【期待を一身に背負った大器】バブルガムフェロー
2016年11月25日 更新

【期待を一身に背負った大器】バブルガムフェロー

その着差以上に強い内容で圧倒的なパフォーマンスを見せた大器。バブルガムフェローをただの早熟馬とみることもできる、しかし、バブルガムフェローに期待し、可能性を信じ続けた関係者の軌跡を追っていく。

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バブルガムフェロー
父 サンデーサイレンス 母 バブルガムカンパニー。
父サンデーサイレンス、社台ファーム期待の種牡馬で、後に日本競馬会の歴史的種牡馬となる。
母バブルガムカンパニー、社台ファームの吉田照哉氏がその血統の良さから15歳という繁殖牝馬としてはリスクの高い年齢でも購入を決断した繁殖牝馬である。

そんな社台ファームの期待を背負った父と母から生まれたのがバブルガムフェローである。ちなみに、前年にも同じ配合で生まれていた兄がいたが、病気により競走馬になることはなかった。それがゆえにバブルガムフェローへの周囲の期待は上がるばかりであった。
社台ファーム

社台ファーム

社台ファームは北海道千歳市東丘にある競走馬生産牧場。
代表:吉田照哉
主な生産馬:アグネスタキオン、ダイワメジャー、エイシンフラッシュ、ヴィクトワールピサ、ノンコノユメ等々

入厩~デビューまで

主にサンデーサイレンス産駒の活躍馬は、気性が激しく扱いが難しい馬が多いとされている。(その気性の強さが活躍した要因と言われている)しかし、バブルガムフェローは、そんな周囲の心配とは反対に非常に大人しく素直な性格だった。そして、入厩先は関東の名門藤沢和雄厩舎に決まった。デビューに向けてバブルガムフェローの動きを見た藤沢調教師は「無事に成長していけばどんな馬になるか・・」と後に語っている。

期待のデビュー戦、そして三歳チャンピオンへ

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順調に調教をこなし、1995年10月にデビュー戦を迎える。鞍上には岡部幸雄騎手だった。
この当時藤沢厩舎のジョッキーというと岡部騎手っと言われるほど、騎乗数が多かった。
バブルガムフェローのデビュー戦は、圧倒的な1番人気に推されたが3着と敗れている。またこのレースで岡部騎手はほとんど追うことはなかった。
このことに関して、岡部騎手は「新馬の初戦は、馬が競馬というものを何か分かっていない。勝ち負けよりも楽しくレースを走らせるほうが大事」と語っている。それを物語るように次走で一変、勝利を収めている。続く府中3歳Sでは評判馬のサクラスピードオーも下している。
派手な勝ち方ではないが、ほとんど追うこともなくまだ遊びながらも勝ち上がる内容の高いレースぶりに、管理している藤沢調教師も鞍上の岡部騎手もこの馬の持っている可能性を意識し始めた。

三歳チャンピオンへ

1995年 朝日杯3歳ステークス 1着 バブルガムフェロー 2着 エイシンガイモン 解説:吉田均 実況:塩原恒夫アナ
未勝利戦、府中3歳Sと連勝した後、藤沢調教師が選んだレースはG1朝日杯3歳S(1600m)だった。
このレースの出走に、主戦騎手の岡部騎手は反対をしたといわれている。これまでバブルガムフェローは全て1800mのレースを使われてきた、これは翌年のクラシック路線を意識したものであり、1600m戦である朝日杯3歳Sに出走すると、「せっかく馬が覚え初めて来たレースのペースが乱されてしまう」と心配したものだった。しかし、藤沢調教師はこれまで楽なレースしかしていない為、ペースの激しい競馬をさせた時にどういった競馬するかを見てみたかったという。
その朝日杯3歳Sでは1番人気に支持される。続く2番人気にエイシンガガイモン、3番人気スキーミュージック、4番人気ゼネラリストとすべて外国産馬が人気を集め、クラシックに出走できない外国産馬の、バブルガムフェロー包囲網ができていた。
そんな、厳しい状況の中のレースであったが、レースでは4コーナーで仕掛けた武豊鞍上のエイシンガイモンが早めに抜け出す、差がなかなか縮まない中で、それまでほとんど追っていなかった岡部騎手のステッキが入る!この一撃でさらに加速しエイシンガイモンを差し切る。最後は岡部騎手が追うのを止めるほどだった。
こうしてバブルガムフェローは早くもG1の栄冠を勝ち取った。

夢やぶれる。

3歳チャンピオンとして迎えた4歳の初戦「スプリングS」を快勝したバブルガムフェローはクラシック戦線の有力候補だった。この年のライバルにはオークス馬ダンスパートナーの弟ダンスインザダーク、ダービー馬ウイニングチケットの弟ロイヤルタッチ、年明けのジュニアSを圧勝したイシノサンデー。すべて父がサンデーサイレンスだった為、ファンはサンデーサイレンス四天王と呼んでいた。
休み明けを叩き本番の皐月賞に向け調子が上がってきていたバブルガムフェローだが突然の悲劇が・・
追い切り翌日に歩様が乱れ検査の結果「右後脚の骨折」であった。「全治六か月」競走馬にとって一生に一度しかないクラシックの夢はやぶれた。

雪辱の秋

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全治六か月という診断であったが、回復も早く夏には帰厩することができた。藤沢調教師は今後のローテーションを周囲の予想とは反して『天皇賞秋』と発表した。当時4歳馬による古馬への挑戦は少ななかったが、前年のジェニュインが挑戦し2着と少しづつ時代が変わり始めていた。そんな中、藤沢調教師はバブルガムフェローのベストは2000m、今の完成度があれば古馬とも互角以上に戦える。っいう確信があった。これは鞍上の岡部騎手とも一致していた。菊花賞への迷いはなかったといわれている。

復帰初戦を古馬との対戦になる毎日王冠とした、バブルガムフェローは3着でレースを終える。初の古馬との対戦であったがそこまで強い相手もいないレースだった為、次走の天皇賞秋に向けては不安がよぎった。。
この年の古馬路線にはサクラローレル、マヤノトップガン、マーベラスサンデーの3頭を中心に古馬の壁は相当厚く、しかもバブルガムフェローを最もよく知る主戦の岡部騎手がアメリカ遠征のため天皇賞にはテン乗りの蛯名騎手が騎乗となった。
当時の蛯名騎手はまだG1勝利経験がない騎手だった。

天皇賞秋の人気は3番人気、鞍上の蛯名騎手は返し馬で馬を走らせた時に、「凄い馬だ、これで負けたら自分のせいだ」「岡部さんじゃなかったから負けた」とは言わせないと密かに燃えたと語っている。
レースは本命のサクラローレルが出遅れるという波乱の展開でスタート、バブルガムフェローは内枠からスムーズに先行集団へ、その後も1000m60秒というスローペースもバブルガムフェローに味方した。
そのまま直線に入り残り200mすぎでマヤノトップガンとの激しいたたき合いを制し1着でゴールイン!!
実に59年ぶりの4歳馬による歴史的勝利を勝ち取った。アメリカでこの結果を聞いた藤沢調教師は次の夢をバブルガムフェローに託したいと考えていた。

失い始める輝き

96年のジャパンカップは凱旋門賞ばエリシオをはじめ、ペンタイア、シングスピール等々豪華な顔ぶれが揃っていた。前走で古馬の一流どころを破ったバブルガムフェローは日本の総大将として2番人気に推された。しかし、当日返し馬に跨った岡部騎手は違和感を覚える。「前向きな姿勢が感じられない」「どうも口向きがおかしい」この不安は的中することになる。
スタートはいつも通りに決め好位につけた。だが、馬群を嫌がり外へ外へと逃げる。。3コーナーを過ぎて各馬が続々と仕掛けていく中で、バブルガムフェローの闘志だけのみ蘇らない。岡部騎手は一度もムチを使う事なく13着と大敗した。
原因不明の惨敗をしたバブルガムフェローの海外遠征は白紙となり放牧に出された。

翌年は宝塚記念を目標にされたが、中々良いころの状態に戻らない日々が続いた。休み明けの鳴尾記念を勝ったがレース自体は満足できるものではなく、宝塚記念に臨む。
直線で一旦は先頭に立つがマーベラスサンデーに差し切られて2着に敗れる。天皇賞秋以来の蛯名騎手曰く、「本調子なら押し切れていた」と語っている。
秋になり、少しずづ馬体重も戻りつつあり、やっと復調の兆しが見えた毎日王冠を勝利し、天皇賞秋へと向かう。単勝1番人気、支持率51.7%にも及んだ。
レースはいつもと同じく好位3番手で進めた、しかしこの時の逃げ馬サイレンススズカは1000m58秒という玉砕的なペースで逃げていた、3コーナーでもまだ10馬身以上の差がある。1番人気に推されたバブルガムフェローは動かざる終えなかった、4コーナー手前で進出し直線でサイレンススズカを捕らえる。そのまま押し切るかと思ったが、後ろからエアグルーヴが襲い掛かる!岡部騎手の渾身のムチに答え粘るバブルガムフェローであったがクビ差で敗れた。レース後岡部騎手は「相手が強かった」と語っている。結局、光り輝いていた輝きを取り戻す事が出来ないまま、バブルガムフェローは次走のジャパンカップ3着を最後に引退した。
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