Arnold's First Girlfriend
1969年7月、アーノルドはレストランで働くバーバラ・アウトランドに一目ぼれした。
これまで真剣に女性を愛したことがなかったが、やっとめぐり合った。
バーバラはサンディエゴ大学で英語の教師を目指し学ぶ学生で、アーノルドのことも、ボディビルのタイトル保持者であることも知らなかった。
アーノルドは22歳、バーバラ・アウトランドは20歳、お似合いのカップルだった。
バーバラはアーノルドに英語を教えたり、アーノルドがカレッジに通い出すと宿題を手伝ったりした。
またアーノルドの写真入りでボディビルのトレーニング器具とトレーニング法について書いた冊子を通信販売していたが、バーバラは事務的な手伝いをした。
そしてアーノルドはバーバラの学費を払い、バーバラがアーノルドのアパートに泊まらない日は女遊びに専念した。
Sergio Oliva...O Mito...tricampão do Mr.Olympia(1967-68-69)
アーノルドは、Mr.ユニバース(IFBB)では優勝したが、Mr.オリンピアではセルジオ・オリバに敗れ2位だった。
その後、ロンドンでのMr.ユニバース(NABBA)で優勝、ドイツで行われた大会でも勝ちMr.ヨーロッパとなった。
映画デビュー作品
アーノルド・シュワルツェネッガーのSF超人ヘラクレス (字幕版) - 予告編
ゼウスの私生児であるヘラクレス(アーノルド)は、オリンポス山から投げ捨てられニューヨークに降り立つというストーリーだが、アーノルドのセリフは訛(なまり)が強かったので吹き替えられた。
苦いデビュー作である。
じゃ、先に行って
1970 MR. OLYMPIA Arnold Schwarzenegger VS Sergio Oliva
これまで5、6時間ぶっ続けで行っていたが、1回1時間、1日2、3回、週4、5日行うという方法に切り替えた。
1970年9月18日、ロンドンのMr.ユニバースで優勝。
1970年9月19日、ロンドンからニューヨークまで12時間かけて移動した後、プロMr.ワールド大会に出場し、セルジオ・オリバに勝って優勝した。
さらに2週間後、10月3日、ニューヨークタウンホールで行われたMr.オリンピアで再びセルジオ・オリバを抑えて優勝。
このとき舞台の上でアーノルドとオリバがポーズをとって競っていたが、2人とも疲れ切っていたので、アーノルドが
「もうこのくらいで舞台を下りないか?」
と聞くとオリバは
「いいよ」
と返した。
アーノルドに
「じゃ、先に行って」
といわれその通りにすると観客はオリバが棄権したと誤解しヤジを飛ばした。
アーノルドは気が変わり舞台に残りMr. オリンピアとなった。
こうして23歳のアーノルドは1970年の1年間でMr.ユニバース、プロMr.ワールド、Mr.オリンピアの3つのタイトルを獲得した。
Mr.オリンピア 連覇開始
1971 Mr Olympia
2度目のMr.オリンピアを獲得した。
Arnold Vs Sergio: 1972 Olympia
(3度目の優勝)
このときアーノルドは1.5㎏ほど体重をオーバーしていたし、セルジオ・オリバのできがよく強力なライバルになると思われた。
しかし予選をする部屋の壁が黒系の色だった。
するとアーノルドの白い体は浮き立ち、オリバの黒い体は消されてしまうという目の錯覚が起こり、審査員は現実以上にアーノルドを評価したという。
1972年12月11日、エッセンの大会の2ヵ月後、父:グスタフが65歳で心臓発作のために亡くなった。
1週間後、グラーツ郊外の墓地に葬られるとき100人を超す警察官が列席したが、アーノルドはトレーニングのため葬式にも出れずアメリカにいた。
Pumping Iron- Arnold Schwarzenegger vs. Lou Ferrigno ,,HULK´´
アメリカはジョギングブームからボディビルの時代が到来しつつあり一般誌もボディビルの特集を組んだ。
アーノルドは何度もテレビに出演しボディビルにイメージを変えた。
「ボディビルは愉快なスポーツ。
腕でラクダのこぶがつくれるスポーツ」
というアーノルドをみて視聴者は笑ってしまった。「1970年代の半ば、僕はボディビルの普及に努めて前よりなじみやすいものにしたと思いますよ。
昔はボディビルをする者は1日に肉を1㎏、卵を30個食べ、12時間眠り、セックスなんかできなかった、といわれていました。
それだったら誰もボディビルに興味を持たない。
まず昔にいわれていたことは間違っていますし、あるスポーツを普及しようと思ったらそれが楽しいものであると知らしめるべきですよね。
これはスポーツに限ったことではないですがね。
食生活についても、僕はケーキやアイスクリームも食べたし、夜遅くまで起きていたし、セックスもしたし、してはいけないといわれていたことを全部しました。
ボディビルに必要なのは、週3回、45分から1時間のトレーニングだけなんです。
それでバッチリですよ」
またアーノルドは映画「ロング・グッドバイ」に出演。
ギャングの手下役でセリフはなくケンカ腰で立っている役だった。
Arnold Schwarzenegger Mr Olympia 1974
5度目の優勝。
まさに無敵、最強の男だった。
ジョー・ウイダーの発行する雑誌で、アーノルドが表紙を飾り、中身も記事や商品の宣伝でアーノルドの写真であふれ、アーノルドのようになりたい読者の心を煽った。
「チャンピオンに聞いてみよう」という読者からの質問にアーノルドが答えるコーナーでは、
「個人的に話してみる必要がある」
と返事をし定員35名の公開講座の参加を呼びかけている。
費用は数千ドルだった。
アメリカ国内で行われるボディビル大会にアーノルドはゲスト出演すると入場料5ドルの会場に数千人が入った。
そして父親がナチスだったのに「栄光への脱出」のテーマ曲が流れ、アーノルドコール起こる中、ボディビル界史上最高、最強の男が現れポーズをとった。
女性は熱狂し、男性は羨望のまなざしを向けた。