2016年10月3日 更新

三公社五現業って何だっけ?すっかり過去となりつつある国鉄や電電公社など、日本国が経営に携わってきた事業。

三公社五現業といわれてもピンとこないかもしれませんが国鉄、電電公社、専売公社と聞けば分かる方も多いかもしれません。もともと日本国が「国として」経営に携わってきた重要な事業。80年代以降は民営化の流れが続いてきましたが、私たち世代では父親が勤めていたご家庭も多かったことと思います。

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三公社五現業

※旧三公社五現業とも

日本国有鉄道(国鉄)・日本専売公社(専売公社)・日本電信電話公社(電電公社)の3公社と、郵政・造幣・印刷・国有林野・アルコール専売の5事業の総称

父親が勤めていた方も多いであろう3公社

父親が勤めていた方も多いであろう3公社

たばこ、鉄道、通信の3公社。
いずれも巨大な企業でしたが、どれもすでに民営化されています。
出典 yaplog.jp
位置づけとしては、労働関係の法律において公共企業体労働関係法等が適用されていたこと由来した名称です。

具体的には
-公共企業体労働関係法
-公共企業体等労働関係法
-国営企業労働関係法
-国営企業及び特定独立行政法人の労働関係に関する法律
-特定独立行政法人等の労働関係に関する法律
-特定独立行政法人の労働関係に関する法律(昭和23年法律第257号)

これらの適用を受けていたか、あるいは現在も受けている公共企業体及び国の経営する企業の総称とされます。
歴史的には、公共企業体となっている三公社のうち電電公社以外の二つは戦後占領期のGHQによる労働政策・公務員政策の一環として設立されたもので、電電公社についてもマッカーサーの助言により能率の向上を謳って逓信省から分離された電気通信省から再独立したものであり、いずれにしても占領期に起源を持っている。

3公社はすべて民営化、5現業も国有林野事業を除いて民営化または独立行政法人に移管

時代の変遷とともに形を変えていった三公社五現業。

まずは中曽根内閣によって民営化の道を進んだ「三公社」(公共企業体)について振り返っていきましょう。

日本専売公社 → 日本たばこ産業、塩事業センター

たばこと塩を専売した日本専売公社

たばこと塩を専売した日本専売公社

国の収益を目的としてタバコと塩の専売事業を行ってきた公共企業体で1949年設立。
大蔵省専売局が国の直営で行ってきた事業を継承しました。
1985年4よりタバコの専売が廃止されたのに伴い民営化され,特殊法人日本たばこ産業(JT)に改組。
後、 塩事業法の施行により1996年に塩事業部門が独立、事業継承して財団法人塩事業センター設立。 2014年4月1日公益法人制度改革関連3法に則り公益財団法人に認定され移行されました。

日本専売公社の歩み

1948年7月22日 - 連合国最高司令官(GHQ最高司令官)ダグラス・マッカーサーから内閣総理大臣芦田均宛てに、たばこ・塩・樟脳の政府事業運営のための公共企業体を組織するべき主旨の書簡が発せられる。
1949年6月1日 - たばこ・塩・樟脳の専売業務を行ってきた大蔵省専売局を独立し発足。
1960年2月25日 - 産業計画会議が「専売制度の廃止を勧告する―専売公社の民営分割は議論の時代ではない実行の時代である」と発表。
1962年4月1日 - 樟脳専売法廃止により樟脳が専売品でなくなる。
1972年5月15日 - 沖縄返還に伴い、沖縄におけるたばこ生産事業を行なっていた琉球煙草(1951年設立)、オリエンタル煙草(1956年設立)、沖縄煙草産業(1957年設立)の三民間会社から事業を譲受。
1984年8月10日 - 専売改革関連法が成立。
1985年4月1日 - 日本たばこ産業株式会社にたばこの独占製造権と塩の専売権を継承させ解散。

【たばこ】日本専売公社が日本たばこ産業(民営化)

日本たばこ産業として

日本たばこ産業(JT)となった後は、たばこ事業法により国産葉タバコの全量買取契約が義務づけられる一方、煙草製造を独占。
国内で唯一、業としてたばこの製造を行っている企業で販売シェアは約60%。
その他医療器具や医科向け医薬品、加工食品や清涼飲料水などの製造も手がけており、売上高の76.9%が煙草(2010年実績。うち国内分は31.1%)。

多角化事業として、2001年までファストフードチェーン「バーガーキング」を展開していたことがあったが、店舗はロッテリアやファーストキッチンに譲渡して撤退。
また清涼飲料水「桃の天然水」や缶コーヒー「ROOTS」などのブランドも手掛けていました(すでに撤退)。

塩事業センターとして

公益財団法人 塩事業センター(しおじぎょうセンター、英: The Salt Industry Center of Japan)は、塩に関する事業を行っている公益財団法人。 塩事業法の施行により1996年に日本たばこ産業株式会社の塩事業部門から独立、事業継承して「財団法人 塩事業センター」設立。 2014年4月1日公益法人制度改革関連3法に則り公益財団法人に認定され移行した。

日本国有鉄道 → JRグループ

日本国有鉄道法に基づき日本の国有鉄道を運営していた事業体

日本国有鉄道法に基づき日本の国有鉄道を運営していた事業体

鉄道の開業以来、国営事業として政府官庁によって経営されていた国有鉄道事業を、独立採算制の公共事業として承継する国の事業体として1949年6月1日に発足した国鉄。
国鉄分割民営化によって発足した政府出資の株式会社(特殊会社)形態のJRグループ各社および関係法人に事業を承継させ、1987年4月1日に日本国有鉄道の清算業務を行なう日本国有鉄道清算事業団(1998年10月22日解散)に移行しました。

日本国有鉄道発足の経緯

第二次世界大戦後の国営鉄道はインフレーションに加え、復員兵や海外引揚者の雇用の受け皿となったため、運輸省の1948年度国有鉄道事業特別会計は300億円の赤字となって財政は極度に悪化した。労働争議が頻発する社会情勢の中、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のダグラス・マッカーサーは、国家公務員の争議を禁止する一方、国家権力の行使とは関係ない国の専売事業や国有鉄道などの国営事業を一般の国家公務員から除外し、公務員より緩和した一定の労働権を許すことで効率的な事業経営を目指す、独立採算制の公共企業体 (Public Corporation) 設置を勧告する書簡を出した。
国営鉄道事業を承継する政府出資の新法人「日本国有鉄道」の設立を定めた「日本国有鉄道法」は、1948年11月30日に国会を通過した。日本国有鉄道は1949年4月1日に発足する予定だったが、運輸省鉄道総局側の準備が遅れ、1949年6月1日にずれ込んだ。社会的には単に運営が行政官庁直轄から国の独立組織に移行したに過ぎず、ほとんど注目されることはなかった。
国鉄は発足後、ただちに職員9万5000人の人員整理に着手。それが引き金になったとされた国鉄三大ミステリー事件(下山事件・松川事件・三鷹事件)が発生するなど、労務政策面では大きな混乱が見られた。また経営面では、戦時設計の粗悪な車両や地上施設が原因となった「桜木町事件」などの重大事故が発生したが、一方で特別急行・急行の復活など輸送力の回復を強力に推進した。戦時体制のまま承継した地方機関の「鉄道局」「管理部」も再編し、鉄道局を地方支配人に、管理部を鉄道管理局にそれぞれ改組した。

プロ野球の球団も設立

1950年から1965年まで、プロ野球球団「国鉄スワローズ」(東京ヤクルトスワローズの前身)を運営。
発足したばかりの日本国有鉄道職員の意識高揚を目的に第2代加賀山総裁が設立に尽力。
国鉄法の規制から、国鉄の外郭団体として設立された「国鉄野球株式会社」がチームを保有しました。
日本野球機構に加盟しセントラル・リーグに所属、チーム名は球団発足当時の特急の一つであった「つばめ」にちなんでいました。
国鉄スワローズ

国鉄スワローズ

あの400勝大投手、金田正一選手も国鉄スワローズでした。

40万人もの職員がいた国鉄、お父さんが国鉄だったご家庭は多いことでしょう

分割民営化直前の1987年(昭和62年)3月31日時点で新幹線と在来線併せて総延長19,639キロメートルの鉄道路線を有し、30局の鉄道管理局と総局で運営されていました。
このほか鉄道に関連する船舶事業(航路延長132キロメートル)、自動車(バス)事業(路線延長11,739キロメートル)などを行っていました。

従事する職員数は1980年代までおおむね40万人台で推移、合理化によって大幅に削減されたものの、民営化直前の1986年(昭和61年)時点でも27万7000人。
このうち20万1000人がJRグループの各新会社に移行されました。

後藤久美子 国鉄 JR東日本 明日からよろしく

国鉄からJRへ

各事業者・法人の総称としてはJRグループとも呼ばれるが、このグループは概ね以下の3種に分類される独自の資本体制に依拠した法人の総称で、なおかつ資本体制に関わらず経営はそれぞれ独立しており、会社相互間の株式持ち合い関係や、グループを代表して各社を統括する持株会社は存在しない。
純粋民間会社(上場会社。下記の特殊会社からの移行) - JR東日本・JR東海・JR西日本
現時点では鉄道建設・運輸施設整備支援機構が全株式を保有する特殊会社 - JR北海道・JR四国・JR九州・JR貨物
各旅客会社・JR貨物による共同出資法人 - JRシステム・JR総研
JRグループ各社は1987年4月1日に発足。
JR発足当初、国鉄から移行した日本国有鉄道清算事業団が全株式を保有する特殊会社でしたが、2001年6月27日にJR会社法が改正されて本州の旅客3社(JR東日本、JR東海、JR西日本)が同法の対象から外され、純粋民間会社(非特殊会社)となりました。

本州3社の株式については順次民間への売却が行われ、2002年6月にはJR東日本、2004年3月にはJR西日本、2006年4月にはJR東海の全株式の売却が完了し、上場している本州3社は名実ともに「完全民営化」が実現。

一方、いわゆる三島(さんとう)会社と呼ばれる本州以外の旅客3社(JR北海道、JR四国、JR九州)およびJR貨物は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道運輸機構)が全株式を保有する特殊会社で、もともと採算の厳しい路線が多く、経営努力だけでは限界があることが当初より想定されていたため、固定資産税の減免および三島会社に関しては経営安定基金により損失補填している等経営環境の厳しい状況に。

JR北海道は、2000年頃のITバブルで株価が急回復したことを受けて、2002年頃の上場を計画していたものの、その後の株価低迷により見送りに。
2015年6月10日にJR会社法が改正され、2016年4月1日よりJR九州が同法の適用から除外。
これにより同社は法令上は特殊会社から民間会社に移行。2016年10月25日に東京証券取引所へ上場となりました。

なお2016年時点で、その他3社(北海道、四国、貨物)については上場や民間への株式売却の目途は立っていません。

JR九州 東証上場CM「九州から全国のみなさんへ」

日本電信電話公社 → NTTグループ

日本電信電話公社の設立

電信電話業務の拡大と電気・通信事業の企業的効率性の導入による更なる公共の福祉に役立つ運用を行うことを目的に、1952年(昭和27年)に公法上の特殊法人として日本電信電話公社が設立されました。
なお国際電信電話業務は、同公社設立の翌年1953年(昭和28年)に、国際電信電話株式会社法に依る特殊会社として設立された国際電信電話株式会社に移管される事となりました。

電電公社の歩み

1952年(昭和27年) - 電気通信省が廃止され日本電信電話公社設立。業務承継。
1953年(昭和28年) - 国際電信電話業務を国際電信電話株式会社に移管。第一次5ヵ年計画開始。
1957年(昭和32年) - 近畿日本鉄道の特急で列車公衆電話サービス開始。
1958年(昭和33年) - 第二次5ヵ年計画開始。
1962年(昭和37年) - 600形電話機導入。
1963年(昭和38年) - 第三次5ヵ年計画開始。
1964年(昭和39年) - 東海道新幹線列車公衆電話サービス開始。
1968年(昭和43年) - 第四次5ヵ年計画開始。東京23区内でポケットベルサービス開始。全国地方銀行協会データ通信システムのサービス開始。
1969年(昭和44年) - プッシュ式電話機導入。短縮ダイヤルサービス開始。DEX-2電子交換機導入(牛込局)。
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20世紀交歓所20世紀しばりのフリマサイト

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