via ameblo.jp
1996年10月、ジャクソン5はダイアナ・ロスが司会を努めた「ザ・ハリウッド・パレス」で全国ネット・デビューを飾ります。
ここでダイアナにより初めてアメリカ中の視聴者に紹介されました。
12月14日「エド・サリバンショー」に初登場、「女王ダイアナ・ロスが見いだした新世代のスター」というモータウンのプロモーションにより、彼らは新人ながら毎週日曜日夜8時~1時間生放送されていた人気番組の出演者に抜擢されたのです。
この二つの影響力のあるTVのパフォーマンスは、人種も性別も年齢も超えたアメリカ全土の人々がマイケル・ジャクソンとその兄弟の魔法にとりつかれてしまった忘れられない経験となりました。
ここからの彼らの快進撃はポップ、ロック、ソウルの歴史を塗り替えるほどでした。
デビュー曲から4枚連続全米チャート1位となるヒットを連発する
1970年発売のシングル『小さな経験』
『ビルボード』誌のR&BチャートとBillboard Hot 100の両方で1位を獲得した。
ロックの殿堂のスタッフや音楽評論家たちが選出した「ロックン・ロールを形作った楽曲」の500曲の中に、「ABC」も含まれている。
ロックの殿堂のスタッフや音楽評論家たちが選出した「ロックン・ロールを形作った楽曲」の500曲の中に、「ABC」も含まれている。
1970年発売の『小さな経験』
Billboard Hot 100と『ビルボード』誌のR&Bチャートの両方での1位獲得を果たした。
モータウンの社長ベリー・ゴーディ・ジュニアは、ジャクソン5のデビュー前、ジャクソン5のレコードは3曲連続で1位になると言ってグループを励ましており、それが実現した形となった。
モータウンの社長ベリー・ゴーディ・ジュニアは、ジャクソン5のデビュー前、ジャクソン5のレコードは3曲連続で1位になると言ってグループを励ましており、それが実現した形となった。
ジャクソン5は多数のアルバムやシングルを出し、総売上枚数が1億枚以上と言われています。
モーターンレコードからの移籍
'68年末~'76年3月までジャクソン5として在籍したモータウン。ビジネス上の意思の食い違い等から袂を分かつ結果となりましたが、外野が見なすような「ケンカ別れ」などと単純には言えない絆は、当事者間の胸の内にのみあるのでしょう。
ちなみジャーメインは、この社長の娘のヘイゼル・ゴーディーと結婚し、移籍しないでモータンに残りますが、後に兄弟が新たに立ち上げたバンド『ジャクソンズ』に加入します。
リードボーカルを務めるマイケルとジャーメイン
1969年にジャクソン5がデビューしてからは、マイケルが元気な曲を、ジャーメインがしっとりとしたバラードを歌うことになっていたそうです。しかし、マイケルの魅力溢れる歌声と才能により、曲の殆どをマイケルのリードボーカルで歌われることになったのです。
マイケルはジャーメインの事をとても慕っており、ジャクソン5でリーダー的存在であり野心家のジャーメインが、常に自分の隣で演奏している事が大きな支えであったと語っていました。
マイケルは、ジャーメインの歌を真似して歌い方を覚えたらしいです。ちなみにジャクソン5でジャーメインがリードボーカルを務めた曲を紹介します。下記の"Daddys Home"です。
Daddy's Home - Jermaine Jackson - YouTube
via www.youtube.com
ジャクソン5時代から才能を発揮していたマイケル
モーターンレコードーのベリー・ゴーディーJrによると大人も驚くような深みを持った子供だったようです。
1969年にシングルとして発表されると、翌1970年には、Billboard Hot 100と『ビルボード』誌のR&Bチャートの両方で1位を獲得した。
1999年、「帰ってほしいの」はグラミーの殿堂入りを果たした。
アメリカのPitchfork Mediaが2006年に選出した「1960年代の最も偉大な200曲」では2位に達した。