掛け持ちでバンドをすると色々大変です!上手く両立が出来ればいいのですが・・・。
メジャーデビュー
メジャーデビュー直前にドラムのTANOが病による体調不良で脱退。1987年5月に行われたオーディションで元SABER TIGER(北海道)のMINATOが加入し、同年9月にビクターからアルバム『GHOST OF ROMANCE』でメジャー進出を果たす。
Dead End - Ghost of Romance - 1987 (Full Album) - YouTube
via youtu.be
ボーカル・MORRIE独特な詞の世界観とハードロックを基調としながらも、作品ごとに雰囲気を大きく変え、常に革新的なサウンドに挑み、多くのファンを獲得する。
1987年10月28日 東京芝郵便貯金ホールを皮切りに、デビューツアーを開始。
1987年末 プロデューサーにPINKの岡野ハジメを起用し、セカンドアルバムの製作を開始。当初はミニアルバムを制作する予定だったがフルアルバムに変更。
1988年5月22日 名古屋市芸術創造センターを皮切りに「shambara Tour」をスタート。
1988年8月9日 大阪・南港「SUPER JAM'88」出演。
1988年9月24日 渋谷公会堂(現 渋谷C.C.Lemonホール)コンサートの模様をビデオシューティング。後に「Psychoscape」としてリリース。
1990年1月に解散。当初、「MINATOのみが脱退し、バンド自体は継続する」という話になっていたが、後任のドラマーを見つけられなかったため、そのまま解散へと至った。
わずかな期間の活動ながら、彼らが音楽シーンに残した爪あとは大きく、後のバンドに数限りない影響を与えた。LUNA SEAのRYUICHI(河村隆一)は、MORRIEのビジュアルに影響を受け、初期は、髪型を真似していた。また、元・黒夢の清春、L'Arc~en~CielのhydeもMORRIEの歌唱法から影響を受けていることが、散見される。同じくL'Arc~en~Cielのtetsuもファンを公言し、ベースのCRAZY COOL JOEと親交を深め、MORRIEが2005年に、Creature Creature名義で活動を再開した際に楽曲提供とベースでの参加を果たしている。
バンド復活
2009年8月15日、イベント”JACK IN THE BOX2009 SUMMER”のステージで遂に彼らは20年ぶりにDEAD ENDを再始動させた。 ジャパニーズ・メタル・シーンにおいて彼らのヴィジュアル、サウンド、ワードといった唯一の世界観(存在)はシーンに与えた影響は計り知れなく再結成の望む声も絶え間なかった。
1曲目の冒頭から炸裂する切れ味の鋭いヘヴィなリフに驚く。いきなりこう来たか?と、初期の頃のファンはニヤリとさせられる訳だが、何にしろ今作はソリッドなリフに主導されるメタリックな曲が非常に多い。
基本的に最初期の頃から彼らの出す音は曲調の振幅が結構激しかった訳だが、今作にも初期のヘヴィさが表出した「Devil Sleep」や「Guillotine」、名曲「Replica」辺りを髣髴させる「神猿」などの禍々しさが際立つ曲、洗練されたHR的なグルーブを持つ「Dress Burning」「Princess」、アンビエントな「疑似ビーナス」虚無的にうねる長尺曲「冥合」など、過去のキャリアを反映した如く様々な曲調のナンバーが並び飽きさせない。
ギターリフに絡む豪快なユニゾン。そのまま重いグルーヴでイントロが構成されると思いきや・・・ツーバス踏み拉いて切って落すとは!ベテランが見せがちな、斜に構えた余裕の展開ではなく、気鋭の若手のような瑞々しいアグレッションに何度も度肝を抜かれた。3曲目までの流れはアラフィフのオジサマとは思えない。改めて畏れ入る。
今作は史上最もメタリックである、と称されるアルバムとして、剛性の高さに納得。しかし“ヘヴィメタル”と単純にカテゴライズするには、相変わらず一筋縄でいかない。それこそがDEAD ENDをして絶対のブランドたらしめている所以。そのキラリ光りまくるフックの奔流に、感嘆驚嘆阿鼻叫喚。流行りの亜流に傾倒することなく、メタルのド真ん中にどっしりと構え、その“本流”を今回も進化させたと感じる力作。
復活後のファンからの反響はとても大きかったみたいです。
L'Arc-en-CielのボーカルHYDEがバンド『Dead End』の魅力を語る
「SHAMBARA」(1988年発売メジャー2ndアルバム)の頃です。音楽的に枠にとらわれてないところに一番グッときましたね。その当時ってメタルはメタル、パンクはパンクじゃなきゃダメというか、ジャンルを限定しがちだったというか。その点DEAD ENDはすごく自由でカッコよくて、そこに一番惹かれたかな。
同年12月にはメタル・ブレイド・レコーズを通じて全米でリリースされました。
最高オリコンチャートは14位。