阪急の黄金時代
1970年代は阪急ブレーブス黄金時代で、前半は西本幸雄監督、後半は上田利治監督が率い、6度のリーグ優勝、3度の日本一を果たしています。中でも1975年は特別で、上田監督が初優勝し、その後のリーグ4連覇、日本一3連覇の最初となった年でした。
2シーズン制とは
パ・リーグは、1973年から1982年まで、前期・後期の2シーズン制を採用していました。前期65試合、後期65試合が行われ、各期の優勝チームでプレーオフを行います。勝ったチームがリーグ優勝。日本シリーズへの出場権を得ます。
2シーズン制は、パ・リーグを盛り上げるための施策として行われ、一定の効果はありましたが、問題もありました。それは、前期に優勝したチームは、後期のモチベーションが低下しがちなこと、あるいは、プレーオフの準備に専念できることです。これに該当するかは不明ですが、1975年の阪急は、前期は優勝したものの、後期は最下位まで一気に転落。しかし、最終的には、プレーオフ、日本シリーズともに阪急が制します。ある種、2シーズン制の意義を問うようなシーズンでもありました。
2シーズン制は、パ・リーグを盛り上げるための施策として行われ、一定の効果はありましたが、問題もありました。それは、前期に優勝したチームは、後期のモチベーションが低下しがちなこと、あるいは、プレーオフの準備に専念できることです。これに該当するかは不明ですが、1975年の阪急は、前期は優勝したものの、後期は最下位まで一気に転落。しかし、最終的には、プレーオフ、日本シリーズともに阪急が制します。ある種、2シーズン制の意義を問うようなシーズンでもありました。
1975年前期・・・優勝
前期の阪急は開幕から絶好調で、4月は12勝6敗。太平洋クラブライオンズ(太平洋)と首位争いを演じ、5月には2.5ゲーム差の首位に立ちます。最も貢献した選手の一人が、投手の竹村一義。前期だけで8勝1敗の好成績をあげます。加藤秀司も、打率.322、16本塁打、53打点と三冠王を取りそうな勢いです。6月も順調に勝ち越し、圧倒的な強さで前期優勝を果たしました。
前期・順位表
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | ゲーム差 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 阪急 | 38 | 25 | 2 | .603 | - |
2 | 太平洋 | 30 | 29 | 6 | .508 | 6.0 |
3 | 近鉄 | 31 | 30 | 4 | .508 | 6.0 |
4 | 日本ハム | 27 | 30 | 8 | .474 | 8.0 |
5 | 南海 | 27 | 32 | 6 | .458 | 9.0 |
6 | ロッテ | 27 | 34 | 4 | .443 | 10.0 |
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1975年後期・・・最下位
後期に入っても、阪急の快進撃は止まらず、オールスター前までで5勝1敗。再び首位を独走します。ところが、オールスター後は状況が一変。いきなり3連敗し、7月はかろうじて勝ち越すも、8月、9月、10月はすべて負け越し。特に、苦手の太平洋には全く歯が立たず、後期だけで2勝10敗1分とカモにされました。終わってみれば、首位の近鉄バファローズ(近鉄)と14ゲーム差の最下位。2シーズン制で同じ年に首位と最下位になったチームは、後にも先にもこの年の阪急だけです。
後期・順位表
順位 | チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | ゲーム差 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 近鉄 | 40 | 20 | 5 | .667 | - |
2 | ロッテ | 32 | 31 | 2 | .508 | 9.5 |
3 | 南海 | 30 | 33 | 2 | .476 | 11.5 |
4 | 太平洋 | 28 | 33 | 4 | .459 | 12.5 |
5 | 日本ハム | 28 | 33 | 4 | .459 | 12.5 |
6 | 阪急 | 26 | 34 | 5 | .433 | 14.0 |
1975年プレーオフ・・・リーグ制覇
プレーオフは、前期優勝の阪急と後期優勝の近鉄の対戦となりました。近鉄の監督は西本幸雄監督。阪急の前監督で、上田監督はその時のコーチでした。まさに、新旧監督の師弟対決です。
後期の近鉄の勢いは凄まじく、戦前の予想は近鉄優勢の声が多数を占めました。ところが、初戦こそ近鉄が勝ったものの、その後は阪急が3連勝。大事な場面で2ホームランを打った主砲の長池徳二と、完投で2勝をあげた新人の山口高志の活躍が光りました。因みに山口は、引退後阪神タイガース(阪神)で、あの藤川球児を育てた名コーチでもあります。
プレーオフの結果、阪急が3年ぶりのリーグ優勝を果たしました。後期最下位から、まさかの日本シリーズ出場です。
後期の近鉄の勢いは凄まじく、戦前の予想は近鉄優勢の声が多数を占めました。ところが、初戦こそ近鉄が勝ったものの、その後は阪急が3連勝。大事な場面で2ホームランを打った主砲の長池徳二と、完投で2勝をあげた新人の山口高志の活躍が光りました。因みに山口は、引退後阪神タイガース(阪神)で、あの藤川球児を育てた名コーチでもあります。
プレーオフの結果、阪急が3年ぶりのリーグ優勝を果たしました。後期最下位から、まさかの日本シリーズ出場です。
プレーオフ結果
日付 | 試合 | 勝敗 | スコア | 球場 |
---|---|---|---|---|
10月15日 | 第1戦 | 負 | 阪急 7-11 近鉄 | 阪急西宮球場 |
10月16日 | 第2戦 | 勝 | 阪急 5-4 近鉄 | 阪急西宮球場 |
10月19日 | 第3戦 | 勝 | 近鉄 0-3 阪急 | 藤井寺球場 |
10月20日 | 第4戦 | 勝 | 近鉄 3-5 阪急 | 藤井寺球場 |
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⚾ 🧤 Exciting League ”PA” 2022/9/27 08:18
昭和時代(81年ころから?)最も怖れた「読売の日本一」
80年代毎年埼玉西武の日本一と
大相撲の「横綱千代の富士(58代)」”千代の富士光線!〃!”とTVの前で身を塞ぎ唱えさけび
幕内最高優勝を祈った