種牡馬時代
引退後は2003年までは社台スタリオンステーションにて繋養され、2004年からはブリーダーズ・スタリオン・ステーションにて繋養されていた。また、オーストラリアにもシャトル種牡馬として行っており、重賞馬も複数輩出している。
1999年から2005年までは日本国内だけでも毎年150頭以上の繁殖牝馬を集めた。リーディングサイアーランキングの最高位は2004年の9位。
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おわりに
競走馬は非常に繊細な生き物である。肉体的にも・精神的にも・・。バブルガムフェローはこの両方の試練にぶつかったのだと思う。故障に泣かされクラシックを棒に振った4歳春。史上最高のパフォーマンスで古馬を蹴散らした秋。輝きを取り戻そうともがき続けた5歳。競馬に「たら・れば」はないがバブルガムフェローが順調であったら・・を考えてしまう。そんな強さと脆さそして競走馬の難しさを教えてくれたのがバブルガムフェローだった。