加藤久氏、ラモス瑠偉氏が日本サッカー殿堂入り!読売クラブ、ヴェルディ川崎で活躍した両氏!
日本サッカー協会は1日、80年代から90年代にかけて日本サッカー界を支えた名選手である加藤久氏とラモス瑠偉氏の「日本サッカー殿堂入り」を発表しました。
掲額式典は9月10日に東京都文京区の日本サッカーミュージアムで行われる予定です。
掲額式典は9月10日に東京都文京区の日本サッカーミュージアムで行われる予定です。
第15回日本サッカー殿堂 掲額者決定のお知らせ #jfa https://t.co/bXZJCToBzb
— 日本サッカー協会 (@JFA) August 1, 2018
両氏は日本サッカーリーグ時代の読売クラブ、その後のヴェルディ川崎で活躍しています。
加藤氏はクレバーな守備が特徴で、主将としてチームをまとめ、数々のタイトル獲得に貢献しました。聡明で博識な人物として知られ、現役時代から母校である早稲田大学の助教授に就任、日本サッカー協会・強化委員会の一員に選ばれるなど、”三足の草鞋を履いた”異色なサッカー選手でもありました。
引退後はJリーグ各クラブの監督、日本サッカー協会・強化委員長などを歴任しています。
加藤氏はクレバーな守備が特徴で、主将としてチームをまとめ、数々のタイトル獲得に貢献しました。聡明で博識な人物として知られ、現役時代から母校である早稲田大学の助教授に就任、日本サッカー協会・強化委員会の一員に選ばれるなど、”三足の草鞋を履いた”異色なサッカー選手でもありました。
引退後はJリーグ各クラブの監督、日本サッカー協会・強化委員長などを歴任しています。
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ラモス氏は1977年にブラジルから来日、1989年に日本に帰化。ブラジル時代はスイーパーでしたが、来日後はFWとして得点能力を発揮し、日本サッカーリーグ時代には得点王を獲得しています。
ゲームメーカーとして、自在なパスや柔らかなループシュートなどを駆使して、数々の印象的なシーンを演出。90年代を代表する「背番号10」のひとりでもあります。
また、1990年から日本代表に名を連ね、1993年には日本代表の中心選手として「ドーハの悲劇」を経験しています。初のワールドカップ出場を逃した試合直後に、頭を抱えうなだれる姿は「ドーハの悲劇」を象徴するシーンとして知られています。
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今回の掲額者選出は投票選考によるもので、満票123票の内、加藤氏は109票、ラモス氏が93票を集めています。
また、特別選考もあり、釜本邦茂氏を擁してメキシコ五輪(1968年)で見事銅メダルを獲得した日本代表チームが選出されています。
また、特別選考もあり、釜本邦茂氏を擁してメキシコ五輪(1968年)で見事銅メダルを獲得した日本代表チームが選出されています。
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