1976 有馬記念 トウショウボーイ
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引退したトウショウボーイは父テスコボーイと同様、日高軽種馬農業協同組合で繋養されていたことにより、ほかの種牡馬に比べて割安に種付けができました。
しかし、産駒のミスターシービーが1983年の三冠を達成、その直後から応募が殺到します。
しかし実際に種付けができるのは抽選によって選ばれた繁殖牝馬だけと決められていました。
荻伏牧場が、ハギノトップレディの交配相手にトウショウボーイの権利を獲得したのは1986年で、翌年4月に黒鹿毛の牝馬が誕生しました。
当時牧場としてはこの牝馬がゆくゆくは繁殖牝馬として牧場に戻り、“華麗なる一族”を継ぐ繁殖牝馬となると、大きな期待をしていました。
ところがこの牝馬には生まれながらに左右の蹄の形状に欠陥があり、競走馬としての適性が疑われていました。
しかし、伊藤雄二調教師によって見出され、苦難の末1990年2月、4歳になってからデビューすることとなりました。
しかし、産駒のミスターシービーが1983年の三冠を達成、その直後から応募が殺到します。
しかし実際に種付けができるのは抽選によって選ばれた繁殖牝馬だけと決められていました。
荻伏牧場が、ハギノトップレディの交配相手にトウショウボーイの権利を獲得したのは1986年で、翌年4月に黒鹿毛の牝馬が誕生しました。
当時牧場としてはこの牝馬がゆくゆくは繁殖牝馬として牧場に戻り、“華麗なる一族”を継ぐ繁殖牝馬となると、大きな期待をしていました。
ところがこの牝馬には生まれながらに左右の蹄の形状に欠陥があり、競走馬としての適性が疑われていました。
しかし、伊藤雄二調教師によって見出され、苦難の末1990年2月、4歳になってからデビューすることとなりました。
4歳シーズン(1990年)
母(ハギノトップレディー)と同様、デビュー戦で単勝1.2倍の圧倒的な人気だったダイイチルビーは5馬身差で逃げ切る圧勝劇を演じました。
これに自信をつけた陣営は、桜花賞トライアルの4歳牝馬特別に登録しましたが除外になってしまいます。
これに自信をつけた陣営は、桜花賞トライアルの4歳牝馬特別に登録しましたが除外になってしまいます。
1990.3.24 アネモネS
やむを得ず条件戦に出走し2番手から抜け出して勝ちきります。
1990.3.24 アネモネS ダイイチルビー 2着.マキハタグロリー、3着.マルカショウリ、4着.ユーセイフェアリー、5着.メジロネルソン、6着.タマビッグホープ、7着.センターショウカツ
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2戦2勝で桜花賞に出走登録しましたがまたも不運に。
当時2勝馬の桜花賞出走は抽選でした。
ルビーはそこで落選してしまい、親子二代の桜花賞馬の夢は絶たれてしまいます。
その後、目標をオークスに切り替え、重馬場で行われた忘れな草賞は単枠指定の人気でしたが、スローペースで逃げたトーワルビーを捕まえきれずに離れた2着に敗れました。
当時2勝馬の桜花賞出走は抽選でした。
ルビーはそこで落選してしまい、親子二代の桜花賞馬の夢は絶たれてしまいます。
その後、目標をオークスに切り替え、重馬場で行われた忘れな草賞は単枠指定の人気でしたが、スローペースで逃げたトーワルビーを捕まえきれずに離れた2着に敗れました。
1990 サンスポ4歳牝馬特別
忘れな草賞で賞金を加算できず、オークスへの出走も危ぶまれたため、ダイイチルビーはオークストライアルの4歳牝馬特別に出馬。
レースは先行し、最後の直線で先頭に立ちましたが、最後方から追い込んできた人気薄のキョウエイタップに差され、再び2着に敗れてしまいますが、なんとかオークスの出走権を得ます。
レースは先行し、最後の直線で先頭に立ちましたが、最後方から追い込んできた人気薄のキョウエイタップに差され、再び2着に敗れてしまいますが、なんとかオークスの出走権を得ます。
1990 サンスポ4歳牝馬特別 キョウエイタップ
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オークス
そしていよいよ本番のオークス。鞍上は武豊に戻り、無敗の桜花賞馬であるアグネスフローラに次ぐ2番人気となりました。
しかし、スタートで出遅れてしまい、道中はやむなく後方待機策をとりましたが、結局見せ場もなくエイシンサニーの5着に敗れました。
しかし、スタートで出遅れてしまい、道中はやむなく後方待機策をとりましたが、結局見せ場もなくエイシンサニーの5着に敗れました。
エイシンサニー オークス
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1990 ローズS
秋にはエリザベス女王杯のトライアルであるローズステークスに出ると、オークス優勝馬のエイシンサニーを抑えて1番人気に支持されます。
しかし、先行3番手を進みましたが、有利な状況にも関わらず、5着に敗れてしまい、その後、フレグモーネを発症したダイイチルビーは4歳秋を全休することとなってしまいました。
しかし、先行3番手を進みましたが、有利な状況にも関わらず、5着に敗れてしまい、その後、フレグモーネを発症したダイイチルビーは4歳秋を全休することとなってしまいました。
1990 ローズS カツノジョオー
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5歳シーズン(1991年)
古馬となった、ダイイチルビーは伊藤調教師の決断で短距離路線を進むことになります。
ところが、復帰戦の洛陽S(もちろん1600m)で河内騎手に乗り替わりもあり、スタートで大きく出遅れてしまいます。関係者が大きく落胆するなか、直線に入ったダイイチルビーの末脚が爆発、勝ち馬にわずか半馬身の2着に食い込む健闘をみせました
ところが、復帰戦の洛陽S(もちろん1600m)で河内騎手に乗り替わりもあり、スタートで大きく出遅れてしまいます。関係者が大きく落胆するなか、直線に入ったダイイチルビーの末脚が爆発、勝ち馬にわずか半馬身の2着に食い込む健闘をみせました
まさ 2020/5/17 02:26
ダイタクヘリオス‼