黒夢
前身バンドGARNETに所属していた清春、人時、鋭葵の三人と、GERACEEに所属していた臣によって1991年に岐阜県で結成される。当時はバンドやメンバー名にアルファベットを用いるのが主流だったが、メンバーの名前に漢字を用いるなど流行に逆らうスタイルをとった
黒夢の活動内容
インディーズ時代は主に中京圏を中心に活動し、渋谷公会堂でワンマンライブを行い成功させるなど、当時のインディーズバンドの中でも人気を誇っていた。
ドラムの鋭葵が突然脱退し、新しくメンバーを入れるも3ヶ月で辞めてしまう。
1994年2月9日、「for dear」で東芝からメジャーデビュー。
しかし、ギタリストの臣がアルバム『feminism』レコーディング途中に失踪し、そのまま脱退してしまい、メンバーは2人になります。残った二人は、
人時
無期限の活動停止後、人時PIRANHAHEADSを始動。2004年には臣、かつてLa†missレーベルの同朋であった安田政利(ex.Of-J)らとSUPER DROP BABIESを結成。数々のミュージシャンのサポートやソロプロジェクトでも活動。
2人組になったことで「音楽ユニット」と紹介されることもあったが、「人数が何人でも自分達はあくまでもバンド」と主張し続けた。
1998年のツアー前に無期限活動停止の方針を決定。1999年1月29日に無期限の活動停止を発表。
黒夢 無期限停止直後、清春インタビュー - YouTube
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黒夢 清春インタビュー2 - YouTube
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2011年1月29日、『黒夢 1/29 X-DAY Supported by VANQUISH』と題して東京・新宿ステーションスクエアでシークレットライブを行ったが、1曲目の「少年」演奏中に警察から中止要請が入り最後まで演奏できないまま、わずか1分程で中止となった。本来は「少年」「MARIA」「Like A Angel」他全7曲を演奏するつもりだったと清春が語っている。
黒夢 ニコ生密着ドキュメント4 完全復活ライブが開始1分で強制終了! - YouTube
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1分でライブが終わるなんて、このバンドぐらいでしょう。
人時が語る黒夢の活動について
最初、4人で始めたのが最後は清春さんと2人になって、そこから知名度が上がったので、2人で頑張ったっていう認識もあります。当時はバンドのメンバーが減っていくイコール売れなくなるってことが多かったから、いわば窮地に立たされた状態だったけど、その中でアルバムがオリコン1位になったこともすごく誇りになっていたんですね。
インディーズシーンではSilver-Roseと並んで「名古屋2大巨頭」とされていた。
バンド名の黒夢とは結成前から持っていた「黒夢」という曲名から。