【ヱヴァンゲリヲン新幹線にも乗車可能】1990年開業 博多南駅【「町」を「市」に変える300円新幹線】
2017年10月1日 更新

【ヱヴァンゲリヲン新幹線にも乗車可能】1990年開業 博多南駅【「町」を「市」に変える300円新幹線】

1990年に、福岡県春日市にできたJR西日本「博多南駅」。300円で乗れる新幹線としてご存知の方も多いと思いますが、この新駅の誕生によって、劇的に発展し、ついに来年(2018年)「町」が「市」へと昇格するほどにまでなった町があります。博多南線とその町のご紹介をさせていただきます。

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このサイトによると、博多を6:40に新大阪に向けて出発し、新大阪に11:14に到着、11:29に同駅で折り返し運転を行い、博多に15:39に到着します。
ちなみに運転日も限られていますので、毎日見られるわけではないようです。
また、博多駅終点の新幹線のうち、博多南線電車として運行するのは一部の電車のみのようなので、詳しいダイヤはわかりませんでした。申し訳ありません。
あくまでも「ネタ」としてお楽しみいただければと思います。
2017年9月16日に投稿された時点での時刻表。(情報...

2017年9月16日に投稿された時点での時刻表。(情報精度未確認。)

@toshi さまから貴重な動画を借用しました。
2017年9月16日に投稿された動画です。
このうちのどちらかの列車に、@toshi さまが乗車されたのだと推測されます。
投稿された日がこの日ということですので、実際の乗車日はわかりません。
参考としてご覧いただければと思います。

街が大きく発展、ついに来年「町」が「市」になる予定。

那珂川町(なかがわまち)は、福岡県の中西部の筑紫地域に位置する町。現在筑紫郡で唯一の自治体となっているが2015年国勢調査速報値で人口が5万人を突破し、2018年10月1日の単独市制施行を目指す方針である。これによって、那珂川町が市制施行すれば、古代以来連綿と続いてきた筑紫郡、筑紫の名は地名からは消滅することとなる。
wikipediaによると、博多南線が開業した1990年に36,576人だったこの町の人口は、2015年に5万人を突破しました。
このため、「町」が「市」へと変更されるようです。
回送列車しか走らなかった路線をうまく利用したことで、この街の発展にも大きく寄与したのですね。

1988年夏の甲子園準優勝投手の出身地でもある。

1988年夏の甲子園の準優勝投手であり、プロではロッテ、中日、巨人で合計78勝をあげた、前田幸長さんの出身地でもあるようです。
甲子園準優勝投手、前田幸長さん。

甲子園準優勝投手、前田幸長さん。

那珂川町の観光情報はこちら。

町の名前の由来でもある清流・那珂川が美しい風景を見せてくれる素敵な街のようです。
博多南線の開業により、ついに来年(2018年)、「市」となるこの街。
これからもこの地域の発展に、博多南線は寄与してくれることでしょう。
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