【柔道】階級差を超えた伝説の戦い。古賀稔彦vs小川直也、吉田秀彦vs小川直也
2018年5月1日 更新

【柔道】階級差を超えた伝説の戦い。古賀稔彦vs小川直也、吉田秀彦vs小川直也

古賀稔彦と吉田秀彦。二人のオリンピック金メダリストが重量級の世界チャンピオン小川直也と対戦した1990年・1994年全日本柔道選手権大会での活躍を振り返る。 世界を取った柔道家三人の関係値・因縁についても紹介。

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吉田は重量級の小川を相手にしても序盤から積極的に攻撃を仕掛ける。
場内は吉田が仕掛けるたびに沸く。
自分よりもはるかに重い小川を投げで一瞬浮かせる驚異の身体能力をみせた。

だが、中盤以降は体格とパワーで勝る小川が攻勢にでる。
次第に吉田は防戦に追われて攻撃を仕掛ける機会は失われていった。

互いに有効なポイントがないまま、勝負は判定に。
副審の旗が赤・白に分れた後、主審の手は吉田に上がった。

この瞬間に、小川直也の大会6連覇は阻まれ、山下泰裕の持つ9連覇更新の夢も崩れ去った。
判定勝利に喜びを爆発させる吉田と、うなだれる小川

判定勝利に喜びを爆発させる吉田と、うなだれる小川

判定の旗が上がった瞬間の小川による「マジかよ!」発言は、今も語り草になっている。
吉田は試合後に「負けたと思った」と語ったという。

優勝候補の小川を破り、中量級による優勝が期待された吉田だったが決勝では重量級の金野潤に判定で敗れた。

2005年、吉田秀彦と小川直也は総合格闘技でも対戦

『PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI-』...

『PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI-』小川直也vs吉田秀彦

柔道からプロレスに転身した小川と、総合格闘技に転身した吉田は、2005年12月31日『PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI-』で対戦。
柔道からプロレスに転身した小川と、総合格闘技に転身した吉田は、2005年12月31日『PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI-』で対戦。

柔道時代より体重を落とした小川の体重は約115Kg、逆に増量した吉田の体重は約105Kgと体重差はかなり縮まっている。

ともに柔道で世界を制した日本人『柔道王』同士の戦いとして注目された。
また、小川と吉田には確執があるとスポーツ誌を中心にはやし立てられた。

吉田秀彦と小川直也、報道された確執の理由

明治大学時代、小川と吉田は先輩後輩の関係にあった。(吉田が二学年下)
報道された二人の確執理由としては以下のものがある。

【明治大学柔道部時代に吉田が反乱】
明大時代・小川直也主将が率いる柔道部の方針に、後輩の吉田が反発。上下関係が絶対の柔道界において許されない反乱だと小川は根に持っている。

【バルセロナオリンピックでの明暗】
バルセロナオリンピックで後輩・吉田が金メダルと獲得する一方で、先輩・小川は優勝候補ながら銀メダルに終わった。屈辱にまみれた小川にとって吉田の存在は目の上のたんこぶであった。

【恩師への態度に激怒】
吉田がプロ格闘家へ転向した時、柔道時代の恩師と距離を置き、この態度に対して小川が怒っている。

【Gacktやったぞ事件】
2004年の6月『PRIDE GRANDPRIX』で吉田はマークハントを下し、「ガクト(Gackt)~やったぞ~」と絶叫。同じくPRIDEに参加し控室に戻ってきた小川は「なんでマイクを握って最初に呼ぶのが知り合いの芸能人なんだ。まずは応援してくれたお客さんにお礼をいうのが普通だろ!」と語った。

【プロレス侮辱事件】
吉田は「PRIDEのリングは命がけの真剣の場。プロレスを持ち込んでほしくない」と小川を挑発。プロレスラーとしての誇りを持つ小川が激怒した。

これらと柔道時代の対戦を絡ませ、マスコミは『因縁の二人が対決』と大々的に報道。
PRIDE側も「これは競技会ではない、果たし合いだ」と煽った。

【動画】PRIDE 男祭り 2005 吉田秀彦vs小川直也

PRIDE 吉田秀彦vs小川直也の試合内容と結末

開始早々、二人の元柔道家は打撃戦を繰り広げる。
吉田は、打撃からの連携で、テイクダウン。小川の足を取って極めにいく。
一瞬、決まったかにみえたが、小川は吉田の顔面にパンチ一閃、このピンチを抜け出す。

周囲の誰も気が付かなかったが、実は試合後、小川自ら、このとき吉田に取られた左足首を骨折していたことを明かした。
吉田も「足がボキッといったのが分かった」と談話を残している。
だが、後輩・吉田相手に意地でも引けない小川は試合を続行。

攻守がめまぐるしく入れ替わるグランドの展開は、両者とも上のポジションを取ると、相手の顔面めがけ、ためらいも無く拳を振り下ろしていった。
もはや先輩後輩など関係ないグランド戦の応酬は、吉田が一瞬のスキを見逃さなかった。
上のポジションに付いた小川が吉田の顔面にパンチを連打。
その腕を取った吉田が腕ひしぎ逆十字固めを極める。
完全に腕が極まった状態だったが、ここでも先輩としての意地から小川はタップしない。
結局レフェリーが試合を止め1R6分4秒、吉田がTKOで勝利を収めた。

吉田は勝者のコールを受けた後、起き上がれない小川に声をかけにいった。
ようやく立ち上がった小川がマイクを取ると、吉田に向かって「最初に取られたところで、足が折れたわ。吉田~!オマエ、これからがんばれよ。ホントはよ。お前ともっとやりたかったけどよ。1分1秒な、大事にしたかったけどさ。俺の足もたなかったゴメン」とコメント。

吉田は小川に歩み寄り、リング内で抱擁をかわした。
決着後、抱擁をかわす小川と吉田

決着後、抱擁をかわす小川と吉田

ただ、小川の「一緒にハッスルやってくれよ!でも、オレは足が動かねぇから、オマエがおぶってくれ」というワガママな要望には、さすがに吉田も「今日はいい試合でした、それはありがとうございます。でもハッスルは…自分は格闘家ですので、引退したときに、お願いします」と苦笑しながら、かわしていた。
古賀稔彦も来場

古賀稔彦も来場

小川とは同学年で盟友。
吉田とは世田谷学園高の先輩後輩。
二人との縁が深い古賀稔彦も観戦。
白熱した試合に拍手を送っていた。

小川直也と吉田秀彦に実は因縁などなかった?

PRIDEの対戦時にさんざん報道された両者の確執や因縁だが、実はそんなものはないという説もある。

格闘家に転身する前の吉田は、小川が出場したプロレスの試合に「小川先輩の試合、もっと見たかったスねえ」などと嬉しそうに実況席で語っている。

小川も吉田がプロ転向を表明した時に「吉田をUFOに勧誘する」などと歓迎のコメントを残している。

また、柔道関係者からは二人の確執に関する具体的な証言が上がっていないことから、「大会を盛り上げるための双方合意の演出」であったともみられている。

2012年、ロンドン五輪で史上初の金メダル「0」の大惨敗に終わった柔道男子に関して、小川は「(新監督の)適任は吉田だろ。外の世界を知ってて経験豊富。あいつでいいんじゃないか。オレと違って柔道界に戻ったわけだし。」と東スポの取材に語っている。

古賀・吉田が残した『柔よく剛を制す』の夢

アテネと北京で金メダルを獲得した五輪連覇の内柴正人(66kg級)が二度『全日本柔道選手権』に挑戦したが、2005年・2009年とも初戦敗退であった。

アトランタ・シドニー・アテネと五輪3連覇を成し遂げた野村忠宏(60Kg級)は、『全日本柔道選手権』参加を辞退している。
日本武道館での大舞台で、一瞬でもいいから会場を沸かしたいって気持ちもあったけど、冷静に考えて止めました。

これは技術的な話になるんですが、今まで自分は「組み手で相手を制する」柔道をやってきました。
相手と組み合った時に、引き手・釣り手・体重を使って、相手の動きや技を封じながら、自分のリズムを作ったり、技をかけたりする柔道で、その柔道で世界と勝負してきました。
けど、トップクラスの重量級の選手に、その柔道では通用しません。
まともに組み合ったら、すぐに体重で潰されるでしょう。

そのためには、自分の柔道スタイルを変えて、組んだり離れたり、足をとったり、重量級の選手の嫌がる柔道をしなければいけません。

今更、自分がやってきた柔道を変える訳にもいかないし、もし大きい選手と試合をして怪我でもしたら・・って考えたら、自分の中で決心がつきませんでした。

「野村が無差別で試合したらどうなるんだろう?」って楽しみにしてくれてた人もいると思うけど、今回はすいません。
また野村は、「技術やスピードでは重量級には負けていない自負がある。でも体格や体重になると、どうしようもない部分があるんです」とも語っている。
軽量級の内柴・野村にとって無差別級は、中量級の古賀・吉田よりもさらに不利な戦いである。
オリンピックを連覇・3連覇した猛者にとっても『全日本柔道選手権』で重量級を相手に活躍することはなかった。

このように柔道の『柔よく剛を制す』の実践は非常に難しい。
だが、世界選手権を4回も制した重量級の小川直也を相手に名試合を残し、体重無差別で戦う『全日本柔道選手権』優勝にあと一歩まで迫った古賀稔彦と吉田秀彦。
二人が残してくれた『柔よく剛を制す』の夢を託せる存在がまたいつか登場することを期待したい。
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