高校野球史に残る名勝負~1985年・夏~PL学園対宇部商業
2016年11月25日 更新

高校野球史に残る名勝負~1985年・夏~PL学園対宇部商業

高校野球史に残る名勝負をいくつか紹介しています。ここでは、1985年夏の大会。PL学園対宇部商業戦をとりあげます。「KKコンビ」高校三年生・夏の大会決勝戦で「甲子園は清原の為にあるのか!」という名実況が生まれました。

26,318 view

「KKコンビ」・高校3年生の夏

高校1年生の夏から5季連続で甲子園に出場した、桑田真澄・清原和博の「KKコンビ」。ただ、全国制覇を成し遂げたのは高校1年生の夏「のみ」…と言っては言い過ぎでしょうか。ともあれ、高校3年生の夏。PL学園はすさまじい執念をもって甲子園に乗り込んで来たのです。この大会2回戦から登場したPL学園は、初戦の対東海大山形戦で猛打爆発。毎回得点を挙げて29-7という大差をつけるのです。
PL学園対東海大山形戦スコア

PL学園対東海大山形戦スコア

この大会、中々ホームランが出なかった清原選手ですが、準々決勝の対高知商業戦で、後に大洋ホエールズや中日ドラゴンズで活躍する、中山裕章選手からレフトへ推定140mの超特大のホームラン。続く準決勝の対甲西高校戦でも清原選手は2本塁打を放ち、チームも15対2と快勝して、決勝に進出します。

「甲子園は…」

この大会の決勝戦。PL学園と対戦したのは宇部商業。両校はこの年の春の選抜大会の2回戦で対決。その際、宇部商業は2-6で敗れていました。決勝戦、宇部商業のマウンドに先発したのは、この大会不調が続いていた「背番号1」の田上昌徳投手ではなく、この大会好リリーフでチームを決勝戦まで導く原動力となった「背番号11」の古谷友宏投手でした。古谷投手が初回、1死2塁のピンチで迎えた清原選手を平凡なセンターフライに打ち取ると、宇部商業が2回表に1点を先制。その後も宇部商ペースで試合は進むのですが、4回裏、清原選手の第2打席。古谷投手のシュートがわずかに浮いた「失投」を清原選手は見逃さず、打球はレフトのラッキーゾーンに飛び込む同点弾となりました。

1985 PLvs宇部商 決勝戦 清原ホームラン

伝説のホームラン&名実況
「甲子園は清原の為にあるのか」
試合は6回の表に宇部商業が3対2と逆転します。ですが、その直後の6回裏。清原選手この試合の第3打席。真ん中高めに少し浮いたストレートを振り抜くと打球はセンターの中段に飛び込む、この試合2本目の同点ホームランとなりました。
両手を挙げてガッツポーズ

両手を挙げてガッツポーズ

両手を挙げてガッツポーズをとり、ベースを一周する清原選手。そこでこの試合を実況していた朝日放送のアナウンサー・植草貞夫さん「甲子園は清原のためにあるのか!!」という名文句が生まれます。

死闘、決着

「甲子園は…」と言うものの、3対3の同点のままで試合は進みます。9回裏Pl学園の攻撃も既に2アウト。このまま延長戦突入か…と思われた時、2番・安本選手がセカンドとセンターの間に落ちるポテンヒットで出塁。その後3番松山選手を打席に迎え盗塁で2塁に進塁。1本ヒットが出ればサヨナラという場面に変わります。カウントは2-3のフルカウント。投げる前、味方野手に向かって振り返り「2アウト―」と声を出す古谷投手。それは味方の緊張を解くというより、自分自身の気持ちを落ちつける動作にも見えます。

1985年夏決勝 PL学園vs宇部商 決着の瞬間

3番打者で、主将を務めていた松山選手はこの日ノーヒット。古谷選手からすれば、この日2本塁打を打っている清原選手が次に控えていることを考えれば、ここで松山選手を歩かすわけにはいかない…と考えていたことでしょう。そんな風に次の清原選手を意識しすぎたのでしょうか、古谷投手の投げた速球はわずかに真ん中よりに入ってきます。
抱き合って喜ぶPL学園の選手たち

抱き合って喜ぶPL学園の選手たち

真ん中でバットを持っているのが清原選手です。
松山選手が打った打球が右中間を抜けていくと、PL学園ベンチから選手が飛び出してきます。ネクストサークルで打席が回ってくるのを待っていた清原選手もバットを高く掲げて、喜びを爆発させます。
当時の新聞記事より

当時の新聞記事より

「KKコンビ」最後の夏、PL学園がサヨナラ勝ちで優勝を決めたこの試合を各メディアは大きく報じました。

PL学園VS宇部商

↑PL学園VS宇部商戦のプレイボール~試合終了までの動画です
24 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

高校野球史に残る大逆転試合~昭和59年・夏~金足農業対PL学園

高校野球史に残る大逆転試合~昭和59年・夏~金足農業対PL学園

高校野球史に残る大逆転試合をいくつか紹介しています。ここでは、昭和59年・夏の大会準決勝。金足農業対PL学園戦をとりあげます。桑田・清原(当時高校2年生)擁する優勝候補大本命のPL学園に挑んだ「雑草軍団」の戦いの結末は…。
和尚 | 36,979 view
100年間の全国高校野球選手権大会の激闘をまとめた『甲子園 運命の一球』が堂々発売!!

100年間の全国高校野球選手権大会の激闘をまとめた『甲子園 運命の一球』が堂々発売!!

株式会社エイ出版社は、100回の歴史的な節目を迎える全国高校野球選手権大会の激闘をまとめた『甲子園 運命の一球』を2018年6月27日(水)に発売することを決定しました。
隣人速報 | 1,328 view
高校野球史に残る名勝負~1977年・夏~東洋大姫路対東邦

高校野球史に残る名勝負~1977年・夏~東洋大姫路対東邦

高校野球史に残る名勝負をいくつか紹介しています。ここでは、1977年夏の大会決勝。東邦対東洋大姫路戦をとりあげます。東邦高校の一年生エース坂本圭一投手と東洋大姫路高校松本正志投手の投げ合いとなったこの試合の結末は劇的なものとなりました。
和尚 | 8,403 view
桑田真澄 桑田ロード、すなわち野球道 小さな体をした真のエース

桑田真澄 桑田ロード、すなわち野球道 小さな体をした真のエース

本来、「すみませんでした」という謝罪は「澄みませんでした」 ということ。そういう意味で桑田真澄はほんとうに澄んだ男なのかもしれない。数字や勝ち負けなどの結果や巨額の年俸がクローズアップされやすいプロ野球において、「結果はクソ」とプロセス主義を貫き、「試練や困難は自分を磨くための砥石」「努力している自分が好き 」と自分を磨くこと「人間力」を上げることを人生の価値とした。そしてライバル清原和博同様、スケールの大きな、そして好対照な野球道を歩んだ。
RAOH | 8,212 view
清原和博 オリックス時代 想い続けた「あと1本、ホームランが打ちたい」そして引退!!

清原和博 オリックス時代 想い続けた「あと1本、ホームランが打ちたい」そして引退!!

清原和博の最後の戦い。大手術後、パワーを失ってしまった肉体。でも想い続けた「あと1本、ホームランが打ちたい」引退試合で、王貞治から贈られた花束と言葉!
RAOH | 3,091 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト