津稜威雄は、右筆記事項を遺言者および証人梅田嘉明、同黒澤明、同大西靖人、同米津等史に読み聞かせ、右各証人はその筆記の正確なことを承認し、次に署名押印した。
筆記者 証人 米津稜威雄 ㊞
証人 梅田嘉明 ㊞
証人 黒澤明 ㊞
証人 大西靖人 ㊞
証人 米津等史 ㊞
『遺言書(追記)』
遺言者 大山倍達
一 韓国ソウル特別市在住の・・・・、・・・・、・・・・(ソウルにいる妻子、住所)には、極真側で各金1500万円を支払って欲しい。
一 北海道在住の・・・・(女性の名前)には、極真側で金1000万円を支払って欲しい。
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このように大山倍達は、後継者に松井章圭を指名した。
遺言書は全14項目。
1~5項までは、極真会館・国際空手道連盟と関連法人と会社の運営についての指示。
6~12項は、遺族に対するケア。
13、14項には、追記という形式で北海道と韓国にいる愛人と子供に対するケアについて記されていた。
遺言書は全14項目。
1~5項までは、極真会館・国際空手道連盟と関連法人と会社の運営についての指示。
6~12項は、遺族に対するケア。
13、14項には、追記という形式で北海道と韓国にいる愛人と子供に対するケアについて記されていた。
大山倍達の死
大山倍達生出演 いつみても波乱万丈
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1994年4月26日8時、大山倍達は肺ガンによる呼吸不全のために70歳で永眠した。
同時刻、松井章圭は予定を早めてネパールから帰国し、空港にいた。
東京の妻と3名の娘も死に目に会えなかった。
大山倍達という空手家の歩んだ人生は、あまりに波瀾万丈だった。
超人的な空手技を身につけ、牛を素手で撲殺。
アメリカを皮切りに世界各国を放浪し、行く先々でボクサー、レスラー、拳法家と対戦し、そのことごとくを撃破。
帰国後に実戦空手の極真会館を設立。
その門弟数は全世界で累積1200万人を数えるに至った。
1994年4月27日、総本部で行われた密葬が行われた。
出棺の際、梅田嘉明から大山倍達が後継者に松井章圭したことを発表された。
その突然の発表を、松井章圭は、参列者1500名と共に直立不動で聞いた。
同夜行われた緊急全国支部長会議では、遺言書の基づく松井章圭の後継者承認を巡って紛糾のうちに流会した。
1994年5月10日、支部長会議において、松井章圭の2代目館長就任が正式に確認された。
しかしこの後も、松井章圭館長就任に納得できない面々は、それぞれ会合を持ち続けた。
同時刻、松井章圭は予定を早めてネパールから帰国し、空港にいた。
東京の妻と3名の娘も死に目に会えなかった。
大山倍達という空手家の歩んだ人生は、あまりに波瀾万丈だった。
超人的な空手技を身につけ、牛を素手で撲殺。
アメリカを皮切りに世界各国を放浪し、行く先々でボクサー、レスラー、拳法家と対戦し、そのことごとくを撃破。
帰国後に実戦空手の極真会館を設立。
その門弟数は全世界で累積1200万人を数えるに至った。
1994年4月27日、総本部で行われた密葬が行われた。
出棺の際、梅田嘉明から大山倍達が後継者に松井章圭したことを発表された。
その突然の発表を、松井章圭は、参列者1500名と共に直立不動で聞いた。
同夜行われた緊急全国支部長会議では、遺言書の基づく松井章圭の後継者承認を巡って紛糾のうちに流会した。
1994年5月10日、支部長会議において、松井章圭の2代目館長就任が正式に確認された。
しかしこの後も、松井章圭館長就任に納得できない面々は、それぞれ会合を持ち続けた。
分裂騒動勃発
謎に迫る 極真会館分裂!
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1994年6月20日、大山倍達の次女の恵喜と三女の喜久子が極真会館総本部で記者会見を開いた。
「遺言は代筆による不完全なものであり、大山倍達自身の署名も捺印もなければ、口述を録音したテープもない。
その上、遺言の作成遇程にあまりに不明な点が多く、偽造の可能佳が高い。
よってその遺言書に記されてる松井章圭氏を、自分たちは後継として認める事は出来ない」
「自分たちは大山倍達の死因そのものにも大きな懐疑を抱いている」
と訴えた。
そして遺言書の無効と執行差し止め請求を東京地裁に提訴することを発表した。
ショッキングな会見は、テレビ、新聞、雑誌などで報道され、新体制の極真会鎗と大山倍達の遺族との間に確執があることが露見した。
大山倍達遺言書の存在は、死去した当日、遺言書を管理してた梅田嘉明によって明らかにされた。
それまで智弥子未亡人は、遺言書の内容は疎か、存在さえも知らされなかった。
「私は毎日主人の看病に行ってましたが、遺言書の事なんかひと言も聞いてません。
主人が死んだ日、記者会見で発表があったが、じゃあ私だけが知らされていなかった事になりますよね」
夫を失い傷心の智弥子未亡人を慮ってのことかも知れないが、これも遺族が遺言書に対する疑念を深める原因となった。
また遺言書には、大山倍達の韓国と北海道に愛人と子供がいることが明らかになっているが、智弥子未亡人は、それを受け容れていた。
「会館の皆さんはその事に気遣って 私に遺言書を見せなかったとおっしゃるんですよ。
でも私が今更ヤキモチを焼くような歳ですか。
五十年近く連れ添って、外に子供がいることくらい何の不思議もない人だったことは私が一番知ってますよ」
「遺言は代筆による不完全なものであり、大山倍達自身の署名も捺印もなければ、口述を録音したテープもない。
その上、遺言の作成遇程にあまりに不明な点が多く、偽造の可能佳が高い。
よってその遺言書に記されてる松井章圭氏を、自分たちは後継として認める事は出来ない」
「自分たちは大山倍達の死因そのものにも大きな懐疑を抱いている」
と訴えた。
そして遺言書の無効と執行差し止め請求を東京地裁に提訴することを発表した。
ショッキングな会見は、テレビ、新聞、雑誌などで報道され、新体制の極真会鎗と大山倍達の遺族との間に確執があることが露見した。
大山倍達遺言書の存在は、死去した当日、遺言書を管理してた梅田嘉明によって明らかにされた。
それまで智弥子未亡人は、遺言書の内容は疎か、存在さえも知らされなかった。
「私は毎日主人の看病に行ってましたが、遺言書の事なんかひと言も聞いてません。
主人が死んだ日、記者会見で発表があったが、じゃあ私だけが知らされていなかった事になりますよね」
夫を失い傷心の智弥子未亡人を慮ってのことかも知れないが、これも遺族が遺言書に対する疑念を深める原因となった。
また遺言書には、大山倍達の韓国と北海道に愛人と子供がいることが明らかになっているが、智弥子未亡人は、それを受け容れていた。
「会館の皆さんはその事に気遣って 私に遺言書を見せなかったとおっしゃるんですよ。
でも私が今更ヤキモチを焼くような歳ですか。
五十年近く連れ添って、外に子供がいることくらい何の不思議もない人だったことは私が一番知ってますよ」
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遺族側が疑念を抱いたのは、その内容と作成過程だった。
遺言書は大山倍達が死去する一週間前、5人の証人立ち会いで大山倍達が口述し、極真会館相談役で弁護士の米津稜威雄氏が筆記したものである。
遺言書の最後に、5人の証人の署名捺印があるが、大山倍達本人の署名捺印はない。
証人の中の1人、黒澤明が元黒澤組組長だったため、騒動の裏に暴力団関係者が暗躍してるという疑いもあった。
また遺族は調査によって、遺言書の中にも出てくる「財団法人極真奨学会」が、昨年、大山倍達自身の手によって消滅させられていたことがわかったという。
極真奨学会とは、全日本大会などの入賞者に賞金を出したり、本部道場に住み込みで空手の修行をする内弟子の育成に関する業務を行なうために設立された財団法人。
「毎年何万円かを役所に払えばいいだけなのに、どういうわけか父はその支払いを3年ほど前から行なっていなかったんです。
支払いの命令書が何度も来ていて父も知っていたはずなんですが、なぜかそれをずっと無視していたんです。
それで去年、とうとう財団法人極真奨学会は消滅してしまったんです。
これは松井さんはもちろん、極真奨学会の理事長をしていた梅田先生も知らなかったことです。
というよりも極真会館の中でこのことを知っていたのは、おそらく父本人だけだったんじゃないでしょうか」
(恵喜)
大山倍達自身の手によって消滅させられた財団法人極真奨学会が、大山倍達自身の口述のもとに筆記されたという遺言書に出ているのはおかしいというのである。
遺言書では、智弥子未亡人、長女の留壱琴、二女の恵喜、三女の喜久子に対し、毎月それぞれ100万円支払われる。
石神井の自宅、御宿の土地、湯河原の別荘など不動産も未亡人と娘たちが相続。
極真会館へ寄贈が指示されてる本部道場の土地と建物は相続税を考慮すれば、遺族にとって不利とはいえない。
「文面の通りにお金をいただけるんなら、こんなありがたい遺言書はない。
母はともかく、私たちは働く事が出来ます。
本部道場の建物と土地にしても、確かに遺言書通り極真会館に寄付した方が、金銭的に有利な事もわかってる。
不満なのは、お金のことではない。
遺言書がインチキで、作成に関わった人と、それに動いてる人たちが許せないといってるんです。
とにかく松井さんたちとは一緒にやっていくつもりはありません。
遺言書の偽造を一日も早く証明して、あの人たちには本部道場から出ていってもらいたいんです。
建物の相続税がかかるならば、石神井の家を売ってでもそれを払って、父が建てたあの建物を守りたいと思っています。
とにかく、あの人たちに父が残したものをこれ以上好きにされるのは、絶対に許せないんです」
(恵喜)
Sosai Mas Oyama kicking at Honbu Dojo
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1994年6月23日、松井章圭は出席しなかったが極真会館側が記者会見を行い、新体制の発表と遺族の記者会見に対する見解を述べた。
「組織としては松井新体制で固まり、分裂する事はあり得ない。
記者会見を行なった娘さんたちに関しては、故人が死去した時、アメリカ在住だった事もあって、コミュニケーションが十分に取れず、その為に誤解が生じてるが、我々が誠意を尽くして理解して貰うしかない。
遺言状については現在家裁で審査中であり、有効か無効かは裁判所が決める事である。
我々は大山家と対立する意思は全くなく、天皇家のような存在として、ずっと大事にしていきたいと考えてる。
ただし、今回の件、遺族を焚きつけた一部の支部長がおり、その人間に対し厳重処分を考えてる」
1994年6月26日、大山倍達が死んで2ヵ月が過ぎ、青山葬儀所で本葬が行われ、雨に打たれながら6000人の弔問客が訪れた。
その中には新日本プロレスの坂口征二社長、リングスの前田日明、シュートボクシングのシーザー武志、USA大山カラテの大山茂と泰彦兄弟、正道塾の中村忠、佐藤塾の佐藤勝昭、大道塾の東孝、正道会館の石井和義などもいた。
松井章圭は弔辞のとき「館長」ではなく
「葬儀委員長、松井章圭本部師範」
と呼ばれた。
遺影の中の大山倍達は、空手着を着て10段を示す10本の線が入った黒帯を握りしめていた。
しかしその遺骨は三女の喜久子が葬儀の途中で持ち出したため祭壇にはなかった。
その頃、大山倍達の次女の恵喜と三女の喜久子は、記者会見でマスコミに配布したビラを参列者にも配っていた。
大山倍達の遺骨は、恵喜の肩にかけられていた。
そして2人を100名以上の屈強な門下生が取り囲んだ。
マスコミとの接触を封じ、弔問客から隠すのが目的だったかもしれないが、よりショッキングなシーンとなってスポーツ紙に報道された。
日を追うごとに遺族の松井章圭に対する不信は深まり、21歳になったばかりの三女の喜久子はいった。
「最近、毎晩のように夢をみるんですよ。
松井さんたちを絞め殺す夢を。
こんなに人のことを憎んだのは、生まれて初めてです」
「組織としては松井新体制で固まり、分裂する事はあり得ない。
記者会見を行なった娘さんたちに関しては、故人が死去した時、アメリカ在住だった事もあって、コミュニケーションが十分に取れず、その為に誤解が生じてるが、我々が誠意を尽くして理解して貰うしかない。
遺言状については現在家裁で審査中であり、有効か無効かは裁判所が決める事である。
我々は大山家と対立する意思は全くなく、天皇家のような存在として、ずっと大事にしていきたいと考えてる。
ただし、今回の件、遺族を焚きつけた一部の支部長がおり、その人間に対し厳重処分を考えてる」
1994年6月26日、大山倍達が死んで2ヵ月が過ぎ、青山葬儀所で本葬が行われ、雨に打たれながら6000人の弔問客が訪れた。
その中には新日本プロレスの坂口征二社長、リングスの前田日明、シュートボクシングのシーザー武志、USA大山カラテの大山茂と泰彦兄弟、正道塾の中村忠、佐藤塾の佐藤勝昭、大道塾の東孝、正道会館の石井和義などもいた。
松井章圭は弔辞のとき「館長」ではなく
「葬儀委員長、松井章圭本部師範」
と呼ばれた。
遺影の中の大山倍達は、空手着を着て10段を示す10本の線が入った黒帯を握りしめていた。
しかしその遺骨は三女の喜久子が葬儀の途中で持ち出したため祭壇にはなかった。
その頃、大山倍達の次女の恵喜と三女の喜久子は、記者会見でマスコミに配布したビラを参列者にも配っていた。
大山倍達の遺骨は、恵喜の肩にかけられていた。
そして2人を100名以上の屈強な門下生が取り囲んだ。
マスコミとの接触を封じ、弔問客から隠すのが目的だったかもしれないが、よりショッキングなシーンとなってスポーツ紙に報道された。
日を追うごとに遺族の松井章圭に対する不信は深まり、21歳になったばかりの三女の喜久子はいった。
「最近、毎晩のように夢をみるんですよ。
松井さんたちを絞め殺す夢を。
こんなに人のことを憎んだのは、生まれて初めてです」
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葬儀の夜、世界支部長会議が開かれ、まず松井章圭の2代目就任が確認され、相談役の黒澤明は起立して松井章圭への敬意を表し、全員がそれに続いた。
しかしその後、支部長会議議長の西田幸夫は、まるで新館長を無視するように議事を進行した。
そして何らかの理由で新館長に反抗的な支部長たちは、
「異議なし」
と松井章圭が意見を挟む間もなく次々に議決していった。
まるで新館長を象徴的なものに祭り上げて実権は自分たちが握りたがっているようだった。
「ちょっと待ってください。
30分もたったころ松井章圭が発言した。
「私は館長でありながら、この席に座っているばかりというわけにはいきません。
なぜならここで決定されたことの結果責任はすべて最高責任者である館長がとらなければならないからです。
これからは館長の責務としてこの議事進行は私が担当します」
反松井派は押し黙り最後まで口を開くことはなかった。
逆に郷田勇三、盧山初雄、浜井識安、山田雅捻など松井支持派の支部長たちは同調した。
こうして極真会館は、松井支持派、反松井派、そしてどちらでもない派に分かれた。
しかしその後、支部長会議議長の西田幸夫は、まるで新館長を無視するように議事を進行した。
そして何らかの理由で新館長に反抗的な支部長たちは、
「異議なし」
と松井章圭が意見を挟む間もなく次々に議決していった。
まるで新館長を象徴的なものに祭り上げて実権は自分たちが握りたがっているようだった。
「ちょっと待ってください。
30分もたったころ松井章圭が発言した。
「私は館長でありながら、この席に座っているばかりというわけにはいきません。
なぜならここで決定されたことの結果責任はすべて最高責任者である館長がとらなければならないからです。
これからは館長の責務としてこの議事進行は私が担当します」
反松井派は押し黙り最後まで口を開くことはなかった。
逆に郷田勇三、盧山初雄、浜井識安、山田雅捻など松井支持派の支部長たちは同調した。
こうして極真会館は、松井支持派、反松井派、そしてどちらでもない派に分かれた。
【新極真会】三瓶啓二師範『手刀バット斬り』
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松井章圭館長は、三平啓二と緑健児らと共に、3週間、アフリカ各国の支部で指導と講演の旅に出かけた。
到着した南アフリカのホテルでは、松井章圭がスイート、三瓶啓二と緑健児にはツインルームが用意されていた。
「押忍」
朝、松井章圭がホテルのロビーに出ていくと南アフリカ支部の支部長と門下生は立ち上がって十字を切った。
「押忍」
松井章圭は同じ挨拶を返した。
このときロビーにいた三瓶啓二はソファーに腰を下ろしたままだった。
南アフリカの支部長がドアを開けてくれた部屋へも、車にも、新館長よりも先に入り乗った。
会議では
「おいおい、それはそうじゃなくてこうしろ」
と松井章圭の発言を肩を突いて遮った。
困った松井章圭は
「おとなしく座っていてください」
「いま会議中ですからご意見は後程伺います」
といってなだめた。
(これが師範と呼ばれる人のすることなのか)
三平啓二の不快な行動は南アフリカ滞在中ずっと続いた。
「ちょっと話があるんですけど・・」
帰国3日前、松井章圭は同行者全員を部屋に呼んだ。
「館長という立場上、三瓶先輩に対しては僭越といえるような言動があったと思います。
まずそのことを謝りたいと思います。
失礼しました」
「いや、それは・・・」
「この点に関しては謝りますが、自分にもいいたいことがあります」
松井章圭は三瓶啓二の数々の問題行動を挙げた。
「これらの行為が極真会館の将来を本当に思っておられる先輩のとる態度ですか。
自分は遊びで来ているんじゃない。
極真会館の公職としてこういう立場に立っているんです。
そのような場においては先輩後輩という立場を超えた立場というものがあってしかるべきじゃないですか。
このことを理解して、まずお互いが尊重し合うという関係に立てないですか」
そしておだやかなやりとりが2時間ほど続いた後、三瓶啓二はいった。
「わかったよ。
これからはお前を立てるよ。
まあ、がんばれよ」
「やっとわかってくれた。
ここでのやりとりは他言無用にしよう」
と松井章圭が決めた後、
「それでも・・・・」
三瓶啓二が再び話を戻そうとした。
すると松井章圭がキレた。
「先輩、2時間もかけて話し合って、そこまでいうんでしたら話にならない。
表へ出ましょう。
後輩が先輩に対してここまでのことをいうからには胎をくくっているんですよ
どうするんですか。
やりましょうよ」
「いや、悪かったよ」
(折れてきたのならこれ以上追及することはない)
「わかりました。
先輩ですから」
極真会館分裂前 最後の全日本 第26回全日本決勝戦 八巻建志VS数見肇 Kenji Yamaki VS Hajime Yamaki kyokushin karate
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松井章圭の当面の課題は、6月の第11回全日本ウエイト制大会と10月の第26回全日本大会、そして翌年に行われる第6回世界大会の開催だった。
大会には巨額の費用が必要だったが、
「極真は君たち門下生全員のものなんだよ。
もしも私が死んだ後に金が遺してあったら、私の墓に来て唾を吐きなさい」
と生前、大山倍達がいっていたように、総本部の金庫は空同然だった。
門下生数1200万人というのは、累積入門者数で、現時点での実質的な道場生数は、1/10以下になるる。
極真会館の主な収入源は、道場生の入会費、月謝、昇級・昇段の認可料、大会の入場料などがある。
それらを合わせても総本部に集まってくる金は多くて年間に2~3億円。
そこから職員や指導員の人件費、会館の運営費まで出していかなければならない。
松井章圭は、全国を飛び回って、資金援助をしてくれる企業や後援者を訪ね歩いた。
そして何とか開催にこぎつけた第11回全日本ウエイト制大会と第26回全日本大会は、お家騒動のおかげもあって大観衆が詰めかけた。
(いつまでも他人様の米びつで飯は食えない。
やはり日々の組織活動の中から活動資金を捻出できなければいけない)
松井章圭は、総本部による門下生の一元管理システムを導入しようとした。
大山倍達時代、総本部と支部長の関係は、上納金として年間に一定額を支払えば、支部の活動は自由で、総本部が口をはさむことがなかった。
当然、支部長からは反対された。
(支部長たちは門下生を自分だけの弟子と考えているが、門下生は等しく極真の会員で、大山倍達総裁の弟子である)
大会には巨額の費用が必要だったが、
「極真は君たち門下生全員のものなんだよ。
もしも私が死んだ後に金が遺してあったら、私の墓に来て唾を吐きなさい」
と生前、大山倍達がいっていたように、総本部の金庫は空同然だった。
門下生数1200万人というのは、累積入門者数で、現時点での実質的な道場生数は、1/10以下になるる。
極真会館の主な収入源は、道場生の入会費、月謝、昇級・昇段の認可料、大会の入場料などがある。
それらを合わせても総本部に集まってくる金は多くて年間に2~3億円。
そこから職員や指導員の人件費、会館の運営費まで出していかなければならない。
松井章圭は、全国を飛び回って、資金援助をしてくれる企業や後援者を訪ね歩いた。
そして何とか開催にこぎつけた第11回全日本ウエイト制大会と第26回全日本大会は、お家騒動のおかげもあって大観衆が詰めかけた。
(いつまでも他人様の米びつで飯は食えない。
やはり日々の組織活動の中から活動資金を捻出できなければいけない)
松井章圭は、総本部による門下生の一元管理システムを導入しようとした。
大山倍達時代、総本部と支部長の関係は、上納金として年間に一定額を支払えば、支部の活動は自由で、総本部が口をはさむことがなかった。
当然、支部長からは反対された。
(支部長たちは門下生を自分だけの弟子と考えているが、門下生は等しく極真の会員で、大山倍達総裁の弟子である)
2022/10/30 11:20
↑ばかりってそこだけなの?
グッドウイルス 2021/6/30 16:10
松井に好都合の虚偽記載...ばかりだよ
文章圭は許永中の舎弟で 詐欺師仲間なのだよ
日本の警察を あまく視るな
グッドウイルス 2021/6/30 16:10
松井に好都合の虚偽記載...ばかりだよ
文章圭は許永中の舎弟で 詐欺師仲間なのだよ
日本の警察を あまく視るな