日本国有鉄道発足の経緯
第二次世界大戦後の国営鉄道はインフレーションに加え、復員兵や海外引揚者の雇用の受け皿となったため、運輸省の1948年度国有鉄道事業特別会計は300億円の赤字となって財政は極度に悪化した。労働争議が頻発する社会情勢の中、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のダグラス・マッカーサーは、国家公務員の争議を禁止する一方、国家権力の行使とは関係ない国の専売事業や国有鉄道などの国営事業を一般の国家公務員から除外し、公務員より緩和した一定の労働権を許すことで効率的な事業経営を目指す、独立採算制の公共企業体 (Public Corporation) 設置を勧告する書簡を出した。
国営鉄道事業を承継する政府出資の新法人「日本国有鉄道」の設立を定めた「日本国有鉄道法」は、1948年11月30日に国会を通過した。日本国有鉄道は1949年4月1日に発足する予定だったが、運輸省鉄道総局側の準備が遅れ、1949年6月1日にずれ込んだ。社会的には単に運営が行政官庁直轄から国の独立組織に移行したに過ぎず、ほとんど注目されることはなかった。
国鉄は発足後、ただちに職員9万5000人の人員整理に着手。それが引き金になったとされた国鉄三大ミステリー事件(下山事件・松川事件・三鷹事件)が発生するなど、労務政策面では大きな混乱が見られた。また経営面では、戦時設計の粗悪な車両や地上施設が原因となった「桜木町事件」などの重大事故が発生したが、一方で特別急行・急行の復活など輸送力の回復を強力に推進した。戦時体制のまま承継した地方機関の「鉄道局」「管理部」も再編し、鉄道局を地方支配人に、管理部を鉄道管理局にそれぞれ改組した。
プロ野球の球団も設立
1950年から1965年まで、プロ野球球団「国鉄スワローズ」(東京ヤクルトスワローズの前身)を運営。
発足したばかりの日本国有鉄道職員の意識高揚を目的に第2代加賀山総裁が設立に尽力。
国鉄法の規制から、国鉄の外郭団体として設立された「国鉄野球株式会社」がチームを保有しました。
日本野球機構に加盟しセントラル・リーグに所属、チーム名は球団発足当時の特急の一つであった「つばめ」にちなんでいました。
発足したばかりの日本国有鉄道職員の意識高揚を目的に第2代加賀山総裁が設立に尽力。
国鉄法の規制から、国鉄の外郭団体として設立された「国鉄野球株式会社」がチームを保有しました。
日本野球機構に加盟しセントラル・リーグに所属、チーム名は球団発足当時の特急の一つであった「つばめ」にちなんでいました。
40万人もの職員がいた国鉄、お父さんが国鉄だったご家庭は多いことでしょう
分割民営化直前の1987年(昭和62年)3月31日時点で新幹線と在来線併せて総延長19,639キロメートルの鉄道路線を有し、30局の鉄道管理局と総局で運営されていました。
このほか鉄道に関連する船舶事業(航路延長132キロメートル)、自動車(バス)事業(路線延長11,739キロメートル)などを行っていました。
従事する職員数は1980年代までおおむね40万人台で推移、合理化によって大幅に削減されたものの、民営化直前の1986年(昭和61年)時点でも27万7000人。
このうち20万1000人がJRグループの各新会社に移行されました。
このほか鉄道に関連する船舶事業(航路延長132キロメートル)、自動車(バス)事業(路線延長11,739キロメートル)などを行っていました。
従事する職員数は1980年代までおおむね40万人台で推移、合理化によって大幅に削減されたものの、民営化直前の1986年(昭和61年)時点でも27万7000人。
このうち20万1000人がJRグループの各新会社に移行されました。
【電車の駅】アナログ時代の風景が懐かしい - Middle Edge(ミドルエッジ)
様々な物が機械化される前、駅の風景を思い浮かべてください。有人改札、伝言板、消えていってしまった物、進化した物を振り返ってみましょう。
後藤久美子 国鉄 JR東日本 明日からよろしく
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国鉄からJRへ
各事業者・法人の総称としてはJRグループとも呼ばれるが、このグループは概ね以下の3種に分類される独自の資本体制に依拠した法人の総称で、なおかつ資本体制に関わらず経営はそれぞれ独立しており、会社相互間の株式持ち合い関係や、グループを代表して各社を統括する持株会社は存在しない。
純粋民間会社(上場会社。下記の特殊会社からの移行) - JR東日本・JR東海・JR西日本
現時点では鉄道建設・運輸施設整備支援機構が全株式を保有する特殊会社 - JR北海道・JR四国・JR九州・JR貨物
各旅客会社・JR貨物による共同出資法人 - JRシステム・JR総研
JRグループ各社は1987年4月1日に発足。
JR発足当初、国鉄から移行した日本国有鉄道清算事業団が全株式を保有する特殊会社でしたが、2001年6月27日にJR会社法が改正されて本州の旅客3社(JR東日本、JR東海、JR西日本)が同法の対象から外され、純粋民間会社(非特殊会社)となりました。
本州3社の株式については順次民間への売却が行われ、2002年6月にはJR東日本、2004年3月にはJR西日本、2006年4月にはJR東海の全株式の売却が完了し、上場している本州3社は名実ともに「完全民営化」が実現。
一方、いわゆる三島(さんとう)会社と呼ばれる本州以外の旅客3社(JR北海道、JR四国、JR九州)およびJR貨物は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道運輸機構)が全株式を保有する特殊会社で、もともと採算の厳しい路線が多く、経営努力だけでは限界があることが当初より想定されていたため、固定資産税の減免および三島会社に関しては経営安定基金により損失補填している等経営環境の厳しい状況に。
JR北海道は、2000年頃のITバブルで株価が急回復したことを受けて、2002年頃の上場を計画していたものの、その後の株価低迷により見送りに。
2015年6月10日にJR会社法が改正され、2016年4月1日よりJR九州が同法の適用から除外。
これにより同社は法令上は特殊会社から民間会社に移行。2016年10月25日に東京証券取引所へ上場となりました。
なお2016年時点で、その他3社(北海道、四国、貨物)については上場や民間への株式売却の目途は立っていません。
JR発足当初、国鉄から移行した日本国有鉄道清算事業団が全株式を保有する特殊会社でしたが、2001年6月27日にJR会社法が改正されて本州の旅客3社(JR東日本、JR東海、JR西日本)が同法の対象から外され、純粋民間会社(非特殊会社)となりました。
本州3社の株式については順次民間への売却が行われ、2002年6月にはJR東日本、2004年3月にはJR西日本、2006年4月にはJR東海の全株式の売却が完了し、上場している本州3社は名実ともに「完全民営化」が実現。
一方、いわゆる三島(さんとう)会社と呼ばれる本州以外の旅客3社(JR北海道、JR四国、JR九州)およびJR貨物は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道運輸機構)が全株式を保有する特殊会社で、もともと採算の厳しい路線が多く、経営努力だけでは限界があることが当初より想定されていたため、固定資産税の減免および三島会社に関しては経営安定基金により損失補填している等経営環境の厳しい状況に。
JR北海道は、2000年頃のITバブルで株価が急回復したことを受けて、2002年頃の上場を計画していたものの、その後の株価低迷により見送りに。
2015年6月10日にJR会社法が改正され、2016年4月1日よりJR九州が同法の適用から除外。
これにより同社は法令上は特殊会社から民間会社に移行。2016年10月25日に東京証券取引所へ上場となりました。
なお2016年時点で、その他3社(北海道、四国、貨物)については上場や民間への株式売却の目途は立っていません。
JR九州 東証上場CM「九州から全国のみなさんへ」
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日本電信電話公社 → NTTグループ
日本電信電話公社の設立
電信電話業務の拡大と電気・通信事業の企業的効率性の導入による更なる公共の福祉に役立つ運用を行うことを目的に、1952年(昭和27年)に公法上の特殊法人として日本電信電話公社が設立されました。
なお国際電信電話業務は、同公社設立の翌年1953年(昭和28年)に、国際電信電話株式会社法に依る特殊会社として設立された国際電信電話株式会社に移管される事となりました。
なお国際電信電話業務は、同公社設立の翌年1953年(昭和28年)に、国際電信電話株式会社法に依る特殊会社として設立された国際電信電話株式会社に移管される事となりました。
電電公社の歩み
1952年(昭和27年) - 電気通信省が廃止され日本電信電話公社設立。業務承継。
1953年(昭和28年) - 国際電信電話業務を国際電信電話株式会社に移管。第一次5ヵ年計画開始。
1957年(昭和32年) - 近畿日本鉄道の特急で列車公衆電話サービス開始。
1958年(昭和33年) - 第二次5ヵ年計画開始。
1962年(昭和37年) - 600形電話機導入。
1963年(昭和38年) - 第三次5ヵ年計画開始。
1964年(昭和39年) - 東海道新幹線列車公衆電話サービス開始。
1968年(昭和43年) - 第四次5ヵ年計画開始。東京23区内でポケットベルサービス開始。全国地方銀行協会データ通信システムのサービス開始。
1969年(昭和44年) - プッシュ式電話機導入。短縮ダイヤルサービス開始。DEX-2電子交換機導入(牛込局)。
1953年(昭和28年) - 国際電信電話業務を国際電信電話株式会社に移管。第一次5ヵ年計画開始。
1957年(昭和32年) - 近畿日本鉄道の特急で列車公衆電話サービス開始。
1958年(昭和33年) - 第二次5ヵ年計画開始。
1962年(昭和37年) - 600形電話機導入。
1963年(昭和38年) - 第三次5ヵ年計画開始。
1964年(昭和39年) - 東海道新幹線列車公衆電話サービス開始。
1968年(昭和43年) - 第四次5ヵ年計画開始。東京23区内でポケットベルサービス開始。全国地方銀行協会データ通信システムのサービス開始。
1969年(昭和44年) - プッシュ式電話機導入。短縮ダイヤルサービス開始。DEX-2電子交換機導入(牛込局)。
公衆電話のあれこれ - Middle Edge(ミドルエッジ)
携帯電話の普及で使われなくなってしまった公衆電話、あなたは、いつ最後に利用しましたか?
国鉄分割民営化によって発足した政府出資の株式会社(特殊会社)形態のJRグループ各社および関係法人に事業を承継させ、1987年4月1日に日本国有鉄道の清算業務を行なう日本国有鉄道清算事業団(1998年10月22日解散)に移行しました。