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ジムの外で酒を飲んだとき、突然立ち上がり仁王立ちでシャツを脱いで肉体をみせたり、山盛りの食べ物を平らげた後、隣の客の連れていたプードル犬を指さして
「次はお前を食ってやる」
といって驚かせたりした。
タールにいた頃は女性に関心を示さなかったがミュンヘンではナンパをして風俗店にも通った。
彼は女性は性のはけ口とみていたし、そのアプローチも単刀直入だった。
例えば
「他に何かお望みのものは?」
とウエイトレスに聞かれると
「あるよ。
君とのセックス」
こんなやり方でも女性はすぐに手に入った。
ジムに入会しにやってきた登山家に、
「(2階にあった)ジムの窓から出て地上におりられたら入会を認めよう」
といってその通りにさせたり、舞台でポーズをとるときに大声で叫ぶのがアメリカのボディビルでは最新のテクニックだと教え、その通りに行った選手をみて大笑いした。
ジムにいたアメリカ人に笑顔で近づき、ドイツ滞在に最低限必要なドイツ語で、このことばさえ知っていれば好印象を与えるし友達もできると教えたのは
「コンニチハ、アナタハ、マイニチ、イッショウケンメイ、オナニーシテイマスカ?」
という意味の言葉だった。
アーノルドは、車の運転も乱暴で、交通ルール違反も数知れず、しかも罰金は払わずじまいで風俗店に通った。
最年少優勝 身長189㎝、ウエスト86㎝、胸囲144㎝、上腕56㎝、大腿80㎝、下腿50㎝
Mr. Universe '67
2ヵ月後、アーノルドは重量挙げの大会に出場するためにグラーツへ帰った。
そしてかつてのジムメイトであるクルト・マーヌルに
「225㎏を挙げたら折れるような脚だな」
アディー・ジーグナーには
「ダメダメ、いい腕してるけど俺にはかなわんだろう」
カール・カインラスには
「カール、おまえはかなり強いと聞いているが俺のレベルにはまだまだだな。
4年もトレーニングしているのにその貧弱な体とはねえ」
といった。
そして大会は、アーノルドのコーチだったヘルムート・セルンシックが優勝。
アーノルドは2位だった。
アメリカへ 1番強いのはだれか見せつけてやる
Frank Zane VS Arnold Schwarzenegger
その数日後、アメリカのボディビル界に君臨するウイダー兄弟の要請を受け、スポーツバッグ1つで渡米。
2日後には彼らが主催するMr.ユニバース大会へ出場したが、トレーニング不足で100㎏以上あったアーノルドは30㎏も軽いフランク・ゼーンに敗れた。
その夜は異国の地で1人泣いたが、数日後には誓った。
「アメリカ人からテクニックを学び、同じモノを食って、最後にはアメリカのボディビル界を征服して1番強いのはだれか見せつけてやる」
そしてアメリカに来て数週間後には
「今夜、いっしょに寝たい」
といってレストランのウエイトレスを誘いモノにした。
Weider ウイダー
The Father of Bodybuilding | Joe Weider
ジョー・ウイダーは13歳のときに「力と健康」という雑誌に出ていた肉体美の写真をみて以来ボディビルに魅せられ、ガラクタ置き場からフライホイールをバーベル代わりに練習を始めた。
2年もたたないうちに体重70㎏で120㎏が挙げられるようになった。
やがてボディビルがマイナーな理由を
「専門誌がないからだ」
と考え「力と健康」のバックナンバーから800人のボディビル愛好家を調べてボディビル専門誌発行の案内書を出した。
そして購読申し込み料の500ドルが送られてくると、新刊「自分の体」を発行。
やがて興行家として、また実業家としてアメリカのボディビル界に君臨するようになった。
彼らは、アメリカでアーノルドに給料を払いながらトレーニングさせ、自身が発行する雑誌にトレーニング方法などを掲載し、国際的なスターに仕立て上げるつもりだった。
アーノルドはウイダー兄弟と契約を結んだ。
トレーニング料と広告への名前と肖像権使用料、出演料として週給が支払われた。
雑誌にはアーノルドのトレーニング記事をゴーストライターが書いた。
アーノルドはカリフォルニア州のサンタモニカにアパートと車を買ってもらい、雑誌や商品を売るのを手伝い、ボディビルの普及に努めた。
Gironda ジロンダ
Vince Gironda Diet Training & Exercise Documentary
「Mr.ユニバースのアーノルド・シュワルツェネッガーです」
「Mr.ユニバース?
ただのデブじゃないの?」
自己紹介に手痛い返しをするジロンダに、アーノルドは笑顔で握手を求めた。
そして9か月間、この自分の弱点を指摘してくれるトレーナーの下でトレーニングに励んだ。
父は映画スタントマンだったが、ビンス・ジロンダもスタントマンになり500本に及ぶ映画に出演した。
23才のときに初めて、トレーニングに取り組んだ。
1年間後、スタントマンの仕事を辞め自分自身のジムを開く。
2年間、懸命に働いた後、スタジオシティーとユニバーサルシティーを走るベェンチュラ通りにジムを移し現在に至っている。
ジム内には、彼の考案した独特の器具が備えられている。
カーリング・ベンチも、ここで製作された。
18歳のときにトレーニングを始めたジロンダはMr.ユニバースとMr.アメリカで上位を占め、Mr.カリフォルニアのタイトルを獲得した。
そして51歳でMr.ウェスタンのショーに出演し、28インチの腹部、逆三角形の上半身、みごとに発達した大胸筋と三角筋で観衆を魅了した。
Be Here Now
Muscle Old Beach Venice
そしてここでもまた中心的な人物となった。
ジョークでみんなを笑わせながら、ナンバーワンになるために大きな決意をもってトレーニングに挑んだ。
ジムに入るときの顔は真剣そのもので目は虎の目をしていた。
トレーニングは週6日。
月水金は、午前中は胸と背中、夜は脚をトレーニング。
火木土は胸と腕をトレーニング。
胸のトレーニングではベンチプレスを5セット行い、60㎏から始めて徐々に増やしていく。
途中で挙がらなくなったらバーベルのプレートを外して60㎏に戻して続けた
こうして60㎏が1tに感じるくらいまで続けた。
スクワットは1回のトレーニングで6000㎏以上挙げるため、週に数t挙げることになる。
途中で気を失ったり嘔吐することもあったが、アーノルドは起き上がって続けた。
通常、トレーニングは何セット行うか決めて行うが、アーノルドは
「Be Here Now(いま、ここ)」
だけに集中し納得するまで何セットでも繰り返した。
ハードなトレーニングにより、おそらくたくさんケガもしていただろうがアーノルドは誰にもそれをいわなかった。
彼のトレーニングをみようと多くのトレーニーがジムに集まった。
アーノルドも自分だけでトレーニングしているときより、人の前でのほうが重い重量を挙げることができた。
アーノルドはファンに囲まれてスターとなった。
トレーニングの合間にビーチにいったりハンバーガーショップにいったりした。
ゴールドジムのスタッフがジムの窓ガラスを拭いているときアーノルドは窓の反対側でズボンを下し尻を出してみせた。
ビーチではビキニ姿の女性を目で追い、お気に入りがいれば
「セックスしようよ」
と声をかけた。
Arnold at Gold's gym
「強くなるにはどうしたらいいか教えてくれ」
というファンに
「わざわざオーストリアから空輸しているスペシャルオイルだ」
といって瓶を取り出しファンの体に塗り、全身に塗り終えポーズをとらせた。
「オイルを洗い流さずそのまま服を着るように、少ししたら筋肉がつくから・・・」
とアドバイスするとファンは油のしみた服を着て喜んで帰っていった。
スペシャルオイルは車のガソリンだった。
また
「どうしたらそんな体になれるのか」
とたずねてくる別のファンには
「俺のような体をつくりたいならクルミの殻をつぶしたものを塩と混ぜて食べればいいんだよ。
1日目はそれをスプーン1杯。
2日目からは1日ごとにスプーン1杯ずつ増やしていって、30日間それを食べるんだ。
だから30日目にはスプーン30杯を食べることになる。
これを続けたら筋肉が発達し俺のような体になるぞ」
とアドバイス。
喜んだそのファンは17日目まで頑張った。